とらむのこべや =浪速軌道隊=

とらむのこべや =浪速軌道隊=

昔の事、今の事を思いつくままに・・・・

「摂津住吉公園高燈籠」と名付けられた、この絵葉書。

「西大鳥居」が遠くに見えているので1903(明治36)年以降の光景です。

「十三間堀川」の西岸から、北東方向を向いて撮影されたもの。

左側に見えている「高燈籠」は、“復元”ではなく鎌倉時代に建てられたオリジナル。

「西大鳥居」から「高燈籠」の横を抜けていく道が、住吉大社への参道である「潮掛道」で

手前に見えている「十三間堀川」の辺りが江戸中期までの海岸線だとか。

「高燈籠」は、海から住吉大社へ向かう人の“道標”だった事が分かりますね。

また、海岸線沿いに建てられているので“燈台”としての役割もありました。

日本各地に「銀座」と名付けられた商店街がありますよね。

大半は東京の「銀座」にあやかって名付けられたものなんですが

この「銀座」って、どこが発祥の地がご存知でしょうか。

そんなの東京に決まってると大向うから声が聞こえて来そうですが、さにあらず。

「銀座」の始まりは、大坂。豊臣秀吉が銀貨の統一に向けて

京都・堺の「銀吹屋」20名を集めて「常是座(じょうぜざ)」を設けたのが始まり。

「銀座」の名前は、慶長6年に銀貨の鋳造所に付けられたのが最初で

「灰吹銀」を扱っていた堺の「南錂座」が、後に「銀座」となったのだそう。

「銀座発祥の地」は江戸ではなく、大坂の堺だったのですね。

ちなみに、江戸に「銀座」が誕生するのは、11年も後の慶長17年です。

「銀座」の元となった「南錂座」は、室町末期に誕生した銀貨鋳造所で

所在地は判明していないものの、大小路界隈ではなかったかと言われています。

108年目の鉄橋の上で、91年目と5年目の車両がすれ違う

阪堺電車の歴史がギュッと詰まったような光景です。

上下電車が、この鉄橋上ですれ違う事はあまり無いので

どちらか(おそらく164)が遅れているのでしょうね。

蹴上で専用軌道から併用軌道に出て来た600形。

まわりは地下鉄工事の真っ只中、背後の疎水も見えなくなっています。

春になると満開の桜が車窓を彩った撮影名所でしたが

線路が地面の下に潜った今では、見る事も写す事も出来ませんね。

南海天王寺駅の天王寺支線、まだ部分廃止の話も出ていなかった頃です。

南海のホームは、天王寺駅で唯一木造上屋の残る19・20番線で

普段は使われていない東改札口に続く階段も木造のままでしたね。

常時使われていた西改札は、当時でもクラシカルな雰囲気を漂わせていて

国鉄との連絡改札も含めて、普段は無人だったと記憶しています。

手前に見える2本の線路は、国鉄との貨物受渡しに使われていました。

現在、この場所には「天王寺MIO」が建っており、ホームの跡は荷受場。

改札口のあった場所は「天王寺MIO」への通路となっています。