今日は北新地寺田屋の誕生日です。
本来であれば、本日で11周年。
寺田屋を喪失してからワタクシは
一つだけ禁じていた表現があります。
それは『我が子を失った』と
表現することです。
実際に我が子を失った方を知っているので
子供を失う事が、どれほどの衝撃か
どれほどの悲しみか
分かっているつもりでいたからです。
子供を失う事に比べたら
きっとそんなに大した事ではない。
そう思い込もうとして来ました。
しかし、ワタクシは分かっていませんでした。
幸せのあり様を、人と比べても
仕方がないように
悲しみのあり様もまた
人と比べても仕方がないと言うことを。
死んだ我が子は帰っては来ない。
誰だって分かっています。
それでもまた会いたいと思う。
親と言うものは、そうゆうもの。
いろんな事があったけど
本当に大変過ぎることばかりだったけど
皆様に可愛がられ
天塩にかけて7年10ヶ月
育てたあげたのです。
会いたいなぁ、寺田屋に。



