こんにちは。
子供達の発達障害・不登校・精神科入院
私のせい😢と自分責め
「母が、妹が」と原因探しを続けて50年
オーラレコードリーディングと
ダウジングソウルセラピーに出会い
本当の自分で生きる悦びを
感じられるようになった かず枝です^^
(黒歴史シリーズ目次はこちら)
このブログでは、
わたしが生き返ったポイント💡
学んだことなど🌱
シェアしていきます💖
こんにちは。
私の妹は、重度の知的障がい者です。
幼稚園から小学校の低学年の頃まで、
外で遊ぶのが大好きで、
団地の前を奇声を上げながら
ふらふら歩き回っていました。
ごみ集積所の水道で水遊びをするのも好きで、
ときには裸になってしまうことも💦
そんな妹ですから、
どうしても目立ちます。
私が小学生のころ、
妹の真似をしてふざける子がいて、
よく馬鹿にされました。
本当は怒りたかったのに、
私は何も言えなかった(-_-;)
極度の引っ込み思案で、
どうすればいいのかわからなかったのです。
「怒る」ことができず、
「自分の意見を言う」ということもわからなかった。
人とどうやって関わればいいのか、
コミュニケーションというもの自体が分からなかった。
そして、
学校でいじめられても、
母は気づいてくれませんでした。
中学生になると、
私はますます悩むようになりました。
どうして人と話すのがこんなに難しいんだろう?
なぜ、私は人とうまく関われないんだろう?
振り返ってみると、
母と「人間らしいコミュニケーション」
をしてこなかったことに気づきました。
母はいつも妹のことで精一杯
というのもあったし、
もともと、
まわりのことが見えていない人というのもあって。
(軽度の知的障害があるように思います)
私は話を聞いてもらう経験がなく、
そのせいで
子どものころに自然に身につくはずの「コミュニケーション力」が
身につかなかったのだと思います。
それで、
「こんなとき、どう答えるのが正解なんだろう?」
私はいつも周りの様子を伺い、
みんなの真似をして、その場をやり過ごしていました。
本音を言えず、
人に合わせてばかりの学生時代。
心の中は、いつも空っぽでした😢
いつしか私は
「母のせいだ」と母を恨むようになっていました。
でも同時に、
親を恨む自分を
「最低な人間だ」と責めていました。
「自分責め」していると、
自分が責められるような現実が
起こってしまう Σ(゚д゚lll)ガーン
負のスパイラルにハマっていました(涙)
🌟 🌟 🌟
今思えば、あの頃の私は、
誰かを責めたかったというよりも、
「分かってほしかった」
「愛されたかった」 んですよね。
そして、
「母のせいで」と思っていたけれど、
実はもともと私が
「分かってもらえない」
「愛されてはいけない」
というエネルギーを持っていたので、
それが現実化しただけのことだったのです。
母は相変わらずですが、
自分のエネルギーを変換したおかげで、
「分かってもらえる」
「愛される」
経験を今、取り戻していますよ^^
