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人気blogランキングは?  神津島(伊豆七島の一つ)で、第1回「ジュリア祭」が開催されたのは、昭和45年5月24日
であった。                                    おたあジュリアの墓とされた宝塔様…実は?
寿 利 屋 JULIYA-神津島  その模様を、当時の「東京七島新聞」は、『盛大な“ミサ聖祭” 没後三世紀半で実現』との見出しをつけ、大々的に報じた。
 カトリック教徒360人が参加し、韓国婦人やベルギー人神父の姿も見られるミサ聖祭で、信者たちはミサの終わった後、島内観光や、地元観光協会主催の郷土芸能などを楽しんだなどとある。
 以来、この「ジュリア祭」は、毎年5月中旬ごろ開催され、今年、第43回目を迎えるという。
 因みに、NPO法人神津島観光協会のホームページを見てみると、「ジュリア祭」について、次のように紹介している。
 ジュリア祭(おたあジュリア顕彰碑前)
 徳川家康のキリスト教禁止令に背いたためにこの島に流刑となり、殉教の一生を送った韓国人女性キリシタン『おたあジュリア』の遺徳を称える祭典です。韓国人を含むカトリック信者が来島し、ミサ、日韓親善芸能大会などが国際色豊かに行われます。
 「ジュリア祭」は、年中行事として、その歴史とともにすっかり定着し、この島の観光に大きく貢献しているようだ。
寿 利 屋 JULIYA-『切支丹が来た島』津田三郎  ところで、以前にも書いたが、津田三郎著『考証・切支丹が来た島』(1981 現代書館)は、「神津島に流刑されたという女殉教者・おたあジュリアをめぐって展開された奇妙な殉教者美化の過程を克明に描いた」ドキュメンタリー。…津田さんの訃報に、彼の書いてきたものを、じっくりと読み返しているなかで、今でも、彼が追いかけていたテーマが、私の心にも「しこり」のように残っていることに気づいて驚いている。
 右下の写真は神津島村教育委員会が、昭和45年3月31日(第1回ジュリア祭の開催された直前)、史跡として流人墓地にたてたものである。私が撮影したのは、確か昭和55年、津田さんの取材旅行のすぐ後のこと、そこには、「西側にある朝鮮様式の石造二重塔は、慶長17年(1612)春流罪となり、40年間キリストの信仰に生きた聖女、オタアジュリアを祀った墓碑である」と、奇しくもジュリア祭の裏付けとなる由来が、はっきりと書かれている。…今もこのまま残っているか、あるいは内容を書きかえてあるものか定かではないが…。
寿 利 屋 JULIYA-(C) JULIYA   ところで、津田さんは、その綿密な取材と、多くの参考文献や資料を読みあさる中で、当時すでに、次のような結論を得、問題を提起している。…要旨をそのまま引用してみる。

 『確かにジュリアは神津島に来た。そこまでは事実だった。だが、それから40年生きて、この神津島で帰天したとか、石田三成一族との結びつきの話も、宝塔様、榊、線香の伝承も、みな数人の推理作家たちによる創作だったことが歴然としてきた。…(中略)…まだまだジュリアに関する新しい資料が出てくる可能性はいくらでもあった。…(中略)…それにしても、新しい事実が出てきて推理作家たちが傷つくのはいい。だが、そのとき一番傷つくのは、…(中略)…踊らされた島の人たちであり、真摯な殉教者といわれているおたあジュリアそのものではないだろうか。…(中略)…だが、予断は許されなかった。事態は切迫していた。事実を知らぬ本土の人たちの中には、「東日本における最大の殉教者遺跡」だとか、「神津島はこのような崇高な女性を育成しただけでも世界のキリスト教史に記録されるべきである」などと、もてはやしている人たちもいたからである。』
 そこで気になるのが、今現在、「神津島のおたあジュリアは、一般にどのように捉えられているのか?」、少なくも、私の腑におちるような「
理解のされ方をしているのか?」…ネット上だが、ちょっと調べてみた。
 まず、「Wikipedia」は、つぎのようにまとめているので、ほぼそのまま引用させていただく。
  『おたあの最期についての詳細は不明であるが、1950年代に神津島の郷土史家により、島にある由来不明の供養塔がおたあの墓であると主張されたことから、おたあは神津島で死んだことになり、以来同島では毎年5月に、日韓のクリスチャンを中心として、おたあの慰霊祭が行なわれ、観光資源となっている。しかし、実際には「日本発信」1622年2月15日付フランシスコ・パチェコ神父の書簡に、おたあが神津島を出て、大坂に移住して神父の援助を受けている旨の文書があり、その後、さらに大坂から長崎に移ったと記されており、おたあが神津島で死亡したとは述べられていない。』
 さすがに、できるだけ史実をふまえようとする姿勢が感じられる。…が、南国“ NANGOKU”(ダイビングのお店)というサイトは、次のように紹介している。
 『神津島の前浜港からビーチを見て右上の丘に目をやると大きな十字架が見えます。ここはアリア展望台という“おたあジュリア“の碑です。その昔、豊臣秀吉による朝鮮出兵での孤児を哀れに思ったキリシタン大名小西行長は日本に連れて帰り、霊名“おたあ・ジュリア”と名付け大事に育てました。

寿 利 屋 JULIYA-(C) JULIYA  その後徳川家康との戦で敗戦し、おたあジュリアは行長の生家薬問屋で勤め、大奥に勤め、キリシタン廃止令により島流しの刑になり、神津島に流れ着いたのです。神津島では村人と共に働き、薬の知識を活用し、読み書きを島人に教え、村人と共に幸せに尊ばれ、生涯を閉じました。
 村内の交番と郵便局の間に流人墓地があります。今でも花が絶えず、綺麗に整備されています。婦人が具合が悪くなったら、そこに眠るジュリアの墓(宝塔様)の触れ、痛いところをその手でさすると痛みが無くなると言われています。』
 いやはや、「推論」がみごと歴史・伝承として疑いなきままに定着している感がある。…それとも、歴史は歴史、観光は観光と割り切っているとでも言うのだろうか。
       昭和55年頃の流人墓地          いずれにしろ、津田さんの杞憂は、そのまま現実のものとなっている。
 ここは、是非、神津島の人たちの、「実は、こう思っている」というお話をお聞かせ願いたいものである…。

〔PHOTO:JULIYA〕
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【無断転載使用不可】

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