KAZのブログ (ルーン魔女KAZのブログ)

KAZの自己満足ブログです。


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その問題の本質は?【1】

その問題の本質は?【2】

その問題の本質は?【3】  

その問題の本質は?【4】……推定無罪の原則


のつづきです。


今回も、KAZが学生時代の法学講義で聞いたお話です。

凶悪犯の弁護を引き受けた弁護士さんのお話です。


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とある殺人事件がありました。

(ひじょうに気分が悪い内容の事件ですので、詳細は伏せます)


こんなヤツは死刑か無期懲役にしてしまえと世間が思うような内容の事件だったのですが、

最終的にはたしか懲役30年……世間が期待していたよりも、軽い内容の判決が出たのです。


どうして懲役30年ですんだのか、法律の専門的な解釈は脇に置きまして……

被告を弁護した弁護士さんの腕が優秀だったというのも、大きな要素でしょう。

弁護士さんは手抜きをしないで、凶悪犯罪の被告の弁護をしたわけです。


それから数年後。

KAZが通っていた大学の法学部のとあるゼミで、この事件の判例について議論をしているうちに、

この弁護士さんにも直接お話を聞いてみたいという声があがりました。


そこで、ゼミの教授が弁護士さんに事情をお話して、ゼミのゲストとしてお招きしました。

最初は、この弁護士さんは乗り気ではなかったようですが、

法学の学習の一環として、真摯に語り合うならばOKということで、

学生の質問にいろいろ答えてくれたそうです。


その場で、誰もが疑問に思っていたことを、学生が尋ねました。


「ああいう凶悪犯罪者の弁護をするのは、イヤじゃないですか?」


弁護士さんの答えは、こういう内容でした。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


被告は犯罪者だ。


被害者は気の毒だ。


殺された被害者は生き返らない。


せめて、すこしでも被害者の遺族のためになることをしたいと、誰でも思う。


凶悪犯の弁護をするのは、誰だって楽しくはない。


ご存じのとおり、弁護士までバッシングされることもある。


でも、だからといって、誰も被告の弁護をひきうけなければどうなるか。


被告に弁護士がいない状態では裁判が進まない。


裁判が進まないということは、その事件は宙に浮いたままの状態になる。


その状態が続くとどうなるか。


裁判が進まないことで、一番不利益をこうむる(心が傷つく)のは、被害者側だ。


事件が起きた理由もわからず、被告の説明・謝罪を聞く機会もなければ、心の整理も何もできないだろう。


だったら、弁護士としてできることといえば、

被告の弁護を引き受けて、裁判を前に進めること。


裁判の、公の場で、事件の真相を明らかにしていくこと。


だから、被告の弁護を引き受けた。


自分の意思で弁護を引き受けたからには、真摯に被告と関わる。


コイツは外道だから、弁護も適当でいいや……といういいかげんな姿勢は、

裁判で事件の真相を明らかにしていくという目的から外れてしまう。


被害者側は、真剣に裁判の推移を見守っている。


なのに、弁護士がいいかげんな態度で、被告の弁護という「役割」で裁判に参加するのは、

真剣な被害者側に対して、とても失礼なことだろう。


その事件の場合は、私は被告に同情したわけではないし、被告をかばいたいと思ったわけでもない。


被告の弁護をすることが、被害者の利益にもつながると思ったから、弁護を引き受けたんだよ


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


かくして、


被害者の利益のために、全力で凶悪犯を弁護する。


という、奇妙な矛盾がうまれたというわけです。



被害者の遺族のことを思うなら、そんな凶悪な奴は極刑にするのが当然だろう!


