君の名は。からの気付き | shukoの揺蕩うはねちブログ

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生きよう。生きていたい。と思う程たのしくて幸せで豊かに過ごせるように、自分に湧く気持ちを丁寧にみる努力をしています。

昨日、いつも行っているベビースイミングに行きました。

併設されて温泉入浴施設があるので、
なんとなくどんな温泉か気になって入ってみることにしました。

脱衣所に行くとおばあさんがたくさん!

『こんな小さい子はココじゃ 滅多に見ないから久々に見るわねぇ〜』なんて言われたりしつつ、2歳の娘はカナリ目立っていました。

洗い場へ行くと、殆どが占領されていました。
ホント、この辺りの公共入浴施設が どこ行っても洗い場を占領するおばあさんがたくさんいます。

使ってないのに、私物を洗い場に置いて占領するのです。

まぁ、混雑していて全く空いてなくて占領しているところしか空いてない時は
私も容赦なく私物を退けて使っていますけどね。

この日は奥の方に空いてるところがあったので、娘と手を繋いで奥へ進んでいたのですが、
娘が手を離したので私が三歩位先に進んだその時、
娘が滑ったらしく転倒して大泣き。

鳴き声で振り向くと、
周りにたくさんいたおばあさんも哀れみの目で床に転がってる娘を見ていました。

急いで駆け寄って抱っこしてヨシヨシしていたら、近くにいたおばあさんが
とても大きな声で
『わー。やだねぇー。手を繋いで来たから良いと思ってたらお母さん手を離したんだねぇ〜。』
と私を軽蔑する目でジロリと見て来ました。

無視して、落ち着いた娘を椅子に座らせ、
頭と体を洗い終わり、

今度は自分が洗おうとしたら隣に来たおばあさんが子供用サイズの小さな椅子を貸してくれたので、
娘を座らせて私も急いで洗っていると、

さっきのおばあさんが首を伸ばしてこちらを見ると、
再び大きな声で娘に『さっきは痛かったねえー。ママやだねぇー。ダメなママだねぇ。あとで好きなもの買ってもらいなねぇ』と私を睨みながら話しかけて来ました。

そして、近くにいた仲間たちに『あの子のお母さん叱ってやったわ!』と得意げに話していました。

うるせー!ばばあ!余計なお世話じゃ!!
もう落ち着いてる娘にさっきのことを蒸し返すんじゃねぇよ!

と言いたいところでしたが適当にスルー。

しかし、後から怒りが湧いて来て精神的にどっと疲れました。

夜、この現実はわたしの何を表してるんだろう?と考えてみました。

私はわたしでダメなママだと思ってるのか。

よく分からなくなりそのまま寝てしまいました。

翌朝、ママ友の集まりに行こうと準備をしていると主人から電話がありました。

『洗濯しといて』

もう何年もずっと主人は自分の洗濯は自分でしています。
わたしがやりたくないから。

結婚した頃に旦那の洗濯をしてると、
なぜだか無性に腹が立つのです。

こんなことして私に何のメリットあるの?
ただ、めんどくさいだけ。
なのに、更に色落ちがどうの干し方がどうの言われて、本当に嫌で嫌で。

ある日、放棄しました。

どーなっても知らん。私は私のためだけに洗濯する。

それから、主人は仕方なく自分で洗濯をしています。

で、
朝のその電話。

もうね、再びあの怒り?腹が立って、
なんで私がやんなきゃいけないの???

ちょうど娘が遊んでー!と私にすがりついてきていた時に、

主人の洗濯をしたくないことで頭がいっぱいで『なんでやんなきゃいけないの??私はやりたくないの!!!!』と叫ぶと、

娘が自分が言われたと勘違いして床にひれ伏して号泣してしまいました。

娘に対する罪悪感がブワッと湧いて、
洗濯をしたくない気持ちも相まって私も涙が(T ^ T)

訳分からなくなって娘を実家に預けに行き、
私は心落ち着かせたくて映画を観に行くことにしました。


ずっと観たかった『君の名は。』

上映時間には間に合わない時間でしたが、
何故かスルスルと向かい、

最初の方は少しくらい見逃しても良いか、
と、急にトイレも行きたくなって、
キャラメルポップコーンとジュースも買ってる途中だったのですが、
お店のお姉さんに『すみません!ちょっとトイレ行ってきます!!!』とトイレにも行き、
無事にポップコーンとジュースを受け取って

