前回の続き。
 

 【1】 八雲立つ出雲ヤハウェ垣 … 神は雲のうちに顕れ、雲で導く。(出エジプト)

 【2】 八雲立つ出雲 … 試練の暗雲、恵みの雨雲

***************************

 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

 クモタツ イヅモヤヘガキ ツマゴミニ ヤヘガキツクル ソノヤヘガキヲ


1 八雲立つ出雲 …… 神(ヤー)の雲が立つ、雲の柱

2 出雲八重垣 …… 神(ヤハウェ)の垣、会見の幕屋に雲が降りる

3 妻籠みに …… 神の宝の民、(キリストの花嫁)、(聖霊の宮である身体)

■今回は3について。

「妻ごみに」は、「妻籠みに」。
八重垣で囲んだ内側に妻を籠める、隠す、守るということ。

出雲国のヤマタノオロチ(八岐大蛇)は、クシナダヒメを生贄として要求していたが、
最終的にスサノヲによって退治され、クシナダヒメはスサノヲの妻となった。

その後にスサノヲが詠んだ歌なので、
「妻」はもちろん、スサノヲの妻となったクシナダヒメのこと。

スサノヲにしてみれば、ヤマタノオロチの魔手から救い出した大切な妻なのだから、
二度とこういうことのないように、妻の周りに八重垣をめぐらす=警備を厳重にするのは、
そんなにおかしなことでもないだろう。

八重垣という言葉が三回も出てくるぐらいだから、
スサノヲにとって妻は何にもかえがたい大切な宝だったに違いない。
けっして、籠の中の鳥として妻を束縛しているわけではない。
箱入り娘という感じで、大切に守りたかったのだろう。

■ところで、スサノヲはそもそもどういう経緯で出雲国にやってきたのか。

神話では、スサノヲは天上界でもめごとを起こして追放された後、朝鮮半島の新羅に降りた。
しかし新羅の居心地が悪かったので、船で出雲国へやってきたということになっている。
そこで美しいクシナダヒメと出会い、ヤマタノオロチ退治につながってゆく。

朝鮮半島経由で、山陰の出雲地方へ上陸……

日ユ同祖論(日本人の祖先はユダヤ人説)でもこのルートは、
古代ユダヤ人が日本に入って来たと目される重要ルートの一つである。

八雲立つ……を詠ったスサノヲが、その前には朝鮮半島に居たという伝説は、
スサノヲが日本生まれのヤマト人ではなく、大陸の人だという意味にも解釈できてしまう。

私は、スサノヲが朝鮮半島に流れてきた古代ユダヤ人だとまでは言い切る度胸はないが、
八雲立つ……の歌の意味が旧約聖書の出エジプトとぴったり一致することは認める。

スサノヲの素性はともかくとして、八雲立つ……の歌がユダヤ人由来なのは間違いないと思う。

■日ユ同祖論の視点から見るなら、
出雲の八重垣はヤヘ垣=天地創造神ヤハウェの垣であり、
ヤハウェ垣の内に籠められる大切な「妻」は、
神とナオ(直)の関係にある人間ということになる。

「妻」は大切な「宝」でもある。

出エジプトの旅程で、十戒が授けられるシナイ山を目前にして、
神がイスラエルの民にこう告げている。

 「それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い
 わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、
 わたしの宝となるであろう。
 全地はわたしの所有だからである。

 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、
 また聖なる民となるであろう。」

 ――旧約聖書『出エジプト記』 19章5,6節


聖書では、神と人との関係において、「契約」という言葉がしょっちゅう出てくる。

神が一方的に何かを命じて人間に押しつけているのではなく、
人間が自発的にその契約に応じること(応答/レスポンス)を重視しているのである。

もちろん、神は契約を拒否する人の上にも日を昇らせ、雨を降らせてくれる。
契約を拒否するマガ(曲)の者だからとて、すぐに心臓をキュッと締め上げることもしない。
(もしそうされたなら、この地上には一人の人間もいなくなってしまう)

