他人の悪意を感じることがあっても
それを共感してくれたり
理解してくれる人がいなくて
わたしはずっと苦しんでいました。

こんなことするのはわざとに決まってるじゃん。

あの人にはしないのに
わたしには嫌がらせをしてくる。


わたしは誰かに不快にさせられたとき
1回目は「気のせいかな」と思います。

以前、被害者意識が強かったときは
最初から「絶対に嫌がらせだ!」と
決めつけていたけれど。

そして同じ人からの不快に感じる言動が
続いたときには
「あれ?」と思うので
その人が他の人と一緒にいるときの言動を
観察します。

わたしの感じ方のせいじゃないかって
確かめるためにです。

でも、明らかに嫌がらせだとわかると
「またか。。。」と思うのですが
最近はそこから一歩進みます。

同じ業務を担当しているTさんから
嫌がらせを受けてるのかもしれないと
先月くらいから感じていました。

一緒に仕事をしているとTさんに
頼んだはずなのに
ほったらかしにしてどこかへ行くので
料理が台無しになってることもしばしばでした。

焦がしてしまったら作り直すしかありませんが
ラッシュの時は1分ですら惜しいのです。

それをわかっていながら
Tさんはわかってやってるんだと確信をしたんです。

Tさんの驚く発言を聞きました。

「わたし、運の悪い女だから」

わたしは全身を悪寒が走りました。

そんなことを信じていたら良い事が起こっても
まっすぐに受け取れません。

悪いことばかり見て
「ほらね」と受け取るのですから。

他にもゾッとする発言を度々聞いたので
なるべく一緒に過ごすことを避けています。

Tさんには悪いけれど
気が滅入ってしまうから。

入社したての頃にTさんにあるこ簡単なことを頼んだら
「無理です」と激しく断られたことがあり
それ以来、わたしはTさんには頼まないのですが
びっくりしました。

上司の指示も聞こえないふりをするので
恐ろしいです。

もともと誰かと協力して仕事をするよりは
自分ひとりでやりたい人だと聞いていたけれど
こんなにワンマンだとは思いませんでした。

仕事のやり方も勝手に自己流にしてしまうんです。

新人さんの教育をTさん流で教えてしまったら
どうなっていくのやら。。。

話を戻しますね。

Tさんがわたしに嫌がらせをしてることを
おそらく自覚はしていないと思います。

Tさんにとって
<気にいらない相手を困らせることは当たり前なこと>
だから。

わたし自身が以前こういうことをしていたのでわかるんです。

「あなたのせいでわたしが困るのよ。
だったらあなたが困ればいい」

<復讐心>

これが心にべったりとあると
自分が傷ついたり思い通りにならないとき
相手を自分と同じ思いを味わわせようとします。

<気にいらない>のは
<自分の思い通りにならない>からです。

誰かを自分の思い通りにしたい人は
自分が変わることを拒んでいます。

ラクして世の中を自分の思い通りにしたいんです。

でも、それは不可能です。

わたしはそれにやっと気づいたので
自分を変えて幸せを感じられるようになろうと決めたんです。

自分の思い通りにしたい=相手のことはどうでもいい

こんな身勝手なことが実現できたら
どうなると思いますか?

自分も幸せかつ相手も幸せな状態を望むなら
それは実現する可能性はあります。

わたしはこのからくりがわからないまま
<自分の幸せ>を望んできました。

自分だけが幸せになればいい。

情けないくらいに身勝手でした。

自分だけが得られる小さな幸せのために
誰かを傷つけて犠牲にすること をずっと繰り返してきました。

それどころか
<わたしばかりがいつも不幸>
<わたしばっかり損してる>

嘆いていたんです。

自分で自分を不幸にする考え方をしていたのに。


今、職場でわたしを仲間はずれにする
Mさん、Kさんをはじめ
Tさんや上司に共通することがあります。

<被害者意識が強い>ことです。

「自分は悪くない」

これがあるので
相手を責め、咎めます。

「わたしはちゃんとやってるのに
○○さんがやってないから」

「私じゃありません」


あらゆる場面でこの発言が出ます。


わたしが長い間、ずっとそうでした。

自分はちゃんとやってるのに
誰かのミスで自分が責められたり
認めてもらえないことが
本当に悔しかったし辛かった。

でも、自分の中の思い込みを見つけて
修正したんです。

<わたしのことを理解してくれる人なんていない>

現実に起こることはすべてこれを証明してくれました。


今は違います。

<わたしのことを理解してくれる人もいる>

そう思ってるので現実はかわりました。


Tさんは頼まれたことに対して
<指図された>と受取るので
自分が見下されてると反発するみたいです。

だから指図されまいと
完璧に仕事をしようとするし
劣ってることを見せまいと必死。

自分は誰よりも完璧でミスもしないし
あの人よりも上なんだと優越感に浸りたい。

数年前のわたしを見ているようです。

見ているだけで息が詰まります。

先日、Tさんが持ちきれないくらい大きなゴミ袋を抱えて
悪戦苦闘していたので

「わたしも上がりなのでひとつ持ちましょうか」と声をかけました。

『いつもと同じ量だから大丈夫」と
断られました。

人からの親切を素直に受け取らないのは
負けた気がするからなのかな。

少なくともわたしの手は借りたくないらしいので
これからは助けまいと思いました。

でもNさんも言ってたんです。
「大変そうだったからTさんに何か手伝おうかって
声かけたら『ううん、大丈夫』って言うから
もう言わないんだぁ。大丈夫じゃないのに何で意地張るんだろうね」って。

人が親切で言ってくれてることを受け取れない。

幼少期の家庭環境が影響しています。

○人に親切にしてもらったら絶対返さなきゃならない
○手伝ってもらうってことは自分が劣ってるからだ
○甘えることはいけないことだ

いろいろな決めつけがあるけれど
良い人間関係を築けなかったんでしょう。

人に親切にして見返りを求める人もいます。

「助けてあげたのに助けてくれないなんてひどいよね」

助けた相手が返してくれないと
<恨む>ので厄介です。

だったら最初から力を借りないことが安全になりますね。


わたしは
「○○してあげたんだからしてくれるよね?」という
<見返りちゃん>には冷たい態度を取ります。

自分を助けてもらうことを前提に
手助けするなんて。

今の職場には<見返りちゃん>が多いので
厄介です。

最初の頃はそれを見破れないので
罠にかかり、距離を置いたら
仲間はずれにされました。

<自分のできることは自分でやる>

生きていくための基本ですよね。

それがめんどくさいとか
辛いから苦しいから
誰かにやってもらおうと思っていたら
幸せは感じられません。

自分で出来る当たり前のことを
誰かにそっと手伝ってもらえたとき
「ありがたい」って感じるからです。

辛いな、苦しいなって状況を知っているからこそ
「ありがたい」って感じるから。

嫌なことだから誰かに押し付けちゃえって
ラクしたいだけなら
進歩はできません。

得られることがないからです。

夢を叶えてる人は
人には見えない小さな努力をこつこつと重ねています。

日々の小さな努力が大きな実になるんですね。

苦しいから嫌だ。
辛いから嫌だ。

逃げ続けていたら成長はできないので
不幸な日々の繰り返しです。

たくさん嫌なことから逃げてきたわたしが
やっと前を向いて知ったことです。


成長するために必要だけど嫌なことなのか

自分の心が拒絶する苦痛なのかを

自分が見極める力も必要です。


「嫌だ」だけで片付けないで
じっくりと自分に問いかけるといいかもしれません。