というのが、人間の感情としては妥当なんだと思います。


その感情が暴走すると、被告を弁護する弁護士にまでボコボコ抗議の石を投げつけるという、

メディアリンチや、集団ヒステリーに発展していくのでしょう。


しかし、

「特定の誰かを悪人呼ばわりして石を投げつけたところで、問題はなにも解決しない」

と考える、冷静な人々もたくさんいるわけです。


その弁護士さんは、


「どうすれば悪いヤツをやっつけることができるだろうか」

「どうすれば被害者の苦しみをコイツにもわからせることができるだろうか」

「どうすれば遺族は復讐をはたすことができるだろうか」


とは考えませんでした。


「この問題について、自分にできる最善のことはなんだろうか?」


と、考えたのです。


それがこの弁護士さんの場合は、


「誰も引き受けたがらない被告の弁護を引き受ける」


という答えに行きついたと……



もちろん、被告の弁護をする理由は、人それぞれでしょう。


被告に同情する人もいれば、報酬が目的で弁護を引き受ける人もいるでしょう。

みんながみんな、この弁護士さんのような理由で弁護を引き受けているとは限らないですから、

これは「一つの例」として、うけとめてください。

いちいち本筋と関係のないあら探しはしないでください。


犯人=悪者=やっつけるべきだ。


という感情論をベースに生きている人は、この弁護士さんのお話を聞いても、

「この弁護士は偽善者だ」と言うのでしょう。


どう思うかは自由なのですが、これだけは念押ししておきます。


この弁護士さんは、自分から言い訳がましく、弁護を引き受けた理由を語ったわけではないです。


法学の授業の一環として、ぜひ学生たちと議論をさせてほしいと請われたからやって来て、

学生から質問を受けたから、その回答として、上記のようなお話がでてきただけです。


弁護士さんは、「学生からの質問に、真摯に答えただけ」です。


自分をカッコよく見せるために、たらたら弁護の理由を語ったわけではありませんので。

この部分だけは、悪意でうけとらないようにお願いします。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


KAZがお伝えしたかったのは、


「この問題について、自分にできる最善のことはなんだろうか?」


と考えた結果、


あえて自分の気持ちとは真逆のことをしなくてはならないこともある。

周囲から誤解されて、誰にも理解してもらえず孤立することもありえる。


ということです。


凶悪犯の弁護をするか否かというのは、ものすごく極端なお話で、

わたしたちの日常生活には、そんな大問題は降ってこないでしょう。

例としては不適切だったかもしれません。


それでも、この弁護士さんのお話は、

日常生活で応用できる部分もたくさん含まれているお話だと思います。


ある人が、一見不可解なことをする。


弁護士はどうして凶悪犯罪者の弁護をするのか。

政治家はどうして賄賂を受け取るのか。

建設業者はどうして談合をするのか。

経営者はどうしてリストラをするのか。


どうしてそういう行動をするのか、本当の理由は、本人にしかわかりません。

第三者には、その理由を想像することしかできません。

はた目には「間違っている」「正しくない」と見えることでも、

もっと大きな視点から見れば、それが全体の利益につながることなのかもしれない。


わからないことは、その問題の本質は?【4】……推定無罪の原則 でも説明したように、

その人についての判断は「保留」にしたほうがよいでしょう。


その人が正しいか正しくないか、悪者なのか偽善者なのかと、

他人の行動に点数をつけることにエネルギーを使うより、


「……で、自分はこの問題に対して、どう取り組めばいいのだろうか」

「この状況で、自分にできることは何だろうか」


という方向で、自分はどうするのかを考えることにエネルギーを使った方が、万人のためになると思います。


少なくとも、

「その人の行動が、自分の正義とは相いれない」

というだけの理由で、その人を攻撃するのだけはよした方がいいですね。


すぐに誰かのことを悪人だの偽善者だのと、短絡的なレッテルを貼るクセがある人は、

問題の背景について、想像することすらしないのだと思います。

見えたものを、見えたままに受け取って、感情的に反応して、騒いで、終わり。

素直と言えば素直なのでしょうが……あまりにも視野がせまいですよね。


感情的に反応して騒いでしまうと、問題の本質がわからないまま終わる。

感情的に騒ぐ人の前では、関係者は口を閉ざす……

(冷静に聞く耳を持たない人に、誰が真実を語りたいと思うだろうか)

これでは、関係者全員に、マイナスの影響を与えてしまうだけです。


その人が善人か悪人なのか、そんなことは、問題の本質とはカンケーないんです。

その人には、その人の考えがあり、その人の理由がある。


KAZは、なにかの問題にぶつかったときは、


「わたしはどうすればよいだろうか」

「わたしには何ができるだろうか」


と、自分の身の振り方を考えることを最優先にしています。


「結局は、私と神の、一対一の問題なのです」

と、マザーテレサが言っていたそうです。

KAZもこのスタンスです。


個人的な日常の問題でも、大きな社会問題でも、やることは同じです。


「自分はどうすればよいだろうか」

「自分には何ができるだろうか」


と考えて、実行していくことの繰り返し。

誰がどこで何をしたとか、他人のことはどうでもいいです。


被害者の利益のために、あえて被告の弁護をするような人……

周囲から批判されることを織り込み済みで、

それでも全体の利益になるように、黙々と何かを成し遂げようとしている人は、

世の中にはきっとたくさんいるのだと思います。


少なくとも、そういう人たちの足を引っ張るようなことはしたくないですね。


気に入らない人のことは、理解しなくてもいいと思います。

心の中でなら、どんだけ毒づいても悪口を言ってもいいと思います。

凶悪犯を弁護する弁護士のことが気に入らないなら、それでもいいのです。


ただし、現実に、その人の足を引っ張るようなことだけは、しちゃダメだ。

その人の足を引っ張ることで、全体の利益が損なわれてしまうかもしれないから。


イエス様は、民衆にさんざんバッシングされて、袋叩きにされた末に、処刑されました。

「神よ、彼らをお許しください。

 彼らは、自分が何をしているのかわかっていないのです」(ルカ書23:34)

と、イエス様が民衆をあわれむ一方で、

民衆は、自分がバッシングしているイエス様が何者なのか理解していなかった。


自分がよく知りもしない件について、ちゃんと確かめもしないで、

あの人は悪いだの間違ってるだの何だの、ゴチャゴチャ言うのは、

イエス様をはりつけにしろと叫んでいた民衆と同じレベルだと思うのです。


他者のことについて、わからないことについては、沈黙を守る。

そして、自分がやるべきことに専念する。


たったそれだけのことで、多くの問題が、

もっとスムーズに解決・改善できるだろうにと思います。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


説教くさいシリーズの記事は、これで終わりです。


スピリチュアル系のブログで書く内容じゃないですね。


とりあえず、あれやこれやのメディアリンチを看過するのがイヤだったから、

KAZにできることとして、これらの記事を書いてみました。


こういった論理的思考と、スピリチュアルな生き方は、

まるで水と油のように相容れないものだというスピリチュアリストもいますが、

KAZは、そうは思わない。


この世で、肉体をまとって生きていく上では、どちらも大切。


スピリチュアル的な感性が豊かであることと、

思考停止して感情的にふるまうことは、まったく違う。


「物事を判断する際は、論理の軸が異なる話をごちゃまぜにしないこと」

「事実と推測を混同しないこと」


問題の本質をつかむには、これが大前提。







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