いつも母が教えている生徒は

レベルが半端ない生徒ばかりなので

耳だけは肥えていた。

 

だから講師演奏も「上手だな」

位しか思えなかった。

 

母は

絶対自宅では練習はしない

 

だからピアノを始めて4年間

母の演奏を聞いたことはなかった。

 

母が弾いたのは

「リスト作曲 ラ・カンパネラ」

だった。

 

この曲は「パガニーニ」

という天才バイオリニストが作った曲だが

 

当時のヨーロッパでは音楽=オペラ

という世界の中で

 

「1つの楽器で演奏会をする」

という考えはなく

 

あくまで「オペラ」を盛り上げる

「裏方的存在」に過ぎなかった。

 

しかしパガニーニは

その優れた技術と観客を魅了する情熱で

初めて「バイオリンだけの演奏会」を開催し

大成功を収める

彼の

「誰もまねのできないテクニックと情熱」

「情熱が凄すぎて

途中弦がどんどん切れていき

最後の1本になっても

弾き続けられる超絶テクニック」

 

彼は当時ヨーロッパのほとんどの国の

スーパースターだった。

 

リストもその演奏に心を奪われ

苦心の末

「ピアノ版 ラ・カンパネラ」を作曲する

 

彼もまた「ピアノ界のアイドル」

として、ピアノの独奏会という

新しい可能性の扉を開いた一人だ

どんな難曲も初見で弾ける天才だった。

 

「ラ・カンパネラ」は

彼の残した「超絶技巧練習曲」

と名が付く曲の1つだが

「超絶技巧」の名の通り、

 

「誰もまねのできない

演奏技術と

圧倒的なスピード」

 

彼はこの曲を何度も編集し直すが

一番最初のプロトタイプは

プロの演奏家でも

完全にリスト本人のレベルで

弾ける人はいないだろうと言われている。

 

 

これも分かる人しかわからいが

右手の指の運びが尋常ではない。

というよりも、右手は常に動いており

「小指+薬指のトゥリル」が隋j所にある

(いわゆる高速連打)

曲の練習前に「ハノン」を1番から最後まで

連続で弾き、

それを最低でも3回はやる。

 

これを5歳以降は

毎朝保育園や小学校に行く前に

必ずやらされた。

 

更に小学校ではピアノがないので

休み時間は自分の机で音を想像し

「エア ハノン」を繰り返していた。

 

この曲を5分以内で弾いたという

リストのレベルになる為には

この基礎練習が肝だった。

 

5指の稼働速度を最大限にしてからじゃないと

とてもじゃないが最後まで右手がもたない。

 

しかし一方で

この楽曲を「全く別の解釈」で

素晴らしい演奏をするピアニストもいる

 

敢えてゆったり弾く人もいる

フジコ・ヘミング

などがその代表だが

彼女が弾くと、良い意味で

曲の醸し出す主張そのものが

変わる。

 

他にもユンディ・リは

最初はゆったりだが、

クライマックスは

カメラが手の動きを追いきれないくらい

物凄い迫力で曲をまとめ上げる。

 

 

「リスト」がそうだったように

この曲の神髄は

正確無比かつ圧倒的スピードと

緩やかな緩急による情熱的な

鐘の鳴り響く世界観

 

門下生の先生レベルでも

大体6分を切るくらいだった

それでも決して遅くは感じない

 

しかし母の演奏は

 

4分40秒という

「考えられないスピード」

でありながら

 

「正確かつ適度な緩やかさを挟みつつ

絶妙の強弱のバランス」

 

まさに曲名にあるように

「鐘が鳴り響く教会」

 

そのものだった。

 

演奏後、

すぐには拍手が起こらないくらい

幼心にも圧巻だった

 

間をおいて物凄い拍手が起こる中

堂々と退場していく母を見て

 

母のことは

心の底から憎くかったが、

母の弾くこの曲だけは

心からすごいという言葉しかなかった。

 

僕のすさんだ心を

鷲づかみして離さなかった。

 

そうやって

「もう少し頑張ってみよう」

と気持ちを立て直すが

 

ある時とうとう「死の宣告」を受ける

 

それは、

小学校6年生の演奏会の後

母は、

 

「あなたは

私のもてる全てを注ぎ

導いたが

残念ながら

ピアノの才能が全くない

それでもピアノを続けたい?」

 

一瞬思考停止しかかったが

「やりたい」

と伝えたところ、

 

「じゃあ〇〇先生にお願いするから

そこで練習をしなさい。

 

ただし、

教室用のピアノは

使ってはいけない

 

あのピアノは

才能のないものが

触れてはいけない

 

練習で使いたいなら

もう一台のアップライトの方を

使いなさい」

 

 

僕は一瞬母が言っている事が

理解できなかった。

 

「なぜ僕の意思で始めたんじゃないのに

こんなに毎日必死に母の言う通り

頑張ってきたのに

僕は否定されるんだ?」

 

小学生の僕には全く意味が分からなかった。

 

「スタインウエイ」のピアノに触れなくなる

事が何より悲しかった。

 

ピアノと聞くと「YAMAHA」とか「KAWAI」

と書かれているものを想像すると思うが

 

