「偶
然、こういう事が起こったんだ!」

 

 

偶然、待ち合わせもしてないのに出会った、とか、

偶然、なんとなく手に取ったものがコレだった、とか、

 

わたしたちの日常の中にも、沢山の『偶然』が溢れているように思いますよね。

 

偶然に気付くこともあれば、その偶然にも気付かないで、なんとなくのまま今に至ることも多いのではないでしょうか?

 

 

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わたしも、数年前までは、「すっごい偶然だね!」で終わっていた出来事が多々あったように思います。

 

でも、その時は偶然だと思っていた出来事も、実は理由があったのだと思い知ることがありました。

 

 

 

 

”偶然”は9年前に起こった

 

わたしは、今から9年前に主人を突然亡くしました。

 

あまりにも突然だったので、その時もそれからしばらく経ってからも、全くその状況を受け入れることができず、今でも100%受け入れられている訳ではありません。

 

そして、長男に発達障がいがあると分かったのが、その1年ほど前のこと。

 

突然、親戚も誰一人として近くにいない関東で、たった一人で障がいのある4歳の長男、2歳の娘、生後7ヶ月くらいの末っ子を育てていかなければならなくなりました。

 

しかも主人が他界してから多額の借金があったことが発覚し、更にはわたしだけが知らなかったという戸籍上の問題も発覚し、それまで慕っていた義母親族ともそれをきっかけに疎遠になっていきました。

 

 

ただただ、どうしたら良いか、本当に分からずにいました。

 

自分に起こった出来事を悲観し、どん底から抜け出せずにいました。

どん底から抜け出せずに、生きていくことを諦めた事もありました。

 

 

今思い出してもゾッとしますけど、深夜の子どもたちが寝静まったときに”コト”を起こそうとしたとき、その寝顔にしばらく見入っていたらそのまま眠ってしまって、気付けば朝になっていました。

 

主人が他界したことを誤魔化し忘れておく為に、ハードワーク極まりない医療の現場で、早朝から消灯後まで常に走り回り、毎晩ちから果てるように、毎日いつの間にか寝落ちしていたように、この日も”いつの間にか”寝落ちしていたのです。

 

 

―――ここまでのお話が、その時起こっていた”必然ではない”出来事。

 

少なくとも未来予測の段階では必然は証明できないのが人生で、その出来事の後々に、必然だったと思えるようになるものです。

 

わたしの場合は、主人が他界して2年後に知ることになりました。

 

 

 

 

豆知識(⇔反対語)

必然…必ずそうなるはずのこと

  ⇔蓋然(がいぜん)…そうなる可能性があること、

  ⇔偶然…必ずしもそうなるとは限らないこと

 

 

 

 

 

主人が生きていた時に計画していたことを思い出した未曾有の惨事

 

2011年3月11日。

 

突然の大きな地震。

日本中を震撼させた、東日本大震災のその日、わたし達一家は埼玉県に住んでいました。

 

 

 

地震発生直後、当時の玄関の写真です。

 

そして、この日、恐ろしい津波が沢山の尊い命を奪っていきました。

 

 

テレビに映し出されまっさらになってしまっていたその場所は、主人が他界する直前に引っ越しを決め、実際に計画していたその場所でした。

 

未曾有の災害が起こったその2年前に、「さあ今から引っ越すぞ!」と。
 
義母が秋田で闘病していたため、少しでも近くにと。
でも車で東京までいつでも行ける距離で、と、計画していた矢先の主人の死だったことを、この時に思い出すことになったのです。
 
 
この事を知る知人は、
 
「ご主人が自分の命と引き換えに、あなたたち家族を守ったのね。生きてたら、あなたたちはあの場所に居たのだから…」と言いました。
 
 
それまで、主人の死は単なる絶望で、その運命を恨みたくなるものでしかありませんでした。
義母との突然の不仲も、もし主人が他界してもそれが無ければ、わたしは意思を引き継ぎ引っ越していたと思います。
 
主人が他界したから、不仲になる出来事があったから、その場に留まった。
この瞬間、苦しめられてきた過去の出来事はひとつの貴重な”経験”となり、2年を経て、初めて”感謝”の気持ちが生まれてきたのです。
 
 
―――わたしたちを、助けてくれて、ありがとう―――
 
これが、主人なりの守り方だったのかもしれない、と。
 
震災はやはり悲劇でしかなくて、これ自体を良い思い出には決してできないけど、主人の死に共倒れしそうだったわたしが、わたし自身の生を強く意識しはじめた日になりました。
 
 
 
長男の発達障がいが生んだ奇跡
 
長男の障がいが発覚してから、ずっとこのことも悲観の材料になっていました。
 
しかし、長男に障がいが見つからなければ、わたしはずっと関東で生活していたと思います。
 
障がい児サポートも母子家庭に対しても、わたしが住む地域は不自由を感じませんでしたし、わたし自身にもそれを理解してくれる職場と仲間たちが居ましたから。
 
 
でも、主人の死をきっかけに、年齢順でいけばわたしがこの子たちを残して逝くのは確かで、もしそうなってしまったときに、親戚が誰一人も居ない関東は不安材料にしかならなかったのです。
 
