身の回りに起きたシンクロニシティが
あまりに不思議だったので
「シンクロニシティ」をキーワードにして書いています。
 
私の体験の始まりはこれ(1)
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前回古代エジプト時代からリモートビューイングした
未来の地球について「イニシエーション」に書いてあった
ことを書いた。

古代エジプト時代に、既に旧約聖書に書かれていたことが
正確に見えていて、現在の我々の時代も見えていて、そして
これからの未来も見えていた。

するとパラレルワールドってどこへ行っちゃったんだろう?
という疑問がわいてくる。

想像できる未来がいくらでもあるのだとすれば、
モーセとエジプトのファラオが仲良くやっていたパラレルとか
当時のファラオが敬虔な人になってしまったパラレルとか
そんなことがあったっていいような気がする。
しかし、それは古代エジプト時代にすでに未来として
存在していなかったことになる。

「イニシエーション」(エリザベス・ハイチ著)に出てきたように
様々な星や星座の放射の影響をこの地球と
その上の生命体、物質が大きく受けているとすれば、
ありうるパラレルワールドって限られるということになる。
その時代を支配する星座に反することなんてできない。

パラレルワールドは、マイケル・ニュートン博士の発見した
タイムマスターの情報に存在理由があるように思う。
このことは以前「パラレルワールドの分岐点」について
書いた記事でも触れている。

魂はこの世に生まれ出る前に、
視聴覚室のようなところで、この世で経験することを学ぶ。

「人生のこの時点でこのようにするとこうなる、
でもこうすると人生が大きく変わる」

という大切な分岐点を学び、
人生の課題をクリアできるようにする。

タイムマスターはその分岐点を深く知りつくしていて、
それを見せるけれど、様々な分岐のうち重要でないもの
つまり人生に影響を与えないものもあることが分かっている。

この時点で既に生まれてから誰と出会うかを決めているので、
そのような分岐点が作れるということになる。

地上のすべての人類にそのような分岐点があり、
選択肢があるのなら、それはまるで立体のあみだくじ
のように見えるだろうと思う。

矛盾しているが、実際あみだくじには選択肢がない。
肉体を持った人間には選択肢がたくさんあるように見える。
しかし、例えば古代エジプトのイニシエートたちのように
神意識に至り、数千年数万年先まで見通せるような
レベルでは、もはや選択肢は必要なく、不要な分岐は
見えてこないのではないかと思う。

ではなぜ「パラレルワールド」がそれでも存在するのか、
と言えば、おそらく単に

「選択肢がなければ魂が成長しないから」

であるのだと思う。
三択のクイズで正解でないものが二つあるように、
ダミーの選択肢があるのだ。

著名な彫刻家たちは
「彫っているのではない。木の中に存在している像を取り出しているんだ。」
という。


一般人が木を見ればどのようにでも彫れる(選択肢がある)
と思えてしまうけれど、
芸術の極みの観点からは、
既に存在しているものを掘り出しているに過ぎないのだろう。

それと同じように、人生もあらかじめ決まっている経験を
しにきているだけにすぎないのかもしれない。

そしてその目的は何かと言えば、
ただただ、その魂が神意識に至るために必要なこと。
何でこんな経験が必要なんだろう、って思うことは多くても、
宇宙が考えていることなんだから、きっと間違いはない。

これを理解することによって、
きっと人生が楽になる。
たくさんの思考を走らせなくても、
結果が同じだということが分かるから。

「イニシエーション」の中で主人公は第一次世界大戦を経験していた。
何故こんな理不尽な攻撃を受けなくてはならないのか、
何故人間の英知を人殺し兵器を作るために使うのか
など、主人公はその人生でやりきれない思いになっていたけれど、
その先で神意識に至っていったのだ。
そしてその時には、きっとその経験が必要だったことが分かる日が来る。

このことを理解するとね、
地上の人間の価値観や思い込みがどれほど
人間を苦しませているのかが分かってくる。

財産、社会的地位、知名度
そういったものは、人間を幸せにしてくれるか
っていうとそうでもない。


我々の人生は、宇宙が運んでくれている。
だから安心してどんなことも経験していこう。
コントロールしないでゆだねていこう。

私にはだんだんと私という彫刻がどのようなものなのか
その姿が見えてきた気がする。

そのために333の謎を解かなくてはならなかった
ということが分かってきた。
衝撃的だった。

このことについては、時期が来たら書きたいと思っている。

お楽しみに!