〜母の「私は癌」の訴えに、また付き合う日〜
こんにちは。
今日はちょっと、疲れた気持ちを書かせてください。
母の「私は癌かもしれない」が、また始まりました。
膝や腰の痛みが強かった時期はそういう訴えは出なかったけれど、月1くらいのペースでぶり返してきています。
食べすぎたり、お腹に空気が溜まったりすると、
「この張り方、おかしい。絶対、癌だと思うの」と。
① 検査は定期的にしてる: 血液検査も画像診断も受けていて、異常は一度もなし。
② 食材にも気を配ってる: オーガニック野菜や無添加の食材を定期購入して、食生活もできる範囲で整えてる。
③ それでも…: 毎月のように現れる「癌の疑い」。もう数十年の“未遂事件”です。
いくら説明しても、母は納得しません。
最終的には「どうせ私の気持ちはわかってもらえない」と言われてしまう。
癌かどうかで喧嘩になるって、本当に非効率で非合理で…
自分の心がじわじわと削られていく感じがします。
私は逆に、痛みを我慢してしまうタイプ。
何日も我慢して、やっと病院に行くと「もう少し早ければ…」なんて言われることも。
もしかして、私の方が気づかないまま癌になってる可能性もあるよね、と
冗談交じりに思うこともあります。
◆ それでも向き合う私たち
非合理な訴えも、母の「不安のかたち」なんだと思うようにしています。
否定しても、きっと母の中では「真実」なんですよね。
だから、今日は少し視点を変えて、
「どうしてそう思ったの?」
「どこが一番つらい?」
と聞いてみることにしました。
今日の私の結論は、
「否定することより、共にいること」
疲れているときほど、深呼吸して。
ゆっくりお茶を淹れて、自分の心をなだめてあげようと思います。
今日も、母と一緒に、同じ「心配」と向き合った1日でした。
完璧じゃなくていい、疲れたら休んでいい。
そんなふうに思えるようになったのは、
このブログで気持ちを書き出せるようになったからかもしれません。
読んでくださってありがとうございます🌱