映画「散歩する侵略者」のキャッチコピー。
『信じられないことがおこる時代に届ける、切ない愛の物語』
電車の中吊り広告で見かけました。
『世界は終わるのかもしれない。
それでも、一緒に生きたい。』
そんな気持ちも、なんだか分かるなあ・・・と思ったのと、
「信じられないことがおこる時代」というところに
本当に、今の時代、科学技術の進歩や、昨今の世界情勢やら
ちょっと信じられないことがおこりそうな感じになってしまったなあという思いもあり。
変な映画?もしや、ゾンビ映画(←苦手)??と思いつつも、久し振りに映画館で映画をみました。
感想は・・・
ちょっと変な、でもちょっと興味深い映画で。
以下はネタバレも含むので、これから観る予定の方は、読み飛ばしてください!
主人公の夫は、ある日突然別人、つまり地球を侵略しに来た宇宙人に(外見は変わらず)。
その宇宙人は、地球人から「概念を奪う」のです。
そうすると、その相手からは、その概念が消える。
例えば、「家族」や「所有」、「仕事」、「自分と他人」といった概念。
概念、というとちょっと捉えにくいけれど、イメージ、境界線と思うと、理解しやすいかなと思います。
「所有」という概念が無くなった青年は、それまで何年も引きこもりで、自宅の敷地内から外には出られなかったけれど、
「所有」という概念を宇宙人に奪われた途端、家の敷地から出ることができて、さらに、あらゆる所有に対する無意味さに気付いたのか、急に、領土を奪い合い殺し合うことが如何に無駄なことかを訴えながら「戦争反対!」という街頭演説を始める。
自分の家、と、そうじゃない場所の境界線の概念が消えると、
人はやすやすとその境界線を越えて外に出られる。
戸惑いつつも、かなり心はスッキリしてしまう。
「自分と他人」の概念が無くなった警察官は、「自分はどうせダメな人間だ」という自虐モードが消え、急にスッキリした表情で元気いっぱいに。
「仕事」の概念が消えた、仕事に厳しい社長は、職場で5歳児のように無邪気に遊びだす。
最後は「愛」。
「愛」の概念とは?
牧師さんは、明確にはイメージできていなかった。だからその概念は、牧師さんからは奪えなかった。
でも、最後に主人公である妻は、愛の概念を夫である宇宙人に自ら渡した。
宇宙人は、愛に溢れ、急に世界がキラキラしだして、地球の侵略をやめることにしたのでした。
そして、愛の概念を無くした妻は、その後、すべてに対して関心を示さなくなり、無表情になってしまった。
逆に、無表情だった夫(=宇宙人)は、愛の概念により「人間」らしくなり、愛を無くした妻が宇宙人のようになる。
そんなストーリーを通して、
マザーテレサの言葉を思い出しました。
「愛の反対は、憎しみではなく、無関心です。」
深く観ようと思えば、どこまでも深く観ることができる
ちょっと面白い映画でした。