宗教やらマルチやら | shukoの揺蕩うはねちブログ

shukoの揺蕩うはねちブログ

生きよう。生きていたい。と思う程たのしくて幸せで豊かに過ごせるように、自分に湧く気持ちを丁寧にみる努力をしています。

私は生まれつき宗教に入っている。

祖父母も曾おばあちゃんも両親も創価学会員の家庭に生まれ育った。

皆、時々やる集まりに行ったり毎日お経を唱えたりと
割と熱心にやっていたと思う。

私は自主的では無く、
家族からの刷り込みみたいなものがあり、
言われるからやるみたいな感じでやっていた。


集まりに行ったりお経を唱えることも習慣化していたし、特に何のデメリットもないので未だに入ったままだ。

沢山のアンチもいて週刊誌も酷い事書いてるし
カルトだとか言われてるけど、

そういう事を言う人は本当の学会の中の事を知らないから全て憶測だけで言っている。

保護施設に勤めてるから皆良い人とか、
警察だからとか皆良い人、みたいに、
学会の皆が良い人なわけじゃないし、
いろんな人がいるから、

過度な勧誘する人もいたり、人の気持ちを考えない人もいたりで、嫌な目にあう人もいるのは確か。



学会員でも私のように親の意向で生まれつきで、自分の意思じゃないのに入っている人も沢山いて、

学会のことを知ろうとせずに、身近な人がやってるのを客観的に見てアンチになる人もいる。

かく言う自分もそうだった。

親元離れるまでは。


都内で一人暮らししていた時、
近所のおばちゃんが聖教新聞とらないかとしつこくやってきて、
根負けして新聞をとった。

そのおばちゃんは時々やる集まりにも私を誘った。
居留守したりもしたが根負けして集まりにも行った。

おばちゃんは2人で食事に連れてってくれたり、田舎から来て寂しいでしょう?第2の母として頼ってね!と言って私の事を気にかけてくれていた。


ある日、21時半頃にバイトから帰宅すると
玄関の鍵が開いていて
恐る恐る開けてみると部屋がめちゃくちゃに荒らされていて
ベランダの窓が割られていた。

空き巣に入られたのだった。
しかも下着、パンツのみの空き巣に。

鳥肌が立って、いつ襲われるかも怖くなって直ぐに引越しを考えた。

あまりの恐怖にどうやって直ぐに引越し先を探したのか記憶がないのだけど、

第2の母として頼ってね!と言ってくれた
おばちゃんが
引っ越す時にマンションの大家さんに直接掛け合って、ベランダの窓の修理費は大家が負担するように言ってくれたり、

引越しも全て手伝ってくれて、
おばちゃんとその旦那さんと私でやれるように荷台のある車も手配してくれて
重い荷物運びも全部やってくれた。

家が少し遠くなったので、
そのおばちゃんとはそんなに頻繁に会うことも無くなったのだけど、

物凄く感謝している。



そして、

私が実家に戻って結婚して家を出た時、

初めて住む土地で、

また近所のおばちゃんが声をかけて来た。

どうやら、
引っ越した先では、そこの地区の人が同じ学会員として新しく来た人と関わるようになっているらしい。

そのおばちゃんも、
なんと
「私の事を第2の母と思ってくれていいからね!」
と言ってくれた。

もちろん、以前のように新聞も とるように言われたり、集まりにもしょっちゅう誘いに来た。

それ以外にも、本当に私をまるで娘のように接してくれて、
「元気かな?と思って顔が見たくて来ただけ!」
と言ってしょっちゅう野菜やらお花やらお菓子やら色々と持って来て、
調子どう?何か困ってない?と声をかけて来た。

おばちゃんの家でご飯したりお茶したりもした。

私が忙しくて家にいないことが続くと、
電話やメールで、
元気?身体大丈夫?と聞いて来た。

ある日、私が流産してしまって、
何も知らないおばちゃんが、いつものように
うちのアパートにやって来て
玄関先で「元気にしてる?」と聞かれたとき、
流産のことを話したら、

なんと、そのおばちゃんは「悲しかったね、辛かったね」と私の目の前で泣いたのだった。

うちの親でさえ流産の話しても泣かなかったのに。

私の悲しみに寄り添って一緒に泣いてくれたおばちゃんは何と優しいんだと思った。


その後、家を建てることになり引っ越して、
そのおばちゃんとも会うことはなくなった。

(実はそのおばちゃんはその後入院をしてしまって亡くなってしまった。本当に私に良くしてくれたので思い出すだけで涙が出ちゃう(T_T))


家を建てて引っ越した先の土地では、
新興住宅地も多く、新しく来る人も頻繁で多いからか、
第2の母と思ってね!なんて言って私の事を気にかけてくれるような人はいなかった。