実家にある3台のピアノうち、

メインのピアノのは

「スタインウエイ」というピアノだ

 

勿論アップライトではなく

グランドピアノだ

 

中古でも、ものによっては

高級外車1台の値段で買えるかどうか

くらいだろう。

 

このように僕は

母親からこれでもかという位

自己肯定感を下げられた。

存在そのものを否定された。

 

そしてこれ以降僕は心がねじれ

「あるきっかけ」が起きるまで

生涯母を憎み続けた。

 

もう25年以上話すらしていない。

 

しかしピアノ自体は

母には内緒で続けていた。

母の門下生の先生に

習っていたのだが

 

その先生は

「柊先生は私たちにとって「神」です。

 にもかかわらず先生は

 私達の何倍も練習をしている

 先生が練習中は近づく事すらできません。

 

 先生自身が納得されるまで

 途中食事も水分補給もトイレさえ

 行く事なく

 長い時は10時間ぶっ通し

 という事もあります

 柊先生は命を削って

 ピアノに向き合っている」

 と教えてもらった。

 

 しかし小学生の僕には

 その意味が全く分からなかった。

 

確かに教室がない日や

大学の授業の日は

自宅に帰るのが深夜という日も

珍しくなかった。

 

そして母を憎みつつ

「ラ・カンパネラ」を

 

リストの目指したレベルで再現したい

母を超える演奏をしたい

そう思って

必死に練習した。

 

しかし残念ながらその後も

母を超える演奏は出来なかった。

 

5分位なら

ミスタッチも少なく

弾けるようになったが

 

母の言葉を借りれば

「自動演奏の方がまし」

というレベルだと

自分でハッキリ自覚していた。

 

5分を切る事も出来たが

4分半くらいだと

ここまでスピードを上げると

ミスタッチが多すぎて

聞くに堪えられない。

 

あの時言った母の言葉は

正しかったと実感した。

 

そうして僕は

約17年続けた

ピアノをやめた。

 

しかし、僕の心から

「母の弾く ラ・カンパネラ」

だけは消し去ることができなかった。

 

そのたびにあの時の

死刑宣告の時の

気持ちがよみがえり

苦しくなった。

 

そしかしある時、

「母を超えるピアニスト」

に出会い

僕はとうとう

母の呪縛から

解き放たれる。

 

彼女は僕と同世代で

若いころの演奏は

ややミスタッチが多いが

 

円熟期に入った彼女の演奏は

「これを超える人は

もう二度と出てこないだろう」

 

「ここまでリストの神髄を

再現できる人はいないだろう」

 

そう思えるほどすごかった。

 

そして、この時

「母の死刑宣告」の意図が

分かったような気がした。

 

母にとって、

ピアノは

「大事な仕事」ではなく

「命の一部」だ

 

だから母はおそらく

「センスがない以上

この世界では生きていけない

 

だったら、早々に気づかせ、

早く違う道を行きなさい」

 

そう思ったのかもしれない。

(ただの鬼だという可能性は99%だが)

 

確かに考えてみれば

母の門下生はもっといたはずだ。

しかし暖簾をあたえられたのは

10数名

 

そしてこれも後で知ったのだが

暖簾を与えられた門下生

つまり各教室の先生だが

 

何かしらのコンクールや

大会で

優秀な成績を上げている人

ばかりだった。

 

「ピアノを弾く」事は誰でもできる

しかし、

「ピアノに心を奪われる

そんな演奏ができる人」は

ごくわずかだ。

 

彼女のCDやDVDは

殆ど持っている。

 

その中には

僕が6歳の時

初めて発表会で弾いた

「月光 第3楽章」もある。

 

初めて聞いたとき、当たり前だが

「次元が違いすぎる」

そう思った。

 

彼女の演奏は日本に来日した時

直接娘を連れて家族で聴きに行った。

 

幸いなことに前から3列目の真ん中で

聞く事が出来た。

 

その演奏が終わった時

僕は涙がでた。

 

教育は世界を変えられる

すごい力がある

 

しかし、また

 

芸術も

人の心をわしづかみにし

汚れた心から

荒んだ心から

開放する力がある。

 

 

母の子育てはおそらく完全に間違っている

 

なぜなら彼女によって僕は

「自己肯定感」が

ほぼ0になったからだ

 

そして大人が信用できなくなり

荒れた子供になってしまった。

 

(いや、それは都合のいい解釈だ

とも思っている)
 

 

彼女は母親である一方で

ピアノに人生の全てをささげた人

 

こういう芸術系の人で

子育ても素晴らしいという人がいたら、

 

もしこのブログを読んでくださっている

子を持つ親の方がいたら、

どうか教えてほしい。

 

 

母はどう考えて僕に死刑宣告したのか?

何かちゃんとした意図があったのか?

 

それとも「我が子」さえ

「ピアノの魔力」の前では

母親であるという事を

忘れてしまうものなのか?
 

 

 

東急学院に入社後、ここまで

色々あったのはブログの通りだが

 

いつも車で彼女のCDを聞いていた。

 

それは今も変わらない。

彼女には何度も救われた。