良い音の変質

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ハイエンドオーディオマニアにとっての「良い音」とは、
往々にして、ハイエンドオーディオマニアの間でしか通用しない。
これは決して揶揄ではなく、事実なので事は深刻だ。

そして実は、ハイエンドオーディオ製品の異常な価格の高騰と、オーディオオタクの音質的感覚の破綻には、奇妙な相関性があるようにも思えてならない。

もう15年以上前になるが、ステレオサウンドの記事のレベルが余りに酷くて、購読をやめてしまったのだが、思えば、その頃から評論家の感覚は異常であった。

思い出すのは「ハイスピード」という用語を多用していた評論家連中(主に三浦孝仁や傅信幸)の事だ。
本来であれば過渡特性の良し悪しを表す用語を、帯域バランスの癖にすり替えてしまったのには驚いた。

推奨するスピーカーも、到底素直な音とは言い難い、オーディオオタク的音質のものばかりで、こんな奴の評論が受けるようなら、オーディオも終わりだなと思ったものだが、いざ蓋を開ければ、彼らが主流派となっていた(笑)


もっとも、オーディオは趣味嗜好の世界であり、正解というものはない。
どんなヘンチクリンな音であっても、当の本人が心から満足していればそれでいいのだ。

ただし、見ていて(聴いていて)痛々しいのは確かだ。

それに、これからオーディオを始めようとする人々にとっては、決して良い手本にはならないのだし、やはりオーディオは業界を挙げて、この奇怪なハイエンドオーディオワールドという病気を治療した方が、長期的に見て得策だと思うのだが・・・。

オーディオオタク

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一口にオーディオが趣味といっても、その目的はまるで別である事の方が多い。

ハイエンドオーディオというのが、奇怪で奇妙な趣味になってしまっているのは、彼らは音楽を良い音で聴きたい・・というシンプルな目的だけでオーディオをやっている訳ではないからだ。

物と、知識と、自分の信仰への称賛=ステイタスといったものの「所有欲と自慢」・・これが実は、「良い音で音楽を」よりも優先しているのに自身が気がついていない。

例えば、『通』と呼ばれ自分もその気になっているスーパーマニアが、音楽やオーディオの技術的知識や高級品の所有歴で武装してから、自分の嗜好のセンスの良さを認めさせようと誘導する例がある。

本当のセンスが備わっていれば、それは素直に説得力を持つのだが、いかんせん実は、単なる頭の良いオーディオオタク、似非技術信仰に囚われた依怙地なオーディオオタク、成金オーディオオタクに過ぎない場合も、意外と多い。

そういう時やはり、匂いが鼻につくのだ、そして感じる「こいつは、良い音を出していないな・・・」と。


そもそも、知識と情報と観念と見栄で頭が一杯になってしまって、自分にとっての本当に良い音を知らないのだろうことが案外透けて見えるものだ。

皮肉なことに、評論家の周辺で通を気取っているハイエンドマニアや、もしくは頭でっかちの自作通の方が病んでいる事が、この趣味の衰退に拍車をかけている。



100万円を超えるゴールドムンド製品の中身が2万円足らずのパイオニア製であった事が話題になった事がある。FMアコースティックスのパーツ原価を計算して、とんでもない結果が出た・・・これらは、一般の良識から考えれば明らかに悪徳商法の類に感じられる。

ただ、最高級オーディオの価格対性能比がそれなりに比例したのは、もう過去の話だと思う。

恐らくこれらの超高額製品群は物理的性能よりも、音作りの面で極めて魅力的な個性を有しており、その魅力がユーザーにとっては唯一無二の存在になっているのだろう。

しかしながら、単なる音作りだけならば、恐らくもっと安価に製品は提供できるはずだ。

では、法外な超高額オーディオとは一体なんだろう?
そう考えてみると、高級時計や宝飾品と性格が似ている事に気がつく。

スイス製の超高級腕時計は廉価品の高性能時計より正確か?堅牢なのか?
・・・否である。

コストと手間をかけた、凝った造作や美しいデザイン、ブランドの放つ高級感。ただそれを所有することが名誉であり満足なのだ。

決して内蔵されているメカニズムも悪くないだろうが、セイコーやシチズンの高級時計の方が工業製品としては優秀で正確なはずだ。

そう考えれば、ゴールドムンドやFMアコースティックスの存在意義が理解できると思う。


なお、私は単純に良い音が聴きたいだけなので、そこまで出費する必要が無い。