実際、すぐ近くに義理の母がいることを皆知っているからだと思うけれど。

でも、
私が東京の一人暮らしの時や、
結婚してアパートに住んでた時に、
近所の学会員のおばちゃんが凄く私に良くしてくれた事が

凄く心に響いていて。


そう言うこともあったから、
学会のことを深く知ろうと思えた。

少し色々したり知らないと学会の組織の中で役職にはなれないのだけど、
妥当な人もいなかったからか、小さな小さな役職だけど私もなった。

だからこそ、
何も知らない人よりは少しは学会のことが分かる。

その辺の何も知らない人が憶測で言ってることよりは、本当のことを言える。


学会が拝む対象は『自分自身』であって、
神様でも、創価学会の会長でもない。

仏=自分=みんな=宇宙=1つの全て

即成仏身という、即だれでもこの身のまま仏になれる

毎日、仏壇に向かってお経を唱えるのは、
祈りと感謝を捧げること

という在り方で成り立っている。


創価学会の由来も、
自分の価値を創造することを学ぶ会
なのだ。

元は、ブッタ。
そこからの、仏教。
そして、日蓮宗。
日蓮宗の中でも宗派が分かれていて
その中の日蓮正宗。
日蓮正宗の中でも分かれていて、
創価学会がある。

お葬式も学会形式があって、
お坊さんじゃなくて皆でお経を唱える。

皆で亡くなった人を偲んで送り出す。

香典は全て学会の資金に回してるんだろ!
って、
祖父のお葬式の時に父が誰かから言われたことがあるけど、

香典は全て葬式代に使いましたよ。

そんな決まりも全くありません。


宗教に偏見を持っている人は
見たいように見て来るので悪くしか捉えられないんだと思います。

私は、
生まれつき入信しているのもあって、
ドップリ浸からずカナリ客観視しているところもあって、

私は、ちゃんとやってる学会の人から見れば
カナリ適当なので、
こんなこと書けば怒られそうだけど、

集まりも行きたい時だけ行って、
行きたくないのは行かないし、
朝晩唱えなきゃいけないのも唱えたい時しかしない。
新聞などの読み物も読みたい時だけ。
この人いいな!と思ったら公明党の候補じゃない人に選挙で入れる時もある。

神社も行くし、
スピリチュアルなことも好きだし、
瞑想だってするし。

自分のしたいようにやりたいように

凄い適当にやってる。



けど、関わって来たおばちゃんたちや
関わる人たちの、
他人に対する心遣いはとても勉強になるし、

学会の中で学ぶことで私自身とても役に立つ事が多いので、辞めずにいる。


娘が家から出て独り立ちした時も、
世界中日本中どこの土地に行っても
私のように
気にかけてくれる近所のおばちゃんがいると思うと安心できるから、
娘も私と同じように生まれつきで入れた。

物心ついた時、辞めたきゃ辞めてもいいと思っているけど。

夫は無宗教。特にしつこく勧誘もしてない。

昔は誰でも簡単に学会員になれたけど、

今は簡単に入れない。

子どもじゃない限り、
本人に本気でやる気があるかを何人かの上の役職の人たちの面接を受けて合格しないと
創価学会には入れない。



いろんな宗教があるけど、

それは、それで良いと思ってるし、
論破しようとも思わない。

その人が幸せなら良いと思うし。


ただ、
何かにすがったり、何かの対象物や人を拝んで、
誰かや何かに幸せにしてもらおうとするのは、
たぶん、
永遠に幸せを追い求めて終わると思う。

その追い求める過程が心地よいんだろうね。
それはそれで良いと思う。

って、たいして何も知らずに憶測で言ってる私を許して。

違う!って反論ある人は本当のことを詳しく教えて。



てことで、
急に自分の暴露話になったワケだけど。


商品使うことが主だったけど、
アムウェイも10年くらいやったし、

私って、いろいろと世間的に怪しいと思われることばっかなの。


まぁ、だからこそ、

本当に何が怪しいのかという目利きは出来るんじゃないかなとは思ってる。

アムウェイも、
商品がいくら良くても、
売る人や関わった一部の人間性が私にとって心地よくないから、
ビジネス的なことはしようと思えなかった。

商品自体も最近は心地良さを感じなくなってきたので、

他に何か無いかなぁーーと思ってたところに現れたのがベルセレージュ 。

話を聞いたり実際に使ったら物凄く良くて!!!


なのに!!!!
良く聞いたら、
またまた経営方式がマルチマーケティング!!!

マルチマーケティングってネズミ講とは違って、きちんと認められた経営方式なんだけどさ。

なんでよーー。って
思っちゃったよ。

私は、良いものをネットで紹介するのが好きなの!

ここのお店美味しいよ!オススメ!
とか
ここ行くとこんなのあって楽しいよ!オススメ!
とか
これ凄い使いやすい!オススメ!
とか、

自分の感動をシェアするのが好きなんだよね。


でも、学会やアムウェイやベルセレージュ もそうだけど、
ただ自己満で使う分には
実際は害やデメリットなんて
よっぽど変なことしなきゃ無いのに


たまたま変なことした人のせいでネガティブな面ばかり目立って、

世間的な偏見が物凄いから
簡単に

私これで感動したんだよねぇー!!おススメ!!

って言いづらいんだよーーーー。

結局
私は人から嫌われるのが怖いらしい。

でも、
もう人から嫌われてるし
嫌われてもいいやって思えたから
公の場で ありのまま全てを書こうと思ってこうして書いてるの。


こんな長いブログ、
誰も読んで無いと思うけど。


これからは

世間的には不審がられてるけど
自分は良いと思ってるしオススメできると心底思えるからオススメする!!

って思って私の湧く感覚は堂々と言うことにした。


それを聞いた人が、どう思うかとか
どうするかはその人次第だもんね。

それで縁が切れたらそれはそれで。


長いこと、
生まれつきの宗教のことも言えずに生きてきたけど、
嫌われても
本当のことを言って
もう楽に生きたいわーー。