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フェードアウト

 友達とレコーディングセッションをしている。忙しい中演奏に来てくれて嬉しい。

 セッションなので、自分が作った曲を、音楽家に演奏してもらう、というやり方ではない。

 限られた時間と空間の中に考えやアイデアを放り込む。そのアイデア達はふわふわと漂い結合し融合して新しい物質になる。ヘリウムと水素が結合と分裂し他の元素を誘発するように。それはまさに宇宙の発生となにもたがわない。つまりこれは音楽的科学実験なのだ。びっくりだ。

 アイデアだすためのブレインストーミングの音楽版というか、自分以外の音楽家の経験/考え/いわば「いのち」というフィルターを通して、考えが増幅・膨張して行く 肥大したアイデアをミニマルに削ぎ落とすのもまたセッションだ。

 つまり俺は一人ではなにもできないということが明確なわけで、俺はダメだなあと思うと同時に、みんながいてくれて助けてくれて心から感謝している。ブンブンちゃんふうにかけば「ありがとう〜ありがとう〜」だ。

 先日のセッション中で、しゅうちゃんとブンブンちゃんがいる時に楽器を片手に「フェードアウトの話」をした。フェードアウトとは、ミックスダウンの手法の一つで録音した演奏を全体的にボリュームを、完全に音がなくなるまで小さくしていき、あたかも演奏が永遠に終わらないような印象を与えるテクニックだ。

「僕はフェードアウトが嫌いなのです」。楽器の準備が終わり、曲のアレンジや構成を話している時に、ふと出た言葉。

「僕はフェードアウトが嫌いなのです。子供の頃、、、、おそらく小学校高学年だったと記憶していますが、音楽を聴くのが好きで、お気に入りのレコオドに針を落とし、家にあったステレオ・スピイカァに耳を押し当てて、吹き込まれた音を聞いて大いに興奮をしたものです。

 そこで気づいたのですが、自分にはどうも〝フェイド・アウト〟という音楽上の演出が苦手で、、、。
 その理由は、いままであんなに楽しく演奏していた皆がこちらに背中を向けて徐々に去り始めている映像が眼に浮かぶのです。これは大いに寂しくそして悲しい情景で、音楽のパレイドは続いているのに何故か演奏家達はくるりと踵を返し、笑顔のまま去って行くのです。
 困った自分は後を追いかけなくてはなりません。まだ演奏が終わっていないのだからパレイドを最後まで見届けたいのです。
 わたしの小さい体は大人の演奏家たちについて行くにはウンと走らなくてはなりませんが置いていかれるのは大変困るので精一杯走るのです。

 音楽を楽しんでいるのに最後まで演奏せず私の元から向こうに向かって背を向けて歩き始めるなんて、酷い裏切り行為に思え憤慨しています。しかしながら演奏家たちに悪意はなくこちらを傷つけるためにやっているわけでもなく、ただただ機械的に去って行くのです(大人になった今、それはミキシング・エンジニアによる、文字通り〝機械的な〟作業によるものだと知りました)

 無表情で去って行く、悪意なき大人の演奏家たち。きっと歩幅が狭く病気がちの自分のせいだろう、共に歩めない自分が悪いのだ、演奏中なのにその場にとどまり聞くだけ/楽しむだけの自分に対する大人達のパニッシュメント(仕置)なのだ。
 事実は演奏が遠ざかっているのではなく、動いている時間と空間に自分一人が止まっているから向こうが去って行っているように見えるのだ。
 パアスペクティブによって主観がかわるというアインシュタイン博士の相対性理論だと気付くのはまだずっと後に年齢を重ねた後なのですが、とにかく幼い自分は、おいてけぼりをくらうのは自分のせいだと知りながらも、少しぐらい待っていてくれてもいいではないかと大人に口を尖らせ、演奏のパレイドについていこうと必死になります。