しかしこの地上で神と共に在る安心感、喜び、与えられた使命を果たす充実感、
いわゆる霊性の充実した人間としての生きがいは、
神の契約に応じること=神に対して素直=神とナオ(直)の関係でなければ得られない。

で、神に対してナオ(直)な生き方を選んだ民を、神は「わたしの宝」とよんでいるのである。
宝の民なので、大切に守るといっている。

神にナオ(直)である人間は、「八重垣=ヤハウェ垣」の守りを信頼して生きることができる。

 たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。

 たとい戦が起こって、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。

 わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。

 わたしの生きるかぎり、主の家に住んで
 主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。

 それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ
 その幕屋の奥にわたしを隠し
 岩の上にわたしを高く置かれるからである。

 ――旧約聖書『詩編』 27編3-5節


神はまた、天使たちに命じて、宝の民である人間を守らせることもある。

 この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。

 主の使主を畏れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる。

 ――『詩編』 34編6,7節


ここでぜったいに間違えてはいけないのは、
天使は人間の召使いやペットではないということ。
天使は神の使者である。
人間の使者ではない。

神をのけ者にして、直接大天使ナントカエルを呼びましょうとか、
聖母マリアに祈りましょうなどというやり方は、完全にマガ(曲・禍)。

天使やマリアには向き合えるが、神を敬遠してしまうというのは、
神に堂々と向き合うことができないやましさを魂の内に抱えているからだろう。
この、神に堂々と向き合えないやましさは原罪といってもいいかと思う。

大多数のイスラエルの民も、神との契約を破ってばかりだった。
出エジプトの旅行中も、約束の地(現在のイスラエル・パレスチナ)に定住してからも、
ひたすらヤハウェに背いて、エゴの欲望を満たす生き方を選び続けている。

その生き方をナオ(直)に戻せと、何度も預言者を通して警告されるが、民は聞き従わない。

神に対してマガ(曲)な生き方をすればするほど、ツミ(罪)の意識は大きくなり、
己のマガ(禍)を認めるのが恐ろしくなり、ますます神から遠ざかってしまう。

結局、BC721年に北イスラエル王国滅亡、BC586年に南ユダ王国滅亡。
ユダヤ人の国は世界史から消える。

モーセの時代の先祖が神と契約したのだから、
その子孫である自分たちは何をやっても神に許されるのだと、あぐらをかいたのだ。

そしてユダヤ人の有力者、王侯貴族、知識階級などは、
バビロン捕囚として、ペルシャ地域に強制移住の憂き目にあうのだが……

亡国のユダヤ人が、さらに東進して、日本にたどりついたというのが日ユ同祖論。

上記に引用した出エジプト記19章6節にこうある。

 「あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう。」

日本の初代天皇である神武天皇の即位はBC660年1月1日だが、
これが現在の西暦換算で2月11日と推定されている。
なので、2月11日は日本の建国記念日なのだ。

BC721年/北イスラエル滅亡
→ 60年後に、ユダヤの何族かの長が日本で神武天皇となり、祭司の国を創った……?
 その後も続々と亡国のユダヤ人が流入してきた……
 だから神道と古代ユダヤ教には多くの共通点がある……
  
等、日ユ同祖論ではこのあたりのことがいろいろ言われている。
八雲立つ……の歌を詠んだスサノヲも、亡国のさすらいユダヤ人だったかもしれない。

しかし私は、日ユ同祖論の表面的な歴史ではなく、
神道と聖書が霊的に符合するポイントを探ることの方に興味があるので、歴史話はこの程度で。

■聖書では、神と人の関係は、主従関係として語られることが多いが、
夫婦関係または花婿・花嫁の関係にたとえられている個所も少なくない。

その場合は、男の子夫/花婿が神で、女の子妻/花嫁が人間である。

夫婦関係というのは霊的比喩なので、もちろん人間側の性別は関係ない
性別に関係なく、神にナオ(直)である人はだれでも神の「妻」である。
個人単位ではなく、民族単位で「妻」とよんでいる個所もある。

