さくらのことを好きな理由に
こんなエピソードがある。

さくら
「私が死んだら、
 おかあさんが悲しむ」

わたし
「死んだ後のことは
 わからないでしょ」

さくら
「わかるの!
 なんで そんなこともわからないの!」



今回、飼っている
インコを亡くしたとき

わたしは、半狂乱に
泣きわめいた。


でも、


昔、小学生のわたしが、
インコを餓死させたとき


母親は 涙ひとつ なかった。


ひとと 鳥とでは
違うだろうけど。


わたしが 
予定外の入院で
アムカをみられたとき、

その当時のアムカは、かまってちゃんアムカでなかったため、みつかるのは面倒で 隠していた。

母親は、なにもしなかった。

どうすればいいのか
わからなかっただけ、

と思うこともできたが、


その後、アムカやリスカを
するひとに出会うと、
みんな 「親に泣かれた」と言う。
わたしのまわりでは100%である


それが多数派なんだろう。


そんなわけで、


わたしが死んだら、
母親は 泣くだろうが


それは、自分のために
泣くのだとわかる。

うまく説明できないのだが、
わたしの母親は
とにかく 自分勝手で
自分が いちばん大切だから。

わたしが死んだところで、

大切なものが
失われる悲しみで、
泣いたりはしない。


死後のことなど
わからないけど。


ともかく、そんなわたしが
彼女に 強く惹かれるのは
当然だった。


母親が不調だと看病する、
ごく普通な 彼女が好きだった。


わたしの母親は、
看病や手伝いを嫌うひとだったため、
小学生の頃には すでに
母親を手伝う気持ちはなくなっていた。


自分が死んだら、
母親が泣くとか。

母親が倒れたら、
看病するとか。


そんな当たり前のことに
毎回 はっとさせられて、

とても 新鮮で

ここちよく やさしい気持ちになれた。



もみじ紅葉