 自分にはうまい策がありました。向こうが行ってしまおうとするのであれば引き戻してやればいいのです。
 その為にはボリユウムと名のついたツマミを時計回りに回してやれば、演奏家たちが小さくなって逃げようとしたって まるで虫眼鏡で昆虫達を観察するように追いかけることができるのです。
 これは実際とても愉快でした。フェードアウト中の演奏は徐々にヴエールの下に潜り込もうとしているのに、布をひっぺがして陽に当ててやっているような、いままで自分を見下ろして、、、ともすればこちらの存在に気が付かないくらいの位置から見下ろされていると思っていたら、まるで逃げ惑うようなアリの隊列のようなのだから!
 どんどんと遠ざかるパレイド。時計回りに回すボリウムは虫眼鏡というより拡大鏡、いや、顕微鏡。
 繰り返されるメイン・ヴァースは旋律に遊びがあったりバックコーラスにフェイクが隠してあったり、演奏家達は仕事が終わって酒を飲みながらアフターパーティをしているかのようです。レコオドの溝にきざまれた楽曲の尻尾にこんなに愉快な演奏が隠されているなど世界中の誰が知っているでしょう。
 腹の底から痛快な気分になるのもつかの間、それでもやはりフェードアウトは機械的にパレイドをスピイカーの奥深くへ連れ去ってしまい音もなく扉を閉めるのです しかもいつも決まって同じように!! 
 手に握ったボリウムのツマミは最大限まで拡大していますがこれ以上は聞くことはできません。
 レコードプレイヤーは、まるで砂嵐のようなノイズを、パチ、、、パチンという枯れ枝が風にまかれてぶつかる音をときおり鳴らしながらピンクグレー色の雑音の川を流します。結局のところどんなにあがいたとしても自分は一人ぼっちになってしまい、深いミストの中に取り残されてしまうのです。」

 これを聞いていたブンブンちゃんは、なんと感受性の強い子供だったのでしょうと言ってくれて、少年時代の俺の心に寄り添ってくれた。その時俺はブンブンちゃんがあたたかく湿らせてくれた心の小さな痛みについて思い出していた。フェードアウトが嫌いな本当の理由を俺は知っているのだ。この話には続きがある。

 「両親と離れ祖父母に預けられて育った自分の環境に関係していると思われます。
 自分は先天性の喘息を患っており、医療が今ほど発達していない当時の医療では良い処治方法がなく、大気汚染の酷い川崎市の親元を離れ、空気の良い福岡・博多の祖父母の元へ自分一人転居することになったのです。
 6歳の自分は、なんの状況もわからずある日突然、両親/弟/友人から引き剥がされ、方言が強い場所につまみ捨てられたのです。それは自分が病弱だからです、すべては自分が悪いのです。自分の苦しみは自分のせいで生まれたのです。
 大人達は自分の世界からいつのまにかミストの中へいなくなってしまった、そんな想いに重ねてしまうのです。。。だから自分はフェードアウトが苦手、、、というより嫌いなのです。

 そういえば、この感覚をとても強く思えているのが、ビートルズの「ハローグッドバイ」という曲だ。
 音楽に詳しい君ならメインのサビのメロディはすぐに思い出せるだろうけどこの曲の最後はフェードアウトで終わる。
 しかも普通のフェードアウトではない。
 ビートルズと他の演奏家がならすラッパの音やパーカッションなどのパレイドは愉快に踊りながら弾んで、サーカスの一団と共にアドリブを織り交ぜながら、それでもなぜかこちらに背を向け徐々にミストの中に消えていく。
 「楽しかったよ。もう会うこともないと思うけど達者でやれよ」とジョンレノンが背中を向け、横顔だけを笑顔にして僕に言った。衣装はサージェントペパーのアレだ。ブルーだ。ポールマッカートニーが好きになれなかった俺がビートルズと話す時は、いつもジョンレノンが窓口だった。
 「まってまって!僕も連れて行ってよ!!いまはまだうまく弾けないけど、ギター教室に通っているんだ。そりゃあ練習しているのはクラシックギターだからあなた達のやっているような演奏は今はできないけど、いつかきっとあなた達がホウ!と頷くようなギター演奏ができるようになるから、僕も連れて行っておくれよ」と泣きながら追いかけていく。
 止まらないビートルズに僕はこう続ける「僕はここに居たくないんだ。ここには何もないんだから!誰も居ないんだから。。。僕は寂しいのはもう嫌なんだ。愉快なあなた達の音楽と一緒に演奏の旅に連れて行っておくれよ。」

 フェードアウトは容赦なく進み諦めかけたその時、なんと!!!!演奏が引き返してくる!!!いったんミストの向こうに消えたかと思った人影達がもう一度こちらに向かってくる。「みんな!みんな!!ここだよ!僕はここだよ!!」太平洋の真ん中に浮き輪につかまって漂うところに、救う為に戻ってきて、くれ、、、た??

