優劣って何のためにあるのでしょうか。

私は子供の頃から
姉や従姉妹と比較される度に
疑問を感じていました。

そして比較の基準はまず見た目。

「Aちゃん(従姉妹)はY(姉)に似て可愛いのにうさぎは全然似てないね」

「Aちゃんは顔がちっちゃくて可愛いねぇ」

「Yはママに似て美人だから」


私は常に蚊帳の外に置かれているように感じました。

私は何で姉に似てないのかな。
似てないから可愛くないのかな。
私はブスなのかな。
Aちゃんは可愛いんだ。

子供の頃の私は姉のことを美人だと思ったことがありませんでした。
姉が美人かどうかには関心がなかったし、姉は私にとって姉であり
それ以上でもそれ以下でもなかったのです。

Aちゃんのことも同じです。
可愛いかどうかは考えたことがなくて、友達として仲良く過ごしていました。

姉もAちゃんことを
「Aちゃんは可愛いねぇ」と頻繁に言うので、だんだんと私は自分のことが邪魔なのかな...と思うようになっていました。

母は
「お前はいつもむすっとしていて可愛いげがない。何考えてるかわからなくて変な子だね」と言います。

自分で思い出しても確かに保育園の頃から周囲を冷めた目で見ていて、自分は周りの人達と違うという違和感を持っていました。ただ、その違和感が何なのかは
わかりませんでしたが。


楽しくないから笑わない。
私にとっては、それだけでした。

母に
「女の子らしい格好をしなさい」と言われた事も、とても嫌でした。

私は生まれる前に事故で他界した兄の生まれ変わりだと母に呪文のように言われ続けて育ちました。

姉や従姉妹と比較されて
「可愛い」と言われることがないのに
【女性性】を否定されてるのに
何でフリフリの女の子らしい服を着なきゃいけないのか。

母に私に兄の代わりを求めながらも
目に見える女の子で居ることを強要してるようにみえました。


そして「パパは男の子が欲しかったのよ」と母に繰り返し言われたことも「私は生まれてきちゃいけなかったの?」と私の存在を否定してるように感謝いました。


何で私は【私】として生まれてきただけなのに、他の誰かと比較されて
優劣を決められたりしなきゃいけないんだろう...。

ずっと疑問でした。


私の基本になってるものは

人は生まれながらに平等であり、自分らしく生きる権利があることです。

役割や性別さえも
私を特定する要素なので
そこにはめられることがとても窮屈でした。

私は私である。

そこに他の誰かと比較して
優れているとか
劣っているなんて
周囲の評価は要らないんです。

他人と比較しなければ
優劣など起こりませんから。


今でこそ、
他人の評価は
周りが好き勝手にしてるので
それに振り回されることは減りましたが
苦手です。


褒められることが多い人生だったら
優劣をつけられることにも
抵抗がなかったかもしれません。