預言書のホセア書、イザヤ書を見てみよう。
出エジプトから600年ぐらい後の時代である。

ホセア書では、ヤハウェ神から離れて、異教の偶像崇拝やエゴに走った人間を、
「不倫妻」にたとえている。

人間は神との婚姻契約を破って、
異教の神や世間の楽しみ事という「恋人」のもとへいってしまったと。

 彼女は言った、
 『わたしはわが恋人たちについていこう。
 彼らはパンと水、羊毛、麻、油、飲み物とを、わたしに与えてくれる者である』と。

 それゆえ、わたしはいばらで彼女の道をふさぎ、垣をたてて
 彼女にはその道がわからないようにする

 彼女はその恋人たちのあとを慕って行く、
 しかし彼らに追いつくことはない。
 彼らを尋ねる、しかし見いだすことはない。

 そこで彼女は言う、
 『わたしは行って、さきの夫に帰ろう
 あの時は今よりもわたしによかったから』と。

 彼女に穀物と酒と油を与えた者、
 またバアルのために用いた銀と金とを多く彼女に与えた者は、
 わたしであることを彼女は知らなかった。

 ――旧約聖書 『ホセア書』 2章5-8節


これが、「出雲ヤハウェ垣 妻籠みに」のもう一つの側面。

神から離れて「恋人」のもとへ行こうとする人を、
茨のバリケードや石垣で妨害して、誤まった道へ進めなくしてしまう。
ルーン文字3番目のソーン(スリサズ)はまさにこれ。

神に背いているつもりはなくても、むしろ神様のためにやっているつもりのことでも、
なぜだかやることなすことうまくいかない時は、このヤハウェ垣に阻まれている可能性がある。

エデンの園でエバが蛇にそそのかされたように、うさんくさいオロチ(愚霊)たる「恋人」に、
これは神様の御心でもあるんだよなどと騙されているのかもしれない。

悪意であれ過失であれ、神から離れて「恋人」のところへ行こうとしても行けなかった。
そうすると、この不倫妻である人間はやっぱり本来の神の元へ戻ろうとする。

このホセア預言の続きでは、
夫であるヤハウェ神は、彼女の不倫を許して、
再び彼女と婚姻契約を結ぶと言っている。

ただしそのためには、彼女はまず荒野という試練におかれ、
そこで神と一対一でねんごろに語り合う=己の罪と向き合い、悔い改める時が与えられる。

 「それゆえ、見よ、わたしは彼女をいざなって、
 荒野に導いて行き、ねんごろに彼女と語ろう。

 その所でわたしは彼女にそのぶどう畑を与え、
 アコル(苦悩)の谷を望みの門として与える。
 
 その所で彼女は若かった日のように、
 エジプトの国からのぼって来た時のように、
 答えるであろう。」

 主は言われる、

 「その日には、あなたはわたしを『わが夫』と呼び、
 もはや『わがバアル』とは呼ばない。

 わたしはもろもろのバアルの名を彼女の口から取り除き、
 重ねてその名をとなえることのないようにする。

 その日には、わたしはまたあなたのために野の獣、空の鳥および這うものと契約を結び、
 また弓と、つるぎと、戦争とを地から断って、あなたを安らかに伏させる。

 またわたしは永遠にあなたと契(チギリ)を結ぶ

 すなわち、正義と、公平と、いつくしみと、あわれみとをもって契を結ぶ

 わたしは真実をもって、あなたと契を結ぶ

 そしてあなたは主を知るであろう。」

 ――『ホセア書』 2章14-20節


神が荒野で、「ねんごろに」彼女と語り、(新共同訳では「彼女の心に語り」)
改心して神に立ち返る=マガ(曲・禍)を悔い改めてナオ(直)に戻るなら、
神は許して受け入れてくれるというのである。

