娘の選択時の想いを汲み取る | shukoの揺蕩うはねちブログ

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生きよう。生きていたい。と思う程たのしくて幸せで豊かに過ごせるように、自分に湧く気持ちを丁寧にみる努力をしています。

娘が毎週木曜日、
保育園から絵本を借りてくる。

10月から2歳の未満児クラスに入園してから
毎週借りてくるのだけど、

昨日、初めて家にある絵本と同じものを借りてきた。


咄嗟に私は
「えー!これ家にあるじゃんー!
なんで同じやつワザワザ借りてくるのー?!
お家にない絵本借りてきなよー!」
と言った。


娘は何とも言えない顔をして黙っていた。

今日の朝、保育園に行く時、
絵本袋持って行って絵本を違うのに変えてくる
と言って娘は絵本袋を首からかけた。


保育士の先生に事情を話すと

「お家にあった本と同じで親近感があって、娘ちゃんがワザワザ家にあるのと同じ絵本を選んで持って帰ったのでしょう。
家にあるのと同じだったからと翌日取り替えるなんてこと今までした事ないですよ。
だから、そのままそれを持って帰ってください」

と。


一瞬、
え?娘が取り替えるって言って持ってきたんだから取り替えればいいじゃん。
前例がないからって、
今回を前例にすれば良いじゃん!!

とイラっとして
しばらくモヤモヤしていましたが、

そのモヤモヤ、これなんだろう?とふと思えた時、

先生の
‘娘ちゃんがワザワザ家にあるのと同じ絵本を選んで持って帰ったのでしょう’
の言葉が引っかかった。


そう。

娘が選んだものに対して私が第一声で拒否した。

娘が家にある絵本と同じ絵本を持ち帰ったというその想いを汲んであげられなかった。

私は絵本の内容にばかり気を取られていた。

家にない絵本じゃないと損。
せっかくだから、家にない絵本じゃないと!

という目に見えることだけにフォーカスしていた。


娘は絵本の内容じゃなく、

ママにただ「お家のと同じ絵本だねー!」とか
「同じだとよく分かったねー!」とか
「よく同じの見つけたねー!」とか

ただ、そうやって言われたかっただけかもしれない。

家で同じ絵本を並べて楽しむ方法なんていくらでもあるのに。


娘が家にある絵本と同じ絵本を選んだ理由は、
その本が読みたかったからではなく、

その絵本で親とのコミュニケーションが取りたかったのだと、

ハッと気づかされ、

ものすごく娘に申し訳なくなった。


親の勝手な価値観で「子供のために」を押し付けてるだけ。

子供に対して傲慢だ。

自分が情けない。

食べるものだってそう。

親として、
添加物入ってなくて白砂糖使ってない質の良い物を与えたい。

でも、娘は食べ物が何で出来てるかなんかより

その場を楽しみたいだけなんだ。

周りのみんなと同じものを食べて、美味しさを共感し合って楽しみたいだけなんだ。


保育園の給食やおやつの素材に気を揉んでいたけれど、

目に見えないもっと大切なこともある。

でも!

欲を言うなら皆んなで美味しいと食べる給食やおやつが素材にこだわられたものならもっといい。

地元の市会議員さんに給食の素材について軽く打診したことあるけど

もっと本気になったほうがいいのかもしれない。

これは私の勇気次第だね。


とにかく
今回の絵本のことから

娘の何かを選ぶ心をもっと尊重したいなって思えた。

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家庭では食材はほどほどにこだわっている

ストイックになると食を楽しめないからね☺️