パラリンピック開催まであと半年。





パラリンピックの理念
1、強い意志 
2、勇気 
3、インスピレーション 
4、公平・平等


柔道グランドスラム2020パリ大会(フランス)が2/8-9に開催され、白熱した戦いが繰り広げられた。
その一方で、視覚障害者柔道のオープン大会がドイツのハイデルブルグで8日に開催された。カデとシニアの試合が行われ、ヨーロッパを中心に20カ国を超える参加があった。

私はこの試合に出場し、銅メダルを獲得した。

この大会後、「パラリンピックの4つの理念」に掲げられている「公平」について、考えさせられることとなった。

勉強不足かもしれない。
経験が足りないのかもしれない。
無知、未熟さを踏まえて、「公平」もしくは「平等」について、疑問視するようになった。障害が重度になるにつれ、疑問は膨らむばかりだ。

話をすすめる前に、障害のクラス分けと柔道の特徴について説明したい。
まず、視覚障害について。B1とは光覚以下の「全盲」を示す。B2・B3は視力障害・視野障害の程度の差により区別された「弱視」を示す。
障害者スポーツにおいて、障害のクラス分けは重要視され、クラス別に競技が行われる。しかし、柔道は障害のクラス分けは無く、体重別に分けられて競技が行われる。利点は「特別なルール、特別な道具、特別なサポートが必要ない」ため、どこでも誰とでも競技できる最もユニバーサルな障害者スポーツと言える。欠点は、障害に対する配慮が少ないこと。重度障害を持つ選手にとっては過酷な環境であると言える。

私は先天性の弱視のため、しっかり見えたことが一度もない。
だから、柔道を学ぶ上で沢山の工夫をしてきた。
それが、成人したころから悪化が進み、現在はほぼ目視ができない。
私は昨年の夏からB1選手となった。
普段の生活や練習、試合の全てにおいて、弱視選手との差を大きく感じるようになった。普段から弱視の選手が身近にいるからこそ、知ることができた事実だ。
(一つ注意したいのだが、B2/B3とB1選手の試合を分けてほしいと言っているわけではない。)

「公平」「平等」という理念への疑問視は、二つの理由がある。
・一つ目は、ルールについて。
障害のクラス分けがない以上、ルールでの「差」をつける必要があると考える。今大会において、「場外指導」を受けた。だが、どちらが場外なのか、審判の声を聞いて判断するまでに、少しの猶予がほしいと強く感じた。立ち技から寝技に移行する際においても、帯より下を触ってはいけないというルールは、難題である。
・二つ目はクラス分けの信憑性だ。
他国のB1選手は、自力歩行が可能で、食事を自分で取り分けることができる。自分の世話を自身で行えるのだ。あってはならない光景だ。

この二つのことから、「公平」「平等」の理念が無視されていると感じずにはいられない。
念を押すが、B1選手の別カテゴリ化を求める文章ではない。

「ルールの中での自由」は、アダプテッドスポーツの醍醐味だ。
「畳の上での平等」は、柔道と障害者柔道をつなぐ最高の合言葉だと思う。
この言葉を目標に、理想に、競技してきた。
でも、三度目のパラリンピックに挑戦している今、疑問視せざるを得ない。

アイマスクの着用が難しい柔道において、この問題は今後大きな課題となるだろう。


つづく


半谷静香