(1)意味の無いケアプラン点検
以前、我が社にケアマネを雇っていた頃、一度だけケアプラン点検に同席したことがある。結論、これは受ける必要はないという事に思った。どういうケースを提出したかは分からないが、おそらく困難ケースというか、持て余すケースだったと思う。
例えばアセスメントというのは必ず聞かなければならない項目というのはあるが、それ以外にもプライベートに踏み込むものも聞いておく必要が無いわけでは無い。
普通、そういうケースは時間をかけてゆっくりと人間関係を作りながら話を聞き出すことが多い。それも当たり前で、何年たっても収入額を知らない人もいるし、家族関係を明かさない人もいる。それはその人の価値観であり、触れられたくない所かもしれないからだ。
しかしケアプランチェックのファシリテーターは、一応の理解をしているふりをしながら「もっと聞けると思うんですけどね~」なんて上からいうものだから、結局は受けて何の役にもならないお説教になってしまうのだ。
(2)ケアプランの目標は
ケアプランというのはどこを目標にするのか、という事である。
一つは運営指導に引っかからない事。
そしてもう一つは利用者や家族の満足度という点である。
まず一つ目の運営指導に引っかからない事というのは、会社経営としても絶対条件である。どんな良いプランであっても一つのミスで介護報酬を返還させられるという恐ろしい仕組みであれば、そもそも業務として成り立たない。
利用者の為になったプランであったとしても、その土台である会社が崩れてしまえば、そもそも成り立たないのだ。
そして二点目の、いわゆる顧客満足度である。
一般の人は介護保険がなんであるか、どういうサービスがあるのか、そのサービスを使って、どんな効果があるのかを知らない。
よく「ピン シャン コロリ」という。いわゆる健康寿命から平均寿命までという例えが正しいかは分からないが、要介護状態になったとしても寝たきりの時間を出来るだけ少なくするという事を介護側は一つの目標にする。
利用者や家族としてもそれを望んでいるが、それでも動作能力は落ちていく。それは「いくらリハビリをやっても良くならないじゃないか」という不満にもつながる事もあるので、「それなりに維持されている」位がリハビリとしての成功なのだろうと思う。しかしそれでは利用者や家族も納得しない人もいるだろう。だからそうした過程においての疑問に寄り添える存在こそがケアマネなのだと思う。
ついでに言えば、例えばリハビリにおいて通所リハ、訪問里は、機能訓練型のデイサービス、どれを使ってもうまくいく時もあればそうでない時もある。
だからそれを論って「こっちのサービスの方が良かったのに、何で紹介しなかったんですか?」と詰められれば「別に理由は無いですけど何か?」と言いたくなるだろうとも思う。
(3)指導という名の自己満足
つまりファシリテーターの役割というのが、これからもケアマネを頑張っていこうという励ましの存在であるならまだしも、あれが抜けている、これが抜けているというお説教型の存在であるならば、全く受ける必要はない。
そもそも運営指導で介護報酬が返還されず、利用者や家族も一応の満足をしているなら、それが一番だからだ。
だからこういう場に出すケースは架空の人物で、突っ込みが入れられないものにせざるを得ないと思うのだ。
それで、自治体によっては運営指導の一環でケアプランチェックを行っている所があるという。確かにそうでもしないとケアプランチェックに行かないからだろうと思う。しかしそうやってケア面を追い込むことで、更にケアマネは離れていく。
自治体の在り方はケアマネの支援をすることで、指導する事ではない。その原則こそ、ケアマネが主張すべきことでは無いだろうか。
