2000年2月11日も今日と同じく空が真っ赤に染まりました。
今日の富士山と空も神々しい
大学時代の同級生…出会って15年
結婚して10年目の建国記念日
前夫は2年間の闘病生活をした後スキルス胃癌で亡くなりました。
享年34歳
本当に優しく楽しく健康優良児だったのに…
オールAだった会社の健康診断の1ヶ月後。
スキルス胃癌が判明
先生から余命が厳しいと聞かされ
(もちろん本人は知らず、当時31歳だった私だけが先生からうかがいました)
当時インターネットもない1998年。
スキルス胃癌をあまり理解できず、夜中にふたりで近くの本屋さんへ
医学書を見つけてそこにあった解説
スキルス胃癌ステージ4の5年生存率は5年
残酷な解説でした。
足がガクガク震えるという体験をしたのは
この時だけ…
でも、生きることを諦めずに最後まで闘った彼は21年前の今日、力尽きました
胃がなくなり、まともなお食事ができない2年間ではありましたが
「一生食べられなくても良いから生きていたい」と言っていました。
亡くなる前日夜…
病院から帰ろうとしたら看護士さんが私に
「今夜は泊まっていけますか?」と。
癌が腸膜に転移し、腸閉塞を起こした上に
おそらく全身に転移していたのかもしれません。
痛みに耐える日々…
想像を絶する辛さだったかと思います。
その日も安定剤を打ち眠っていました。
看護士さんからは
「朝になったら目覚めると思いますよ」と言われて
朝までずっと寝顔を見て過ごしました。
後で聞いたところによると…
彼は「モルヒネだけは打たないでください」と言っていたそう。
最後まで意識がなくなるのを恐れていたのかもしれません。
そして、ようやく朝になり…
朝早く先生がいらっしゃり、私は先生のお部屋に呼ばれました。
「危篤です」と。
そこから12時間。
言葉は話せないけれど、耳は聞こえていた様子。
息がかなり荒くなり、看護士さんに
「聞こえているはずだから声をかけてあげてくださいね」と言われたので最後に耳元で
「また会おうね」と言った瞬間
彼の目から涙が溢れました。
2000年2月11日18時11分 享年34歳🌈
病室は17階…外を見ると今日と同じように空が真っ赤に染まっていました。
亡くなった人は、忘れられるのが一番辛いそう
亡くなる少し前、お見舞いに行った当時3歳の私の姪っ子に
「大きくなっても…僕のこと覚えていてくれるかなぁ?」と言っていました。
私はひとり残されてしまいましたが…
彼の死後もたくさんの優しく温かい人々にに支えられて頑張って生きています
皆様には感謝でいっぱい
いつかまた彼に会えた時に
「よく頑張ったね」と言ってもらうことがモチベーション
どこか遠い国に単身赴任してると思って生きていこうと思います🌏
生きてることがどれほどありがたいことか。
毎年…今日はそれをあらためて感じる一日です
また明日から頑張ろう
日が落ちる前、空には天使の雲が出現
嬉しい