今日は、気温が30度を下回り
久しぶりに涼しく感じました。
お彼岸ですものね。涼しくなるはずです。
夜は、虫の鳴き声が秋を感じさせます
私は、子供の頃
かなり天邪鬼でひねくれていました。
以前の記事<不幸なのは両親のせい>にあるように
素直だと、両親が関わりを持ってくれなかったからです。
相手を怒らせたり、無視することで気を引いていました。
そして「お前はひねくれているからダメだ。素直になりなさい!」と
執拗に責められました。
ところが、私には素直すぎる面もありました。
馬鹿正直というのでしょうか。
黙っていればいいのに、自分は潔癖だということを主張して
世渡りが下手というか、損をすることもありました。
我ながら馬鹿だな・・・と思いますが、自分に正直であることが私だったので。
私は自分がひねくれてるだけだと思ってましたが
素直な面もある・・・。ここには全然気付いていませんでした。
これに気づいたのは最近でした。
なぜなら、ずっと両親や周りに人に言われ続けた
「お前はひねくれている」ということだけに耳を傾けていたからです。
(ひねくれていたのは事実ですが)
(ひねくれていたのは事実ですが)
私のバカ正直な面を褒めてくれる人はひとりもいませんでしたし。
(いい部分を見てくれる人がいたら、ちょっと人生変わってたかもしれないですね)
これは私の中の概念ですが
『素直な人ってどんな人だろう』と思い浮かべたとき
●他人の意見に耳を傾け、アドバイスなどを快く受け入れる人
●子供のような純粋な心を持った人
『素直じゃない人ってどんな人だろう』と思い浮かべたとき
●他人の意見を聞き入れずに自分の意見を押し通す人
●人の意見に何かにつけてケチをつける人
こんな概念がありました。
そして、
素直な人=いい人
素直じゃない人=悪い人 という公式もありました。
でも、素直なだけの人もいないし
素直じゃないだけの人もいないんだと気付いてハッとしました。
世の中、いい悪いだけで判断したら成り立たないし
いい悪いの基準も私の独断だし。
世の中、いい悪いだけで判断したら成り立たないし
いい悪いの基準も私の独断だし。
一番まずかったのは、一方向からしか物事を見ていなかったことです。
特に自分が苦手な人や、嫌いだと感じている人については
いい面があるのに、そこは見ようとせずに失敗などをみては
「やっぱり、駄目だあの人」
「ほら嫌な人だよ」とマイナスのイメージを加えて
自分が好印象を持っている人が失敗しても
マイナスのイメージは持ちません。
こうして自分の分厚い色眼鏡で世の中を見ていたんだと気づきました。
逆をとると 相手も私をそうみているわけです。
【相手は自分の鏡】
ここでもやっと理解できました。
周りには敵しかいないとずっと思ってましたが
そうではありませんでした。
嫌だと思ってた人が私を助けてくれていたかもしれないと思うと
本当に申し訳ないと思います。
自分が誤解されて、嫌な思いばかりしていると
感じていましたが、そんなはずないです。
嫌だと思ってた人が私を助けてくれていたかもしれないと思うと
本当に申し訳ないと思います。
自分が誤解されて、嫌な思いばかりしていると
感じていましたが、そんなはずないです。
自分が変わり始めて、見える世界が変わってきました。
いつも読んでくださり、ありがとうございます
みなさまにたくさんの幸福がおとずれること祈っております