最近立て続けに出会った本
どちらも読み応えありました。
1冊は550ページを超える厚い本
もう1冊は学術書なので馴染みのない言葉が多くゆっくりと…
アドラー心理学ELM勇気づけトレーナー
人おこし・組織おこしリーダー
本橋悦子です。
ブログにお越しくださりありがとうございます。
「こんな夜更けにバナナかよ」は、筋ジストロフィーになった鹿野さんと鹿野さんを24時間介助するボランティアの日常を綴ったドキュメンタリー。
介助や介護について考えさせられることが多かった。
障害者の生き方・あり方について教えられることが多かった。
介助者や介護者は、本来ならしてはいけない医療行為をしなければいけない時があります。
タンの吸引は医療行為なので医療従事者でなければできないことなのだが、私は息子の吸引をしてました。
学校に通い始めたときは、毎日ポータブルの吸引器を学校に持参して保健室に置かしてもらっていました。
もちろん、保健室の先生は、タンの吸引はできません。
障害者が生活していく上で、保たれるべき衛生面でのことや必要な行動を手助けしていくのが介助者だけど、介助や看護をしていく人たちの心構えで大切なことは何なのか?
健常者は、自分が障害者になるかもしれないという想像ができるだろうか。
事故や病気である日障害者になるかもしれない。
高齢者になればなるほど体は動かなくなるし、内蔵も少しずつ動きが悪くなってきたり、いろいろなことが認識しづらくなってくる。
もし自分が介助や介護される側になったとき、
自分だったらどうされたいか。
私は、喉が渇けばなにかを飲みに立ち上がり、冷蔵庫を開けて冷たい水を口にする。
体が全く動かなくなっても私は喉が渇いたら喉を潤したい。
これからの世の中は介助や介護される人が
「申し訳ない」
と思わないようなそんな世の中になるように私も心のあり方を変えていきたいと思いました。
すべては平等。
立場は対等。
ただ人はそれぞれ生きていく上での役割が違うだけ。
「自己の可能性を拓く心理学」では、病気や事故により中途障害者になり、絶望感を味わってから、そこから目標や目的に向かってパラアスリートとして活躍するまでのライフストーリーが描かれています。
以下、抜粋
『障害の有無にかかわらず、人は人生において何らかの喪失体験に遭遇することがある。このような喪失体験が、自己の能力や可能性の否定、夢や目標の喪失といった「真の障害」へとつながることもある。この「真の障害」とは、医学的な診断を伴う障害を指すのではなく、自分の人生に限界を設定してしまうこと(ブイチチ 渡邉訳、2010)を指す。つまり、障害の有無にかかわらず、子どもから大人まですべての人にとって、自己の能力や可能性を否定してしまうこと、夢や目標を持てなくなってしまうことこそ、本当の障害と捉えることができるのではないだろうか。』
とあります。
時々、「障害」ってなんだろうなぁと漠然と考える時があります。
ある時、息子が私に言いました。
『ぼくは、みんなみたいにいろんなことができないけど、ぼくはぼくができることをがんばる!』
この言葉を聞いたとき、息子に教えられたような気がしました。
私は、
「そうだ、息子にだって出来ることはたくさんあるんだ」
と思いました。そして、息子は、失敗を恐れずにいろんなことに挑戦しました。
なんでもやったみたい!だからやる!を実践していました。
でも息子が失敗したり、みんなと同じようにできなかったときは、クラスメイトからは心無い言葉をかけられたり馬鹿にされたりしたこともあったけど…
でも、息子は不完全である自分を誰よりも受け入れていたように思います。
だから、人のすべてを受け入れられるんだろうなぁと思います。
器官劣等性のある息子には、劣等感を感じません。
アドラーは、器官劣等性(生活に支障をきたすような身体的な欠陥や障害や疾患など)は、劣等感とは必然的に関係がないと言っています。
劣等感は、自分自身が劣っていると感じてしまう、あくまでも主観的な感覚です。
私は、「障害は個性」という言葉はあまり好きではありません。
だけど、すべてをひっくるめてその人であるんだということを実感しています。
一人ひとりがユニークな存在である
唯一無二の存在なんです。
だれでも。
だからみんな大切なんです。
まずは、そんな唯一無二の自分を大切に…