やっぱり、そうなった時に一番支えになってくれるのは親戚の存在だと思いましたので…
 
 
そして、長男の小学校入学を機に、そのタイミングで九州に帰ることにしました。
 
こんなことでも無ければ、わたしが実家近くに引っ越すことは無かったと思います。
 
 
3月30日、皆をビックリさせようとサプライズで引っ越しをしたわたしは、両親はもちろん、親族の誰にもその事を一切話していなかったので、もちろん親をビックリさせることに大成功しました。
 
…しかし、その日の夜に数年ぶりの対面となった実家のベッドに寝ていた父の姿は、余命1週間もあろうかという、全身が土色で肝性昏睡も始まっていた、そんな状態でした。
 
 
母は、「最近あまり食べないけど、前みたいに暴れないし、言う事聞いてくれるし、静かによく寝てくれてるのよ」と言いました。
 
 
「たぶん1週間持つか持たないか、気付いたら呼吸が止まってると思う」
 
仕事柄、”あとどれくらい”を鍛えられたわたしは、母に今の状況を伝えました。
「そんなに悪かったなんて…」と涙ぐむ母の傍で、わたしは、(父に引っ越しを伝えていたら、すぐに口喧嘩になって、「帰ってくるな!」と言われてわたしもそうしていただろう)と、心の中でその光景を容易に想像できていました。
 
 
父が他界したのは、帰省してから10日後。
長男の入学式の、翌日の朝でした。
 
 
 
入学式の時の長男の後ろ姿。
 
この日、無事に入学式を終え、夜には実家で父も一緒に入学祝いをしました。
 
父はベッドに座り、
「入学おめでとう。賑やかになるなぁ!」と笑顔で言い、わたしにとってはそれが最期の言葉になりました。
 
 
 
最期まで病院には行きたくないと言い張っていた父は、入学式翌日の朝、母の出勤の直後に息を引き取っていたようでした。
 
見つかったときは既に硬直が進んでいて、どうやっても病院に行くレベルではない状況で。
 
多分これが誰かの目の前でその時を迎えていたら救急車を呼ばれていたでしょうし、それは絶対に父は望んでいなくて、そして、入学式の日でもその前の日でも、長男は入学式に出られなくなっていたから、ここまで頑張って、そして、最期の最期まで意地を張ってくれたんだと思います。
 
 
わたしは、長男に障がいがあったから九州に帰る決心をし、こんな仲違いばかりの父と最期の10日間を一緒に過ごすことができたのです。
 
「障がいがあってくれてありがとう」って言うのは変ですけど、少なくとも、ただ障がいを苦しみ、うとみ、憎む親ではなくなることが出来ました。
 
 
「焦らなくていい。今伝わらなくても、5年後、10年後、伝わればいいじゃないか」
 
わたしが高校生の頃、人間関係に悩んだときに言われたこの言葉を理解したのは、まさかの今!
5年後どころか、20年以上も後でした(笑)
 
今すぐ理解できることなんて、ほんのわずかなんですね…(笑)
 
 
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成長した長男のこの背中も、過去のあの日の必然で、そしてこれからのどんな必然に繋がっていくのだろう?
 
 
 
 
まだ未就学児だったこの2人も、
 
 
 
どんな必然に繋がっていくのだろう?
 
 
 
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あらゆるところで出会って、これも全て偶然ではなくて、感じていないだけで何かの必然で、
 
 
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この時も、
 
 
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この時も、
 
全ての必然が重なって出会ってるって思うと、どんな意味があるんだろう?と今からワクワクが止まらなくなります。
 
 
だって、みんながみんな、それぞれの人生というストーリーを生き抜いて、必然に必然を重ねてここに集まってるなんて、凄すぎるって!!
 
少なくとも、わたしは、過去の一見それだけをみれば最悪としかとれないような出来事があったから、今ここに生きていることが出来ているって分かったから…
 
これらのどれかひとつでも無ければ、今この場所には居ないのだから…
 
 
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そう考えれば、今何か悲しいことや辛いことがあったとしても、それも未来の何かのための意味になる日が来るんですよね。
 
 
―――神様は、必要な時に、必要な出来事を与えられる―――
 
その時は「神様は居ない」と思ってしまうような出来事でも、それを与えているのが神様だということ。
 
そして、それを避けるような生き方をしていると、神様は必要なことを与えているのだから、何度も何度もそれと似たようなことを繰り返してしまう、ということ。
 
だから、その時は頑張らなくても踏ん張るだけでいい。
ただ、逃げ出さない。投げ出さない。それだけで大丈夫。
 
 
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唐津って、天使の梯子(はしご)が本当に多く見れる場所!!

 

父の戒名は、『景雲』

 

「唐津の雲は最高だ。これは唐津を一度離れた者しか分からない美しさだ。淳美は分かるよな」

彼はこの土地の景色を描くのが本当に好きだった。

 

わたしが上京していた15年間の意味は、ここにもあったようだ。

唐津の空は、見上げるだけで、真に、ただただ、美しい。

 

 

 

 

あの悲しみも、あの苦しみも、

ひとつの必然的な、必要な経験だったのだから。

 

これからの嬉しいことも悲しいことも、きっと単なるひとつの経験になる。

今は、一体どんな未来につながっていくのでしょうね!わーいわくわく

 

 

 

 

 

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