昨日ラインアカウントのお客様が一冊の本を
持ってきてくださいました。
私がおじいちゃんの話やなぜわたしが
パン屋で魚バケットサンドを作っているのか
SNSで発信を続けていたら
こちらの本、昭和61年の雑誌です。
ラインからこの本の中におじいさまが載ってるから、持っていきますよって。
そういえば昔読んだことありましたが
若い時に読んでも、載ってるとしか思わなかった
ことが今になって祖父の気持ちがなんだか
わかるようになってきたんだなと。
すごいことが書かれていたんだねと
父に記事を見せて二人で思わず無口になるくらい
胸がいっぱいになりました。
普段あまりじいちゃんの話をしない父でしたが
ぽろっと、やっぱりすげーな。きょういっちゃんはと。競一という名前なので、みんな
きょういっちゃんと呼んでました。
漁師は命がけで漁にでる、こんな風が吹いてるのにじいちゃん行くの?って何回も思ったことが
ありました。
おばあちゃんはそれはずっと黙って
じっと待っていたんだなぁって。
おばあちゃんもすごい人だったわ。
大正の女ですな、、
じいちゃん98歳、まあ長生きだわね。
亡くなる前にボケたじいちゃんは
はなこ!船出すから準備しろって言ってました。
おじいちゃんは死ぬまで漁師だったんだなって
わたしはずっとじいちゃんのそばにいました。
私は祖父、、祖母で三人で暮らしました。
毎日漁に出ていき、船が出れないときには
イライラして、朝からお酒を飲んでました。
当時は、飲んでるおじいちゃんが怖かったです。
でも、一回漁に出れないことが、
稼ぎがなくなるってことは、当時のわたしには
わからなかった。飲んだくれていたのは
悔しかったからだったんだなと、
今になってパン屋を経営しはじめて、台風や雨の日にお店を閉めなきゃならないことがこんなに
苦痛なことなのかわかり、おじいちゃんの
気持ちがわかるようになりました。
当時70歳。
わたしが11歳。
飲みにいくじいちゃん、ピシッとサングラス
をしてました。
そんなじいちゃんに飲み屋に連れていかれ、
その当時に行っていたスナックのママ
が最近はなぱんにきてくれました。
嬉しかった-。
行かねば。
その当時の船は🚢第一辨天丸。
現在、沼津我入道のたいしょうまるが
乗っていてくれてます。
歴史が残ってるのは嬉しいですね。
その後、うちの父が
アルミ船🚢の第二辨天丸を作り
祖父と叔父が釣り船として、活躍してました。
毎日夜中にでかけていき、夕方にかえってくる。
夜中一時に気象台に電話して
よし!行くぞ!と毎日出かけていきました。
たまにお弁当作ったあげましたよ。
叔父がなくなり、おじいちゃんも年になり
釣り船をやめざるおえなくなり
そのまま沼津港に停泊してました。
そして、父がインドネシアに5年前
寄付をするために、出かけていきました。
いまはインドネシアで大切に綺麗にしてくれてます。
父は漁師をやめ、貨物船の船長になり
その後オイルショックで陸で海運業を起業。
父、祖父、叔父と共にこの辨天丸を
守り続けてくれました。
現在。辨天丸はありますが、
サンコーマーケティングフーズさんに
譲渡しました。
東京の飲食店の会社が漁にでる!
辨天丸の名前を残したままです。
嬉しいことです。
この記事をみて、、
じいちゃんの気持ちが痛いほどわかります。
私がいまパン屋で魚のバケットサンドを
やり始めたきっかけは、
父が漁協の顧問になり、、漁協との
繋がりが明るくなり
これでやっと、漁師の孫の意地が張れると
思ったからです。
わたしも一生パン屋でやり続けていこうと
思いました。
じいちゃんに会えた気がしたそんな本です。
今は沼津港でセリにでかけてます。
たくさんのお魚に囲まれて、毎日
じいちゃんの顔が出てきます。
はなこは仕事だけは頑張る!
がんばれよ。家のことはじいちゃんやってやるからって。
洗濯、ご飯、全てじいちゃんがやってくれました。
まあパンツを干していて、まったく華子のパンツも洗ってるわって近所の人にもらしてたらしいです。笑
パン屋に就職し、朝早くから夜まで
仕事してくる私をじいちゃんが毎日
外で犬と一緒にまっててくれました。
じいちゃんのしめ鯖は天下一品❗️
わたしが大好物なので、よく作ってくれました。
我入道でやるパン屋の意味が
やっと8年かけていまやっと願いが叶った
気がします。
じいちゃんみたくなりたいし、
厳しかったらしいですが、わたしには甘かったけど、そんなじいちゃんのように
強くて、優しくて、人のためにやってきた人に
なりたいなとおもいます。
真鯛はじいちゃんが毎日銭洲から
飽きるほど食べさせてもらいました
メダイ、シマアジ
今となって高級魚を食せるわたしは
幸せものだったと、、
この本を届けてくださった方に感謝しています。
引退後のじいちゃん。
毎日我入道浜を犬のそらと。
そらも去年なくなりました。
毎日一緒でした。
私のじいちゃんはすごい人でした。
この本を読み返しいて、新たな気持ちで
意地と根性と思いやりをもって
パン屋を続けていきたいと
思ってます。
愛情持って仕事をする、
思いやりが大切だなとじいちゃんに教わりました。その気持ちを忘れずに
暮らしていきたいです。
ありがとうございました
はなぱんオーナー
鈴木華子