上映中の部屋の扉を開けた瞬間と同時に画面が真っ暗になりました。

ドンピシャで映画上映に着いたのです。

そして、なんとなく観たいと思ってた映画なのに、
泣ける泣ける(T ^ T)

自分でも、何に泣いてるのかワケが分からず、とにかく涙が出まくっていました。

泣きながらも、しっかりとキャラメルポップコーンもバリバリと食べ、
ジュースもゴクゴクと飲み、

何年振りかの映画観賞&お決まりのポップコーンとジュースを飲食出来ていることに心底喜びを感じていました。

映画に出てくる風景が地元の高台の公園から見える綺麗な景色と被って、
なぜだかふと急にそこに行きたくなり、

映画が終わるとその公園に向かいました。

いつもは小脇の道から大通りになかなか出られない所もスンナリと出られ、
信号は全て青、

導かれるように向かいました。

高台の公園に行くのは もう覚えてないくらい数年振りです。


向かう道中で、
ふと映画の中の曲の歌詞の一節を思い出し、気になって歌詞を調べました。

【嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは
僕の心が 僕を追い越したんだよ】

運転していて、
目に入る全て

これは夢なの??

両親も?弟も?

祖父母がいたことも夢だったの?

旦那さんや娘と過ごす毎日も夢なの??

今、ここも??夢???

こんなこと思ったら、

気がついたら嗚咽するほど泣いてました。

自分が何故ないてるのかわからない。

映画も、今も
私の何に共鳴して涙が出るの…???


公園で景色を眺めて帰宅。

公園の駐車場に止まっている私の車、
このところの雨続きな日々で泥だらけで
とても汚い。

洗車したいな。

そのままいつものガソリンスタンドへ。

洗車中、さとうみつろうさんからのLINEでブログを読みました。

((((;゚Д゚)))))))


【他人は自分 全ては自分】

昨日今日のことは此処に繋がってるの???

私が嫌なおばあさんの口を借りて
『手を繋いでたのになんで離しちゃうの?」って、
本当はもっと娘と向き合って接したいんでしょ!そんな我慢してないで もっと娘と向き合って接してあげて! と私へメッセージを伝え、

主人の「洗濯しといて」は、
損得勘定なしで他人のために何かすると、
自分のためにするより、もっともっと気持ち良いよー!
とメッセージを私に伝えた???


あのおばあさんも、主人も私??

時間は捻れていて途切れ途切れで、
いつも誰かになって自分に戻っている。

私、いつも夢を見ると、
とてもリアルでその中で普通に生活してて、現実がどっちなのかよく分からなくなるんだけど、

時を超えて いつも誰かになってるんだ。

どこかの学校の校庭のお祭りにいる。

戦争中の時もある。

震災直後の瓦礫の中に立ってる時もある。


映画は2人だったけど、

私はとても多くの人と入れ替わって夢を見ている。

時代はいつなのか分からないけど、

私が娘になっていることもあるのかもしれない。

私が意地悪なおばあさんになってる時もあるのかもしれない。

私が主人になっている時もあるのかもしれない。

私がわたしに何かメッセージを伝えたがってる。



【他人は自分。全ては自分】

ホントにそうなのかもしれない。

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昼間、ここまで書いて投稿したけど、
お風呂入ったら、
また言葉が出てきた。

いつもお風呂入ると、私の奥からいろんな声がします。

さっきは
「私はダメな母親、ダメな妻、ダメな人間だ!」

と。

また自分を責めてしまいそうになっていました。
私は素晴らしい人間なんだから自分で自分を責めるのは やめる!って決めたのに。

でも、それが罠でした。
たまたま流れてきたブログ記事からそれを知りました。

【自分は素晴らしい】 を履き違えて、
自分を守るために本来の弱い自分を隠していると。。。

子育ても家事も出来て友達もたくさんいるかのようにSNSで見せかけてきましたが、
私は子育てが上手く出来ません、
家事が出来ません、
人とうまく接することが出来ません。

分かったふりして全然自分と向き合いきれていませんでした。

本当、私は何を守りたかったのでしょう。。。