素直であることが、人の美徳の一つであることは間違いない。

 
しかし「素直な人」「素直な性格」というのは不思議な言い回しだと思う。

その素直さは、いったい何に対する素直さなのか。

親に対して素直ということか? 先生に対してか? 
それとも上司か、世間の常識か、多数決の結果に対してか?
あるいは自分の決意、信念、初心に対してか?

素直であれと勧める人は多いけれど、
いったい何に対して素直であるべきなのか、
その対象を具体的に教えてくれる人は、ほとんどいない。

何でも鵜呑み盲信することが素直だとは思わない。
それはたいへん危険なことだと思う。

たしかに、理由なき反抗はよろしくない。
聞くべきことは聞き、従うべきことには従うべきだ。
車は左側通行をするべきだし、お店の商品は勘定をすませてから持ち帰るべきだ。

しかし、ことによっては、あえて反抗し、不服従を貫かねばならないこともある。
つまらない噂話に同意してはならない。
迷惑行為に同調してはならない。

 人が見て自ら正しいとする道でも、
 その終わりはついに死に至る道となるものがある。 (口語訳)

 人間の前途がまっすぐなようでも
 果ては死への道となることがある。 (新共同訳)

 ――旧約聖書 『箴言』 14章12節


素直になるべき方向や対象を間違えると、不幸が待っている。
自分が不幸になるだけならまだいい。
下手をすると、意図しない人をも巻き込んで迷惑をかけてしまうことにもなりかねない。

何に対して素直であるべきか、慎重に考えた末の素直さを持ちたいと思う。



■京都の下鴨神社こと賀茂御祖神社の南に、糺の森(ただすのもり)が広がっている。
糺の森の入り口から神殿まで、ずどーんとまっすぐな参道が伸びている。

糺す=正す。
曲がっているものを真っ直ぐにすること。

糺の森が糺の森であるためには、参道は一直線でなければならない。
参道がカーブしていたら、糺せない。
それでは糺の森とは呼べない。
参道が一直線に神殿につながっていることに意味がある。

 呼ばわる者の声がする、

 「荒野に主の道を備え、
  さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ

  もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、
  高低のある地は平らになり、険しい所は平地となる

  こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。
  これは主の口が語られたのである」。   (口語訳)

 ――旧約聖書 『イザヤ書』 40章3-5節 (新約『マタイ書』3:3など)


糺の森をはじめ、まっすぐな参道の奥に神殿を造った古の日本人も、
まず第一に、神に対してまっすぐであるべきだということを知っていたのだと思う。

神に対して、グネグネ曲がっている道や、凸凹のある道というのはありえない。
神社の参道のように、まっすぐ、平らな道に整えなければならない。

そして神とつながる道を整えるだけでなく、実際にその道をまっすぐに歩まねばならない。
それが素直ということ。

人が素直であるべき対象は、神のみ。
どこかの誰かや偉い人や学説や周りの雰囲気に対してではなく。

素直であれというのは、けっして他者の言いなりになれ、他者に服従しろという意味でない。
もしそういう意味での素直さを強要されたなら、非暴力・不服従を貫くべし。

まず神との関係を素直に糺せば、
おのずと周りの人や、諸々の事象とどう付き合えばよいのかもクリアになる。

これまでの私は、やはり神に対して素直になりきれていなかったために、
複数の基準を前にして迷うことが多かった。
今は、基準を神一つにしぼれたおかげで、だんだんと迷うことが減り、とても身軽になった。

 主を畏れる人はまっすぐ歩む。
 主を侮る者は道を曲げる。   (新共同訳)

 ――旧約聖書 『箴言』 14章2節

まっすぐ …… ナオ = 直
曲げる …… マガ = 曲、禍

ナオとマガは、神道の重要な考え方の一つ。

日本神話にも、ナオとマガの状態をそれぞれ神格化した神名が登場する。
神名の漢字と訓読は数パターンあるが、一例として……

ナオ = 直日神(ナオヒノカミ)、大直日神、神直日神
マガ = 禍津日神(マガツヒノカミ)、大禍津日神、八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)

ナオは、神に対して直であること。
マガは、神に対して曲がっていること。素直でないこと。神から離れていること。

マガの結果がツミ(罪)となる。

何かの悪事をなしたという罪は、マガの結果であって、
悪事を働いた結果が罪となるのではない。

マガ(曲、禍)が先。
ツミ(罪)が後。
この順序を覚えておくとよい。

マガの状態でなされた言動がツミ(罪)となる。
最初の動機が間違っているなら、何をやっても罪となってしまうということ。

マガの状態から生じてしまった諸々のツミとケガレは、祓い清めるというのが神道のやり方。
古代ユダヤ人も、ツミを清めて神との関係を正すことにはたいへん熱心で、
旧約聖書のレビ記あたりでごちゃごちゃ細かく清め方が説明されている。
心理的にも、罪の意識をはらうためには煩雑な代償行為が効果的らしいしね。

神道も古代ユダヤ教も、水と塩が清めの重要アイテム。
古代ユダヤ教では生贄の動物の血も登場するが、神道では朱塗りの鳥居で代用……?
新ユダヤ教ともいえるキリスト教では、
十字架刑になったイエスの脇腹を槍(ロンギヌスの槍)で突いて噴き出た血が、
究極の清めの血ということになっている。

神道と旧約聖書の内容はけっこう似ている個所が多くて、相性がいい。
日ユ同祖論(日本人のルーツはユダヤ人という説)は十分アリだと思う。

しかし日ユ同祖論を手放しで素直に信じることはまだできないでいる。
半信半疑かなあ。盲信はできないなあ。
それでも日ユ同祖論が面白いのは間違いないから、当面はこれを是と仮定しておこう。






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