七夕の次の日は。
七夕の由来ってなんだろなと調べてみた。京都地主神社のサイトより、3つが合わさったものらしい。
(1)もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」
(2)おりひめとひこぼしの伝説
(3)奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」
私たちのよく知っている『おりひめとひこぼし物語』の原型は中国の神話『牛郎織女』からで、さらにその起源をたどると、古詩十九首(こしじゅうきゅうしゅ)という五言詩の中の『迢迢牽牛星』という作品らしい。
明の馮応京著『月令広義・七月令』の引く梁の殷芸『小説』には更に詳しく記されており、河東に住む天帝の娘である織女(織姫)が河西の牽牛郎(牛飼い、彦星)に嫁ぐことを許したが、嫁いだ後に機織りをやめたことで天帝の怒りを買い、河東に戻ることを強要、1年に1度だけ会うことを許した、と記されている。
遙かなる牽牛の星 白く輝く天の河の女 ほっそりと白い手をあげ サッサッと機織りの杼を操る 一日かけても模様は織りあがらず 涙は雨のごとく流れ落ちる 天の河は清らかでしかも浅い 二人の距離もいったいどれほどのものか 端麗な織女は一筋の河に隔てられ 言葉を交わせずじっと見つめているばかり
牛郎織女(迢迢牽牛星の訳)
ともかく7月7日のキーワードは
女の機織りの仕事
男の牛飼いの仕事
一年に一度の男女の出会い
そして、水(涙・雨・河)
これらが何を意味するのか。ということについての記事を7月7日にアップしました。
出雲大社の謎を解いていく記事ですが、7という数字と先ほどのキーワードの結びつきは後編で具体的に書く予定です。
7が重なる日は、会えそうで会えないから悲しい。7の次は8。8には何かがある。昨日は悲しい出来事がありました。わたしは、ツイッターでこんなことをつぶやいた。
ぱんちゃん@hapinemiku悪口や批判が多くなると、鬱々とした空気感を作って、それに感化された人が今日みたいなことを実行したりするから、別問題ではないんだなぁ。 https://t.co/Nfqgysd3mK
2022年07月08日 23:19
ぱんちゃん@hapinemiku悪口も批判も、今回みたいなことが起こる覚悟を持ってするべきだよね。そういう罪悪感を乗り越えたら何かが変わるのかもしれない
2022年07月08日 23:27
自分の仕事(ツイッターのちょっとしたつぶやきなど)がいつかどこかで、なにかの実を結んでしまうのがこの世界。
自分の仕事ひとつで世界は変わる。あべちゃんの死に自分は関係ないと思っているそこのあなた。大国主に怒られちゃいます。とても小さな点と点であっても、それらはどこかで繋がっていることを教えてくれるのが、出雲という場所。
出雲大社は「縁結び」で有名なのだけれど、男女の縁結びだけで考えてはいけない。出雲は『すべての点をつなげる仕事』が行われる場所。八百万の神が一年に一度集まって、ありとあらゆる縁を結ぶ。この恐ろしさがわかるだろうか?
「生きる」ってどういうことか、これから日本人はほんとうに実感していくのかもしれない。
「生きる」ことは目に見える現実の、全てを負うこと。縁を背負うこと。
苦しみを背負うことは、とても辛い仕事で、それが人間が生まれたときに課せられたもの。大きな責任を負いきれない人が、他殺したり自殺したりする。
おりひめとひこぼしが会えそうで会えない7月7日。
ほんとうは、出会っているのに、出会っていないと感じてしまうのがわたしたちなのかもしれない。
8を「悲しみ(死)」の始まりにするのか「喜び(生)」の始まりにするのか。
けれど、8の中には『悲しみも喜びも同時に存在する』ことを、わたしたちは知っているはずだ。七転び八起きってやつだ。
それを思い出すためにすべきこと。織姫は、織仕事をせねばならぬし、牽牛は牛を育てなければならぬ。苦しみを背負いながらする仕事が大事。8の日に完成を迎えるまで続けること。そしてまた始めること。区切りを意識することが肝心。
出雲大社に特徴的なお参りの4拍は「区切り」の強い意識なのではないかと、いまふと思った。田の字、四隅にある忌竹のイメージ。音を発するものは中心に。