(1)頑固者だって人は人
私の利用者でやはり記事のような頑固者がいる。
同じように口も悪くても早い。すぐに癇癪を起し、自分の思い通りにならないとケアマネの私にも絡んでくる。
しかしコントロール不能になるかと言えばそうでもない。
それは私に交渉能力があるという事ではなく、おそらく専門性の問題。介護については私が彼の知識の上を行っているだけの事だと思う。
(2)家族の恨みを買う父親
家族の中で威厳のある立場の人、大体は父親になると思うが、そういう人が困っていて解決方法を家族に求めても、余程の事が無い限り聞く耳は持たない。場合によっては「俺に意見するなんて何事だ!」と怒り出す人だっているだろう。
そうした中でその人の存在意義を見出し、新しい人として家族の中で存在感を再度構築できるかと言えば、記事のようにうまくいくとは限らない。
家族としては今までの恨みつらみもある。
今までつらく当たって悪かったとでも言ってくれれば多少の気も晴れて許してやろうと思うかもしれないが、やられっぱなしではいつかやり返してやるという思いがあってもおかしくない。
ではなぜ今まで問題にならなかったのか。
一つは介護の実態が隠されていたという事。
もう一つは、子供が親を乗り越えて家長になっていったという事。
(3)生きるのに精いっぱいの意味が違う
「子供の頃は親に従い、結婚したら旦那に従い、年を取ったら子に従う」という事を言われていた。常に従うという事であれば問題も起きない。そして昔はそんなにやりたいレジャーや趣味も無かっただろうから、自分の意思を主張する事も出来なかったと思う。
それに子供が大きくなって一家の大黒柱になればそれに従うという所だ。戦国時代でも家督を子に譲るとなれば、親はご隠居様で上座には座らない。
それは生き方の問題であって、今の時代は家督を子供に譲るということは無い。核家族化した現代では、核になる自分の家族の生活だけで精一杯だし、遊びにも行く事にもなるだろう。
おそらく昔はレジャーというものも、村のお祭り位なものだったと思う。生きるのに精いっぱいな時代と今では親子関係だって違う。
(4)介護に答えは無い。
昔のように親子関係が逆転し、子に従うという事で家が上手く回っていた一方、上手くいかなければ押し込められてという事もあっただろうと思う。
この記事の事もどう思うかは人それぞれだと思う。
上手くいかない、もがきながら時代は進んでいく。
