今年の夏は、別れの夏だった。心の準備と言うけれど、どれくらい準備していたって、別れは不意にやってくる。

 

6月。今年の10月、105歳を迎えるはずだった大叔母さんが天へ凱旋した。苦しむことなく、有終の美を飾って…104年と8か月、笑顔の彼女しか思い出せないくらい、穏やかで明るい人だった。大往生と言う言葉通りの人生だったけど、でも、今もずっと彼女に会いたい気持ちが募る。

 

7月。37歳という短い命で突然旅立ってしまった教会の兄弟。9か月の赤ちゃんと若い奥さんを遺して、本当に突然、天に帰ってしまった。教会のバーベキュー大会で、いつもグリルの奉仕をして下さっていた。若く、健康的でガッチリしていた彼。一体何があったの?何で?棺の中で静かに眠っている彼に、何度も問いかけた、蒸し暑かったあの日。

 

8月。数えきれないほどの礼拝と交わりを共に過ごし、お互いに祈りあってきた、教会員たちとの別れ。5年前に、私たち夫婦は、宣教として今の教会に来た。この教会に来た時から夫と二人、主がこの教会を去る時を明確に示してくださいと、祈りつつ奉仕をしてきた。主はその時を示してくださり、先週の日曜日が最後の礼拝の日となった。

 

人生、折り返し地点に来て、今まで何度も経験してきた別れ。

 

片道航空券と赤いパスポートを持って、日本にサヨナラしたあの日。見送りに来てくれた、愛する友人たちや家族に、私は機内から、どうやってありがとうと言えばいいのだろう…泣きながら、機内の窓のシェードを上下に開けたり閉めたりして、ありがとう、またねと、合図を送ったあの日。その合図に気づいていたよと、Mちゃんから届いたエアメールに、嬉しくて、悲しくて、泣いた、7月のあの日…

 

さよならを言う時はいつだって悲しい。いつかまた天国で再会できることを知っていても、寂しい。近くに住んでいるのだから、いつだって、教会員の方々にまた会えるって分かっているけど、同じ教会では、もう一緒に礼拝しないんだな、って思うと鼻の奥がツンとなる。日本に住んでいる、古い友人たちにも、飛行機で18時間、いつだって会える。

 

でも、分かっているけど、それでも、別れに慣れることができないよな、と思いながら今年の夏が終わっていった。