出エジプトの旅がそうだったように、
荒野で神と二人きりというのは、神の畏さ(オソロシさ、カシコさ)を知る、
神とのハネムーンでもあるのだ……

試練の暗雲で不倫妻たる人間を囲い込んで、夫たる神と向かい合う。

これが、「出雲ヤハウェ垣 妻籠みに」の、さらにもう一つの側面である。

大切な妻をヨコシマ(邪)なオロチ(愚霊)から守るための八重垣であり、
不貞の妻を反省させて神の恵みを知らせるための試練独房でもあり……

神と人間の夫婦関係は、双方の契約関係がベースになっている。
感情的な情愛ベースではない。

契約関係がベースなので、神は契約を守らない人間をそのまま離縁して見放すこともできる。
しかし神はどうにか、人間が気づいて元の契約に立ち返ることを待っている夫なのである。

ホセア書では、不倫妻を荒野(試練)にいざなってヤハウェ垣の内に置いた後に、
あなたと契(チギリ)を結ぶと三回も繰り返している。

最初の契約は、人間側の不倫によって破綻してしまったが、
心底悔い改めて戻ってきたならば、またあらたに神が契約を結ぶといっている。

■こうして神が人間と契約を結び直すことを、
聖書ではしばしば「あがない、買い戻し」とも表現している。
「あがない/贖い」は、罪を償うために何らかの対価を払うこと。

預言者ホセアの妻は、彼との間に少なくとも3人の子どもがいたが、
彼女はホセアを裏切り不倫をした……イスラエルの民が神から離れたのと同様に。

神はホセアに命じて、この不倫妻を買い戻すようにいう。

 主は再び、わたし(ホセア)に言われた、

 「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。
 イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しブドウの菓子を愛しても、
 主がなお彼らを愛されるように。」

 そこでわたしは銀十五シケルと大麦一ホメル半とをもって彼女を買い取った。

 わたしは彼女に言った、

 「お前は淫行をせず、他の男のものとならず、長い間わたし(ホセア)のもとで過ごせ。
 わたしもまた、お前のもとにとどまる。

 ――『ホセア書』3章1-3節


妻に浮気された被害者のホセアが、わざわざ自腹で、浮気した妻を買い戻すのである。

おかしいよね。

不倫した妻と間男が平謝りで、ホセアに慰謝料を払わなきゃならんところで、
なんでホセアが自分のお金を間男に払ってまで、自分の正妻を取り戻さなきゃならんのか。
ホセアの性格がイケメンだから?

これは単にホセアと妻のプライベートな問題ではなく、
神と人間の婚姻関係についてのたとえである。

神はホセアがしたようにして、この世の「恋人」と不倫をした人間の罪をゆるし、
わざわざ不倫相手に対価を払って、人間を買い戻すという。

そして、「長い間わたしのもとで過ごせ。わたしもお前のもとにとどまる。」ということで、
神の自宅に妻を再び住まわせる、「ヤハウェ垣 妻籠みに」となる。 

ちなみに神が支払う究極の買戻し対価は、後にイエスとして降誕する神のひとり子である。
イエスがどうして究極の対価なのかという説明は、別の機会に。

■神と人間の婚姻関係について、預言者イザヤはこういう。

 恐れてはならない。
 あなたは恥じることがない。

 あわてふためいてはならない。
 あなたは、はずかしめられることがない。

 あなたは若い時の恥を忘れ、寡婦であった時のはずかしめを、
 再び思い出すことがない。

 あなたを造られたのはあなたの夫であって、その名は万軍の主

 あなたをあがなわれる者は、イスラエルの聖者であって、全地の神ととなえられる。

 捨てられて心悲しむ妻、また若い時にとついで出された妻を招くように、
 主はあなたを招かれた。

 ――旧約聖書『イザヤ書』 54章4、5節


ここでは、神は人間の創造主であり、夫でもあると表現されている。
夫である神は、この世のツミケガレに染まりきった人間を招いてあがなってくれるという。

人間側の儀式によって表面的なツミ・ケガレを祓い清めても、どれだけ反省しても、
根本的な原罪=神に対してマガ(曲)な霊的性質を、
根っこからナオ(直)にすることはできない。

