11月22日は父の命日でした。

父が逝ってしまってから2年が経ちました。
2年かぁ…

アドラー心理学ELM勇気づけトレーナー
人おこし組織おこしリーダー
本橋えつこです。
なんとかなる。それはやることをちゃんとやってる人のセリフ。byリトルミイ


父が亡くなった日は不思議なことの連続でした。
今思うと、それが虫の知らせということなのかな。

病院から父が心肺停止になったと連絡がきました。看護師さんが、
『延命措置はしない意思表示をされているので、心肺停止になってしまったら病院としてはこれ以上なにも出来ない。死亡宣告をしなければいけないので、すぐに病院にきていただけますか?』

母に連絡をしても全然通じないから東京にいる私のところに連絡をくれました。
夜中だったから高速もすいてるだろうし、一時間ちょっとくらいで着けると伝えました。

父が今回入院する時に、主治医が延命措置をするかどうかを母にたずねたそうです。
母は延命措置はしないと答えました。

その後、私のところに電話をかけてきて
『それでいいよね?』
と聞いてきました。
私は母がそれでいいと思うのならそれでいいと伝えました。

でも、今考えると、その時はまだ父は意識がしっかりあって、自分のこともよくわかってたのに、なぜ父に確認しなかったのか…と不思議に思いました。

なぜ母は直接父に意思の確認をしなかったのか…
たぶん母は聞けなかったのかもしれない。
父に聞いたら、本当にそんなことになってしまうかもしれないと母は怖かったのかも。

私の夫は
『きっとお義父さんに聞いても延命措置はしないっていっただろうね』
と言いました。私もそう思います。

病院について父の病室に入って
心肺停止になった状態のまま横たわっている父に向かって、何度か肩を叩きながら
『お父さん!お父さん!』
と声をかけたけど、その直後に
(あ もう逝っちゃったんだ…)
と思ったらその次に出てきた言葉は

『75年間よく生きてきたね。
よくがんばって生きてきたね。後半は辛いことが続いたけど、がんばって生きてきたね。お疲れ様でした。』
と声をかけていました。

父が亡くなったその年はすでに3回入院していました。
私は、2回目の入院のときが父の寿命だったような気がしました。でも、父が愛する母のことを思って、
(あとちょっとだけ、もうちょっとだけ)
と数ヵ月だけ命を延ばしてもらったのかも。

父が入院してから毎日母はお見舞いにいっていました。
そして、亡くなる日の夜、面会時間が終わる頃、
いつも母に向かって
『いつもありがとう』
と言う父が、その日は
『すまないねぇ』
と言ったそう。
すまない、なんて言葉をはじめて聞いた母は変なこと言うわねと思ったらしい。

でも、私はその『すまないねぇ』の意味は

先に逝っちゃって すまないねぇ
ひとりにさせてちゃって すまないねぇ
死んだ後のいろんな後始末をさせちゃって
すまないねぇ

という意味だったように思います。

四十九日もすんだころ、知人に父が亡くなったことを話しました。
そして私は

『父は幸せだったんだろうか…』

と呟いたら

『「幸せだったんだろうか」なんて思ってくれる娘がいることがもうその答えだよ。お父さんは幸せだったよ。』

と言ってくれました。

父が旅立つ日に自宅のベランダから撮ったものです。
痛みも
苦しみも
悲しみもない世界で
ゆっくり休んでください。

合掌