娘の「いじめ問題の行方」については
最終的に解決できたが
 
一方で僕の幼少期はどうだったのか
振り返るきっかけの記事があったので
少し振り返りたい。
 
 
僕の両親は
母は某有名音楽大学のピアノ科の先生
父は地方公務員
 
父はいつも帰りが遅く、しかも寡黙
土日もあまり家にいない
そういうこともあり、
あまり口をきいた記憶がない
 
母は、大学で
ピアノ科の生徒を教える一方で
音楽教室を開いていた。
 
これはなくなった祖母から聞いたのだが
 
まだ音大生だった時
台湾と日本を行ったり来たり
していたらしく
 
誰もが知る、現〇〇副大臣兼財務大臣の
ご息女のお抱えピアノ講師もしていたらしい。
 
(ちなみに彼の地元に行くと
彼の名字のスーパーや病院などがたくさんあり、
彼の本家は現在重要文化財になっています)
 
その後母はその大学を首席で卒業し
母の門下生も10数人いて
それぞれもピアノ教室を開いていた。
 
母は、自分の門下生の教室の生徒の内
音大に進学する高校生
ピアノの大会に出場するエリートの生徒
のみを教えていた。
 
僕も2歳から母の指導をうける
1日5~6時間
休日は10時間近く
母がいない時は
門下生の先生に指導を受け
徹底的にしごかれた。
 
母がピアノを教えるとき
「親子」の関係はなかった。
 
こんなこと言っていいのかわからないが
ピアノを教えるときの母は
「高島ちさ子」をさらに強力にした感じだ。
 
分かる人にしかわからないかもしれないが
バイエル→ブルグミュラー→チェルニー30,40番
→ソナチネ→ソナタと進み
ショパンエチュード集に進んだのは
小学校5年生だった。
 
母はいつも「指揮棒」を片手に
「手首が下がってる」
といい指揮棒で手首を引き上げ
「左手4番の指もっと強く」
「全く気持ちが伝わらない!」
と言い指揮棒で手の甲を
「バシッ」とたたかれる
 
いまなら「スパルタ」ではすまない
「虐待」じゃないかとさえ思う。
 
年に一度
全ての門下生の生徒を
集めた発表会が行われる
 
大きなホールを2日貸し切りにして
年齢の低い生徒から順番に発表する
 
そしてプログラムの1日目と2日目の最後に
「講師演奏」というプログラムがあるのだが
ここで演奏させてもらえるかどうか
それは母が彼女らの演奏を聴き
2人を選抜する。
 
発表会が近づくと
家の中の緊張感がすごかった。
 
母が発表会全体の監修
プログラムの順番
そして各生徒が発表する曲をチェックし
 
必要であれば、
「演目すら変えさせる」
特に「同じ曲が被る」事を
極端に嫌っていた。
 
そして門下生とはいえ
「柊音楽教室〇〇教室」という
「のれん」を与えられ、彼女らも
教える立場にありながら
 
この選抜会では
母から容赦なく叱責が飛ぶ
中には泣いてしまう門下生もいた
 
そして母に認められた先生だけが
講師演奏を行う事ができる
 
そして最後に「母」が演奏する。
 
僕は2歳から始めたが
発表会にはなかなか
参加させてもらえなかった
 
これは後で知るのだが
発表会のたびに
「なぜ柊先生の息子は
出場しないのか?」
と噂になっていたそうだ。
 
理由は言うまでもなく
 
「柊の子供として
母の許容できるレベルではない
人前に出せるレベルではない」
ただそれだけだ。
 
6歳の時に初めて
「幼児の部」で参加を許される
 
その時弾いた曲は
ベートーベンの「月光 第3楽章」
これも分かる人にしかわからないが
この曲は
左右でメロディーラインが
交互に変わりつつ
正確な指のコントロールとスピード
強弱のスムーズさ
そして母の条件である
「7分以内で弾ききる」
という、6歳にとって過酷な曲だった。
 
「柊先生の息子」というプレッシャーを
幼いながらも感じながら
 
「失敗は許されない」
「母の看板に傷をつけてはならない」
そう考えていた。
 
幼児の部なので
和やかなムードの中
その最後に弾くのだが
 
「プログラム28番 柊蓮
ベートーベン作曲 月光 第三楽章」
とアナウンスが流れると
会場の空気は一変し
 
「いよいよ柊先生の
息子さんがデビューする」
そういう空気を幼心にバシバシ感じた。
 
母による特訓は正直つらかったが
ピアノを演奏すること自体は
すごく楽しかった。
 
うまく弾けない曲が
少しずつ弾けるようになり
母の評価はともかく
ピアノを弾く楽しさは
どういう訳か消えなかった。
 
初めての発表会という事もあり
緊張はしたが
 
大ホールという環境で
これまでの練習の成果と
演奏するうれしさで
7分弱の演奏時間は
あっという間だった。
 
ピアノを弾く楽しさ、
200人近くいるホールで弾く興奮、
そしてミスなくやり切った感
そういうものに包まれて
つかの間の幸せを享受していた。
 
きっと母も
「よく頑張った」とほめてくれるだろう
そう信じていた。
 
しかし、7時過ぎに母が帰宅すると
疲れと緊張で
いつの間にか居間で寝ていた僕を起こし
 
「何だあの演奏は?
注意した部分が全くできていない
あなたの「個性」がまったくない
ミスなく弾こうと考えるから
そうなる。あれなら
自動演奏の方がまだましだ
 
発表会に出すのは
まだ1年早かった
 
明日からもっと
死ぬ気で練習しなさい」
 
そういう叱責を2時間受けた
 
それだけ言うと母は
連れてきた門下生と
今日の発表会の反省会をしていた。
 
僕は自分の部屋に戻ったが
 
母の期待に応えられなかった事
自分では頑張った、
今までの中で一番上手に弾けた
そう思っていた自分を恥じ、憎んだ。
そしてずっと泣いていた。
 
そして
「もうピアノはやめたい」
発表会が終わったら
そう母に伝えようと決心した。
 
そんな複雑な気持ちを抱えたまま
2日目の発表会を迎え
高校生、成人の人
母に選ばれた講師演奏
 
そして最後の母の演奏が始まる
 
すでに心が折れていたので
 
それまでの人の演奏は
ほとんど耳に残らなかった。
 
ただ目の前で何かを弾き
また次の人が弾く
そのループをただ見ていた。
 
しかし、「母の演奏」を聞いて
僕は初めて
「心がざわついた」