人間側の努力・儀式・善行などでは、ごく一部の罪滅ぼしができるだけで、
根本的なマガ(曲)の解決にはならないというのが古代ユダヤの考え方。

ユダヤ人は、ツミを根本的に解決してくれる救世主をメシア(ギリシア語でキリスト)と呼んだ。

いずれメシアが現れたら、人間のツミ・ケガレを根本的に清めてくれる。
メシアが、人間をツミ(罪)の世界からあがなって(買い戻して)くれる。
そして神との関係を失楽園以前の、真のナオ(直)に回復させてくれる。

ユダヤ人は、そういうことを信じていた。
ここでイザヤ書に書かれている「あなたをあがなう聖者」はメシアのことでもある。

メシアは、病気平癒とか、お金持ちになるという現世利益の救世主のことではない。
人間のツミを完全に取り去り、
神との関係を完全なるナオ(直)に直してくれるという意味での救世主。

私もこの考え方に賛同する。

メシアは、神道的にいえば、ツミケガレを完全に清めてくれる究極のカタシロ(形代)のイメージ。
それをキリスト教では十字架で象徴しているのだと思う。
(これもまた別の機会にきちんと書くつもり)

善行を積んだり、過去生を思い出したり、タマフリをしたり、ポジティブシンキングをしたり、
どれだけ何をやっても、完全に魂の負債をなくすことは不可能だ。

自分で自分の魂の負債を完全に清めるのが不可能
それは天地万物を創造した神にしかできないことだということを認めない限り、
延々と開運厄除けセラピーの類にふりまわされるループから抜けられない。

私は3年ほど前に、拙著『旧約聖書と外典に学ぶ95のライフアドバイス』を急に書きたくなった。
今思えば、それが私に対する「荒野への招き」だったのだろう……
あらためて聖書をなめるように読み返していて、ある霊的存在(某A氏)に問われた。

「あなたの神はどこにいますか?」

それで私もまた、古代ユダヤ人のように、私が個人的に神様と出会った原点に返ることにした。
それが高校生の時に出会った聖書と、その後に出会った神道。

懐古は好きではないが、原点に返ると、とても心が落ち着く。

■ 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

 クモタツ イヅモヤヘガキ ツマゴミニ ヤヘガキツクル ソノヤヘガキヲ


この歌を詠んだスサノヲは、朝鮮半島の新羅から来たという。

新羅が歴史に登場するのは4世紀半ば。
メシアであるイエスの降誕後、300年以上たっている。

スサノヲに象徴されるユダヤ人は、旧約聖書の内容だけでなく、
イエスキリストの一部始終と、原始キリスト教の教えも知っていたかもしれない。

それならば、この歌に、新約聖書(紀元1世紀頃成立)の内容も含めることができる。

「目からウロコ」の逸話(使徒行伝9章)の主人公でもある宣教師パウロは、
イエスをメシア(キリスト)と信じた人々に対して、こう記している。

 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、
 上にあるものを求めなさい。
 そこではキリストが神の右に座しておられるのである。

 あなたがたは上にあるものを求めるべきであって、
 地上のものに心を引かれてはならない。

 あなたがたの命は、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

 わたしたちの命なるキリストが現れる時には、
 あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

 ――新約聖書『コロサイ人への手紙』 3章1-4節


キリストを信じるということは、ツミケガレを完全に取り除かれ(=古い人の死)、
新しい人として、キリストと共にツミケガレの墓場からよみがえらされたということになる。

