さぁてと毎週水曜日はフランスパン教室という名のフランスパンエキスパートレッスン🥖




昨日は

伊豆天城でパン教室をやってる

あやこさん。アッコ先生が来てくださいました。


アッコ先生のことはインスタでよく見かけていて

お店にもきてくれていたのですが

わたしはだいだい休憩にいってるので

お会いできてなくて

でも、インスタでみていたので、、

まさかアッコ先生が来てくださるなんて

嬉しかったです



パンの話をたくさんできるし

熱く語ってしまうわたしですが

それをちゃんと聞いてくれて、熱量が湧いてきちゃいます。


スパルタはなこ先生なのですが

ずっと作り続けても、まだ作り足りないくらいな感じでした。


機材があまり揃っていないとこで作ったことが

ないので、

パン教室をやってる方をめちゃくちゃ尊敬してます。

環境がない状況でもおいしくつくれるなんて

すごい!


フランスパンは

釜が大事なので、アッコ先生はやりたくても

できないっていってました。

でも、パン屋の機材を使ったら

すぐにできちゃうくらい、ちゃんと勉強してるなぁっておもいました。


パンて奥が深い!だから楽しいんだなぁ。


焼きあがったフランスパンを二人でたべて

うめーって言ったらアッコ先生笑ってた!


楽しいひととき

同じパンつながりって

同じとこで笑いあえる。


それってすごい繋がりだなっておもいました。


タオル成形、紙とペンでクープの練習


かっこよくパンを作ることが

上達する秘訣!

それは、わたしがパン屋で就職したとき

社長が言っていた言葉です。


粉の振り方

立ち振る舞い。

これこそパン職人の近道🥖




パン屋って

めちゃくちゃ楽しいよー。


では

また明日!



こんばんは。沼津市我入道のパン屋

フランスパンが得意なパン屋です。

今日は、はなぱんの常連さんがフランスパンを作りたいというので、定休日を利用して

フランスパン特訓コースを開催しました。





とにかく

生地に慣れてもらうこと。

最初はうまくいくはずはありません。

なので、

私のやり方はとにかく

フランスパンの生地に慣れてもらうこと。




下手くそでいいんです。


これからもっと上手くなってやる!という

情熱があれば!


わたしもそうでしたから。






だんだん

上手くなってきましたよ。


わたしは日頃

淡々と作っているので、

久しぶりに先生をして楽しかったです。


コロナになる前は

専門学校で講師もしてましたが、

何年振りだったので




資料をつくりました。




ランチは

私のお手製です。

もちろんお魚。


焼きたてのバゲッドと。


なかなか

パン屋さんで教室はできないので

これからも

リクエストがあればやりたいとおもいます。


興味があれば

インスタグラム

hanapan500614


ライン公式アカウント




はなぱんホームページで

ご確認くださいね。



教室は

まだちゃんと記載してはありませんので

ご了承ください。




こんにちは。はなぱんオーナーはなこです。


今日ははなぱんのパンご紹介しちゃいます。


沼津市我入道

漁師町にひっそりやっているパン屋!

ここは

魚屋なのか!

違います。パン屋です。ちゃんとしたパン屋です


でも実家は漁師の家なので

魚さんたちを使ったパンが勢揃いしてます。


まあふつーのパン屋じゃ考えられないような

ことをやってしまっているのです。笑

だって、魚をこよなく愛してる💕


パンももちろん好き!

だったら一緒に作ればいいのだ!って

思って、作っちゃってます。


魚は沼津魚市場から仕入れたり

漁師さんにいただいたり、、、


買うものじゃないと思ってたわたし。



こちらは、、

スズキのクリーム煮を野菜🥦と

フランスパンの中に、、



こちらは

銭洲で今朝釣れた、うめいろ!



こちらはしらすをチーズフランスに



こちらは仕入れた真鯛!


沼津港近い!


我入道漁協のわたし準組合員なんです。





あ!

これはねっ真鯛を捌いたアラを太刀魚の

出汁をとって

ラーメンにしちゃいました。

これは、賄いになりました!ラーメンやさんに

怒られてしまうからね。


趣味でやってます。


お魚な出汁が大好き❤なんで。



ちゃんと

フランスパンつくってます!


パン屋ですから!


プロです。わたし。



こんな感じで

朝からたくさんつくってまーす。


我入道は太刀魚が有名なんですよー!


