謝るとは | shukoの揺蕩うはねちブログ

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生きよう。生きていたい。と思う程たのしくて幸せで豊かに過ごせるように、自分に湧く気持ちを丁寧にみる努力をしています。

自分が絶対的に悪くないのに、
理不尽に責められても深々と頭を下げて謝る上司。

それが理解できなかったし

私だったら
理不尽に扱われている状況で
自分が悪いなって思って納得できないと絶対に謝れない


なのに
平気に謝る


今回の件の原因は何が原因なのか分からないので
もしかしたら
こちらに原因がある可能性もある。

でも、証拠も確証も何もない。

肝心のもう1つの業者もおらず
手順や作業工程からして その業者の不手際の可能性が物凄く高い

なのに100%この人が悪い!と責任者が決めつけ、
お客さんにもそう言い、
2人で上司1人を悪者扱いをする。

そもそも現場監督不行き届きで
今回の件は、結局は どう見ても責任があるのは責任者なのに

指示を誤ったり注意を怠った人は責任者なのに

保身の為の責任逃れで他人を悪に仕立て上げてる。

それが、第三者の私にも分かるくらいな
酷い人間性の持ち主な責任者に対しても
お客さんに対しても

上司は平謝りしている。

どうして100%自分が悪いって思ってもないのに
そんなに謝れるのか聞いてみた


『守るものがあるんだよ。
それは家族だったり、会社だったり、従業員さんたちだったり。
守るものの為なら いくらでも謝るよ。
いくら自分が悪くなくても
明らかに相手が悪くても
自分の立場を考えたら
反発して事態や関係性を悪化させるより早々に謝った方が賢いんだよ。
納得いかないって意地張って黙ってたり謝らなかったり怒って事態を悪くして悶々として時間を過ごしていくより、
謝ってその件は早々に終わらせることで
自分もスッキリする。
謝るってのはね、世渡り上手の術なんだよ。』


これは
経営者だからこそなのか、
相手が取引先で、こちらが下請けという関係性だからなのか、

きっと両方だろうね、

私は雇われることしか経験したことがない立場なので経営者の立場は理解はできない。


責任者なのに他業者の他人へ責任を全てなすりつけ、
自分は絶対に謝らないという、
人にとしての在り方は私は好きではない。

その人にも、その人の所属している組織すら
見る目が変わってしまった。

安心安全、感謝やお陰様など耳障りの良い言葉を並べ、
やっていることも世のため人のため地球に優しい。

が、
現場では本質が現れる。

理念やポリシーは上辺だけなのか、
はたまた、その理念やポリシーは経営者だけで
従業員にはそういう想いはないのか。


今回の件で
経営者の立場や
人としての在り方など

とても学べた。


でも、1番学べたのは、

【謝るとは】ということについて
自分と向き合ったこと


悪くないのに謝る上司に対して怒りが湧いた。

悪くないのに謝るなよ!
もっと自分大切にしろよ!

私の中で

謝るとは、

負けること。
自分は悪いと認めること。
自分が悪い=自分がダメな人間
謝ることで自分の価値が下がる。
自分には価値がない。
存在価値がない。

という設定があることが判明した。


それホント??

謝ることは自分の存在価値を低くするかな?!
しないよね!
関係ないよね!
謝ることと自分の価値は関係ない!

世の中を上手く渡る為に謝ることもあるんだ。

本当に自分が悪かったら謝罪して詫びる。
でも自分が100%悪くない場合でも
自分の立場や状況によっては守りたいものの為に謝罪して詫びることもする。

そもそも謝りたいと思うのは、
相手と これからも上手くお付き合いしていきたいという気持ちからだ。


【謝るとは

あなたと上手くお付き合いしていきたいという現れ】

その理由は時と場合により
本心からの詫びる気持ちだったり、
世渡り上手の術だったりする。


私の中で着地して


今日は得るものがとても大きな1日でした。