そうしてキレイさっぱりした人の命は、「神のうちに隠されている」のだという。
これもまた「ヤハウェ垣 妻籠みに」ということと通ずる。

神のうちに隠されている人は、サタン陣営が滅ぼされた後にキリストと共に現れるという。

イエスの直弟子ヨハネが記した霊視録『ヨハネの黙示録』のラストに、
「子羊(キリスト)の花嫁」「新しいエルサレム」として描かれている情景が、
パウロの記した内容を詳しく説明しているように思う。

黙示録のこの場面は、オカルト勢や、
世界滅亡日の算出を趣味とする終末論者にも人気のある個所なので、
少し長めに引用してみる。

 わたし(ヨハネ)はまた、新しい天と新しい地とを見た。
 先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。

 また、聖なる都、新しいエルサレムが、
 夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、
 神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた。

 「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み
 人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
 もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。
 先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」

 すると、御座にいますかた(イエス)が言われた。
 「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。

 また言われた、
 「書きしるせ。 これらの言葉は、信ずべきであり、まことである。」

 そして、わたし(ヨハネ)に仰せられた、
 「事はすでに成った。
 わたしはアルファでありオメガである。
 初めであり終わりである。
 かわいている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう……」

 ……七人の御使いのひとりが来て、わたし(ヨハネ)に語って言った、
 「さあ、きなさい。
 子羊の妻なる花嫁を見せよう」。

 この御使いは、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、
 聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、
 神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。

 ――新約聖書『ヨハネの黙示録』 21章1-6、9-10節


新しいエルサレムは天下る宇宙船だとか天之鳥船とかいう話ではない。

黙示録はヨハネという人のフィルターを通した霊的シンボルで書かれているのだから、
それを読む際にも、霊的シンボルとして読み解く必要がある。
おそらく、だれも正確には理解できないと思うし、私もよくわからないので深入りはしない。

とりあえずここでは、「新しいエルサレム」は建物が集合した街のことではなく、
原罪というツミケガレをキリストによって清められた人々の集まりという理解でよいと思う。

イエスをメシア(キリスト)として信じないことには、
原罪を完全に清めてくれるメシアの恩恵に預かりようがない。

黙示録で、不信仰な者はサタンと共に永遠の滅びに云々といっているのも、
不信仰者への懲罰というよりは、神にナオ(直)になることを拒んで、
エゴを守り続けたゆえの自業自得というほうが近いと思う。

キリストを信じてツミケガレを完全に清められた人の命は、
パウロが言うように、「神のうちに隠されて」いる。

黙示録では、「神の幕屋が人と共にあり」、
神のみもとを出て、キリストの花嫁=神の花嫁として、新しい天地に降臨してくる……

私はこの光景を視覚的にイメージできないのだが、
とにかく、天にあるという神の幕屋も、
「ヤハウェ垣 妻籠みに」の、神の家といってよいと思う。

■ひとまず、スサノヲの歌の読み解きはここまでで。
今回書ききれなかった「聖霊の宮である身体」については、またの機会に。


 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

 クモタツ イヅモヤヘガキ ツマゴミニ ヤヘガキツクル ソノヤヘガキヲ


 神の雲が立つ 雲の柱が立つ出雲
 雲は幕屋に降り 神は人と夫婦の契りを結んだ
 神は八重垣に妻を囲い オロチ(愚霊)から妻を守らせた
 神は八重垣に妻を囲い ヨコシマ(邪)から妻を遠ざけた
 神は八重垣に妻を囲い 妻とねんごろに語った
 神の幕屋なる そのヤハウェ垣よ
 
 


***************************

……と、これだけ語っておきながら、



「出雲」と聞けばまずこれを連想してしまう私を、神は許してくれると思う( ̄∀ ̄)





***************************

※このブログのコメントは承認制です。
ブログチェックのタイミングにより、
コメントの反映・返信が2,3日後になる場合もあります。
土日は休みです。


***************************

本ルーン魔女KAZのホームページ/著書一覧は こちら

本 無料WEBコミック雑誌てんてる …… KAZの著書の版元さんが運営しています☆
無料WEBコミック雑誌てんてる