(軽度)認知症の不安感の話
先日,高速の入口が工事で入れなかったので,知らない夜の街をしばらく走り抜けることになった。何とも言えないもやっとした不安感が過る。
歩きならば,人の声が聞こえたり,立ち止まったりもできるけれど,密室である車の中はある意味孤独で,相談できる人もいない。
時速40キロくらいの風景(世の移り変わり)と,時速10キロくらいの感情の処理速度の不一致に,何となく落ち着かない。心がざわりと鳴る。
その時,ふと「そうか,これが,母の,軽度認知症の世界かも」と思った。
実体のない不安感,根源が何かとか探るほどのことでもないけれど,それでも感情の速度よりも,周りの速度が速くて,考えも追いつかず,不安も処理しきれない。
次第に,何かトゲトゲとしたものが心の表面に露出してくる。不安な心を守ろうとしてなのか,傷つけられまいとしてなのか,弱い者が身に纏うギスギスした鎧みたいな何か。
若い人ならば,それを武器に変えて生きることもできる,本物の鎧にする術を学ぶこともできる。でも,ある一定の年齢以上になると,それはなかなか難しいことになる。
だから,車から降り,自分の速度で歩く必要があるんだと感じた。人と話し,休みつつ,ここはどこで,どこに行きたいか,どう行くか,一緒に歩いてくれる人がいれば,その不安は薄くなるのではないかと。
認知症であれ,引き籠りであれ,その人の速度で,話しつつ一緒に歩く人がいることで,不安は減るのではないかと。
人に共感するのは難しいし,共感したからといって,不安を取り除いてあげられるわけではない。
けれど,わかっているよというのを,色々な表現で伝えてあげることで,あの見知らぬ街を疾走する不安が和らぐのであれば,伝えてあげる努力をしたい。
(軽度)認知症の人の歩幅に合わせて生きるのは,働き盛りの人や,若者には難しいかもしれない。時間の流れが違うため,言い争ったり,イライラしてしまうかもしれない。
けれど,たとえ喧嘩しても,ぶつかっても,一人ではないこと,心の底では心配してるということ,どんなに不安でも私がいるよということを伝えていきたい。
不安は誰でも嫌だけど,きっとみんな不安な気持ちを抱えつつ歩いているんだということを何となくでも感じることで,お互いに少しでも軽くなれれば良いなと思う。