てなわけで

まだまだ旬の魚をつかった

パン❌魚を🐟つくっていきまーす。


はなぱんホームページ




沼津にきたら寄ってみてくださいねっ




はなぱんは先週の14日で丸8年に

なりました。


パン屋になろうと決めてから、早18年。

役者になりたいと思って、高校卒業後に東京に

出たはいいが、結局、頑張れなかった。


日本映画学校に入学し、同期にな、なんと

バカリズム、北村有起哉がいた。


いまほんとに活躍してるなぁ。

まあ当時から目立っていたし、めちゃくちゃ

頑張っていた。

わたしは、学校にいきながらわたしのほんとうに

やりたいことは役者なのか!

と考えながらも他の道はなかったので

ズルズルやっていた。


爆笑問題さんとも共演もしましたが、


途中、母が亡くなったりして

結局沼津へ帰って、その後はアルバイトをしながら、沼津のアマチュア劇団、沼津演劇研究所へ

所属した。

24歳くらいだったかぁな。


このままズルズルやっていても仕方ないと

アルバイトとしていたお菓子さんをやめ

ちゃんとしなきゃって思い、

もう一度人生考えなきゃと決心をし


レコールバンタン製パンコースへ入学。


10年ローンを組み

絶対10年はパンの道はやめないぞ!という

気持ちでした。


わたしが最後にお手伝いしたとき沼津の劇団には

磯村勇人くんがいました。


高校生でなんとも可愛かったです。笑

なんかわたしの周りすごいなぁ。


最後の舞台は、磯村くんと出てほしいと

頼まれたけど、東京にいく準備やらで

出れなかった。

あんな有名になるなら出ておけばよかったわ。


それはさておき

そんなこんなで、、


学校卒業したあと、地元のパンやで

働いてから、38歳になって結婚もしたし

小さな店でいいからやりたいとおもい、

実家の近くで、はなぱんオープン。



8年の間に、いろいろありました。

離婚や経営不振。


それは、やっぱ自分への傲り。

原因は全て自分!


調子に乗ってたのでしょう。


でも、人の繋がりってすごくて、潰れそうな

はなぱんでしたが、

ある人のおかげで、復活!


A41枚アンケート広告アドバイザーの神南さんに

出会い、、

はなぱんにたくさんのお客様がくるように

なったのです。


そして、、現在



若い方や年配の方に来てもらえる

お店になりました!














それもずっと作りたかった

フランスパン🥖をたくさん作れるように

なりました





フランスパンは休日は50本つくることも

あります。

本当に嬉しい!


粉や塩を厳選して、発酵時間を変えながら

やってます。


平日も最近はお客様がきてくださいます。


スタッフ二人も、、びっくり!


