波瀾万丈シリーズ

そして、いよいよ、、私自身の波瀾万丈な人生が始まる第4話になります!



それは私が小学5年生の時。
妹は4つ下なので1年生だ。



母が突然いなくなった。



ただ、、いなくなった日の記憶はない。


普段から働かない父のせいで母は仕事に出ていたこともあり、私は妹の面倒を見なければ!という使命に燃えるお姉ちゃんであった。

(妹はお姉ちゃんには苛められてばっかりだったと言うがw)


母がいなくなったその日、、


いつ、それに気づいたのか、、、


ハッキリとしない。


こうして書いていて、ふと、、父が母からの置き手紙を読んでいたかも?


というようなシーンが思い出されたが、とにかくいなくなったのである。



私が覚えているのは、捜索願いのチラシ。


そして母が不在の間、祖母がうちに来ていたと思うが、学校に行ってた私に「お母さんが見つかったらしいから早退しなさい。」


と、言われて、母が見つかったのが嬉しかったのか、なんだか特別な早退理由が嬉しかったのか、、(笑)


その時の私の妙な高揚感は何故かハッキリ覚えている。


そして、その足で広島へ。
この時、初めて新幹線に乗った。


これもよく覚えている。




そこに母がいた。


が、母ではなくひとりの女性だった。


母は、男の人と一緒だった。


父と、祖母、私、妹。


家族総出で母を迎えに行った先で見た光景は、泣き叫ぶひとりの女性の姿であった。


祖母が、「ほら、子供らも一緒に迎えに来たから。帰ろう。」
と、腕を引っ張る。


それを必死で振り払おうとしながら「イヤだー!!○○と一緒にいるー!!」と、泣き叫ぶ。


修羅場である、、、滝汗ガーン


父が怒る。

母が叫ぶ。


私と妹はしばらく呆然と何も言えずに立っていた。


それでも渋々一緒に帰ったのは、私が「ママ、
一緒に帰ろう、、」
と、言ったからだったように思う。


今ならね、、いや、せめて高校生くらい、、んー中学生でももしかしたら。


無理に連れて帰ろうとは私はしなかったかもしれないけど。


さすがにまだ小学生。
母なしの生活は考えられなかった。


この時、母ミチコはまだ27歳。


いやはや、、ろくでなしの父と居て、何もかも捨ててやり直すにはまだまだ充分すぎるほどの若さだった。


もちろん、その頃の私にとっては「ママ」でしかなかった訳だが。


そして、、
これ以降、私の子供離れしてるとも言える達観した精神がその体に見合わず成長していくこととなる。





、、話がヘビーで絵文字が使えなかった(笑)
重くてごめんなさいてへぺろ

しかし、、私は本当に。
つい先日まで。

これが私のインナーチャイルド代表選手だと気づいてなかった。(笑)

平気のつもりでいた。
平気、、というか、、


母の立場、母の気持ちにずっと寄り添ってきてた。
ということに気がついたのだ、、。


かわいそうだったのは私もだ。
今、ようやく、、小さな私に、悲しかったね。
寂しかったね。と言ってあげられる。


しかし、波瀾万丈な人生はまだまだ続くのである(笑)



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