スタッフみーほは7年。

ど素人から、いまは製造は全てできるように

なりました。

感謝ですね、



小さい店に100種類以上のパンがあります。


そして

バケットサンド。

どこも真似できないようなパン屋を

これからも目指していきたいです。





そして

お客様さまに愛されるそんなパン屋を

一生続けていきたいです。


ライン公式アカウント



ホームページ



営業時間が、変わりました

朝6時から完売までになります。










昨日ラインアカウントのお客様が一冊の本を

持ってきてくださいました。

私がおじいちゃんの話やなぜわたしが

パン屋で魚バケットサンドを作っているのか

SNSで発信を続けていたら


こちらの本、昭和61年の雑誌です。


ラインからこの本の中におじいさまが載ってるから、持っていきますよって。


そういえば昔読んだことありましたが

若い時に読んでも、載ってるとしか思わなかった

ことが今になって祖父の気持ちがなんだか

わかるようになってきたんだなと。

すごいことが書かれていたんだねと

父に記事を見せて二人で思わず無口になるくらい

胸がいっぱいになりました。

普段あまりじいちゃんの話をしない父でしたが

ぽろっと、やっぱりすげーな。きょういっちゃんはと。競一という名前なので、みんな

きょういっちゃんと呼んでました。


漁師は命がけで漁にでる、こんな風が吹いてるのにじいちゃん行くの?って何回も思ったことが

ありました。

おばあちゃんはそれはずっと黙って

じっと待っていたんだなぁって。

おばあちゃんもすごい人だったわ。

大正の女ですな、、


じいちゃん98歳、まあ長生きだわね。

亡くなる前にボケたじいちゃんは

はなこ!船出すから準備しろって言ってました。

おじいちゃんは死ぬまで漁師だったんだなって

わたしはずっとじいちゃんのそばにいました。





私は祖父、、祖母で三人で暮らしました。


毎日漁に出ていき、船が出れないときには

イライラして、朝からお酒を飲んでました。

当時は、飲んでるおじいちゃんが怖かったです。

でも、一回漁に出れないことが、

稼ぎがなくなるってことは、当時のわたしには

わからなかった。飲んだくれていたのは

悔しかったからだったんだなと、


今になってパン屋を経営しはじめて、台風や雨の日にお店を閉めなきゃならないことがこんなに

苦痛なことなのかわかり、おじいちゃんの

気持ちがわかるようになりました。





当時70歳。

わたしが11歳。


飲みにいくじいちゃん、ピシッとサングラス

をしてました。

そんなじいちゃんに飲み屋に連れていかれ、

その当時に行っていたスナックのママ

が最近はなぱんにきてくれました。

嬉しかった-。

行かねば。




その当時の船は🚢第一辨天丸。

現在、沼津我入道のたいしょうまるが

乗っていてくれてます。


歴史が残ってるのは嬉しいですね。


その後、うちの父が

アルミ船🚢の第二辨天丸を作り

祖父と叔父が釣り船として、活躍してました。

毎日夜中にでかけていき、夕方にかえってくる。

夜中一時に気象台に電話して

よし!行くぞ!と毎日出かけていきました。


たまにお弁当作ったあげましたよ。



叔父がなくなり、おじいちゃんも年になり

釣り船をやめざるおえなくなり

そのまま沼津港に停泊してました。


そして、父がインドネシアに5年前

寄付をするために、出かけていきました。

いまはインドネシアで大切に綺麗にしてくれてます。

父は漁師をやめ、貨物船の船長になり

その後オイルショックで陸で海運業を起業。


父、祖父、叔父と共にこの辨天丸を

守り続けてくれました。


現在。辨天丸はありますが、

サンコーマーケティングフーズさんに

譲渡しました。

東京の飲食店の会社が漁にでる!

辨天丸の名前を残したままです。

嬉しいことです。





この記事をみて、、

じいちゃんの気持ちが痛いほどわかります。


私がいまパン屋で魚のバケットサンドを

やり始めたきっかけは、

父が漁協の顧問になり、、漁協との

繋がりが明るくなり

これでやっと、漁師の孫の意地が張れると

思ったからです。

わたしも一生パン屋でやり続けていこうと

思いました。

じいちゃんに会えた気がしたそんな本です。




今は沼津港でセリにでかけてます。


たくさんのお魚に囲まれて、毎日

じいちゃんの顔が出てきます。

はなこは仕事だけは頑張る!

がんばれよ。家のことはじいちゃんやってやるからって。

洗濯、ご飯、全てじいちゃんがやってくれました。

まあパンツを干していて、まったく華子のパンツも洗ってるわって近所の人にもらしてたらしいです。笑


パン屋に就職し、朝早くから夜まで

仕事してくる私をじいちゃんが毎日

外で犬と一緒にまっててくれました。

じいちゃんのしめ鯖は天下一品❗️

わたしが大好物なので、よく作ってくれました。



我入道でやるパン屋の意味が

やっと8年かけていまやっと願いが叶った

気がします。

じいちゃんみたくなりたいし、

厳しかったらしいですが、わたしには甘かったけど、そんなじいちゃんのように

強くて、優しくて、人のためにやってきた人に

なりたいなとおもいます。





真鯛はじいちゃんが毎日銭洲から


飽きるほど食べさせてもらいました


メダイ、シマアジ


今となって高級魚を食せるわたしは

幸せものだったと、、


この本を届けてくださった方に感謝しています。



引退後のじいちゃん。

毎日我入道浜を犬のそらと。

そらも去年なくなりました。

毎日一緒でした。


私のじいちゃんはすごい人でした。



この本を読み返しいて、新たな気持ちで

意地と根性と思いやりをもって

パン屋を続けていきたいと

思ってます。

愛情持って仕事をする、

思いやりが大切だなとじいちゃんに教わりました。その気持ちを忘れずに

暮らしていきたいです。

ありがとうございました


はなぱんオーナー

鈴木華子