 しかし演奏家達はさっきとは打って変わった有様で、まるで何百年の間も船でさまよって朽ち果ててしまった幽霊船に乗っている。骸骨達が古びたラッパや蓄音機を逆に回しながら、こちらに向かってくる。ジョンレノンは上半身だけになってしまい、ボロボロになったサージェントペパーを来て空中をフワフワと飛んでいる。
 絶望。一度行ってしまった音楽は救いでもなんでもなくもはや僕を奈落の底へと誘う死の棺桶となって現れた。戦慄し凍えたように固まる僕は、そのブリザードが過ぎ去るのを目を閉じてただただ待つだけ。
 暴れるだけ暴れた幽霊船はやがて最大風速のピークを過ぎ、ミストの中へ消えていく。恐怖が狂気の演奏とフェードアウトするとともに僕の縄も解かれて、部屋のスピイカの前に戻ってくる。
 わずが数十秒のフェードアウトの中に天国と地獄を合間みたのだ。「ビートルズってすごい。。。」

 これが俺の「フェードアウト」のはなしだ。

  ザ・ビートルズのハローグッバイを聴きたくなったけど、youtubeをさがしてもシングルバージョンしか無かったので聞くことができなかった。もしかしたら少年時代の白昼夢だったのかもしれない。



アナログDIYレコーディング:ピアニカとギター、そしてボーカルをいれました。

自宅録音でアナログの質感にこだわりレコーディングをしています。

AM10:30にギタリストしゅうちゃんとピアニカのぶんぶんちゃんがスタジオ入り。せまいスタジオ内に肩をよせあい録音をしました。

ドラムのはやと君が本日はこれなかったので、せっかくなので鍵盤ハーモニカを全面に押し出した曲を吹き込もうとおもい、ぶんぶんちゃんにオファー。

・三拍子。ワルツのリズム
・メランコリックな印象にしたい

この2つをお願いしたら、メインのリフを即興で吹いてくれました。さすがです。この「音楽的反射神経」はさすがです。コードのアウトラインを決めてもらって、ホワイトボードに8小節のバースをすらすらと。曲中で展開がほしいので、マイナーな響きの8小節バースももうひとつ用意しました。

普通はAメロ1、Aメロ2、Bメロ、サビ1、ソロパート、、、、と決めるのですが、あえて全く決めずに、演奏中のアイコンタクトでアドリブで進行を決めていくことにしました。

いつものように、一回しか録音できません。(やりなおしはできるんだけど、あえて一回しか録音ボタンを押さない、というのが緊張感と集中力をキープします)。しゅうちゃんもぶんぶんちゃんもプロなのでなんなくこなしますが、僕はアップアップしながら演奏。

探り探りしながら録音しました。せまい部屋でとると、壁の反響があり、環境音含めていいかんじに録音できます。マイクもあえてShureのダイナミックマイクで録音しました。

今回から、動画撮影のカメラをいれてみました。曲のタイトルを決めるところも掲載しましたので、雰囲気を楽しんでいただければ幸いです。






 

 

しゅうちゃん

友達のギタリスト、しゅうちゃんと定期的に連絡をとりあっている。プロのギタリストでおおきな仕事に関わっているスゴ腕のミュージシャンなのだが、優しくて楽しくて、全然威張ったところがなく、大好きな友達だ。

以前も僕のバンドのライブでギターを弾いてもらったことがある。ギターでわからないところがあるとメールで聞いたり、彼のオリジナルCDのジャケットデザインをさせてもらったり、公私ともに仲良くさせてもらっている。

お互い忙しくなかなか会う機会もなかったのだが、2017年の暮れあたりから、近々会いましょう!という内容のメールをやり取りしていた。

そんなある日、俺の知り合いの若い女性ミュージシャンが亡くなった。詳細はここでは割愛するが、その死をなかなか受け入れられず悶々としているた日々、ふとメロディと歌詞がセットで頭の中に湧き上がる。

いてもたってもいられず、しゅうちゃんにメール。

そしたら、

週に何度か仕事で、俺のスタジオのそばに通りがかっているらしい!平日午前中でよければ遊びに行くよ!との事。

久々にあえる喜びと同時に、友達の死を音楽でアウトプットする手伝いをしてもらえないか、頼んでみることにした。俺よりはるかにレベルが上のミュージシャンにこんな事相談してもいいのか?と思ったが、しゅうちゃんならきっと話を聞いてくれるだろう、少なくともアドバイスをくれるのではないかと思い、会ったら俺の心の中を聞いてもらおうと思った。

2018/07/16

もう一度音楽を始めようと思って。

 
きっかけは昨年から、音楽を通じて亡くなった友人が相次いだから。もう二度と会えないなんて信じられないが、とにかく亡くなってしまったのでどうしようもない。
 
彼らに想いを馳せたら、頭の中にスライド写真のように思い出が映し出され、音楽が聞こえて来る。
 
もう一度彼らに会えるなら、どんな演奏をしたいかな、、、と考えているうちに、パッションが湧き上がって来た。
 
音楽から離れて何年かブランクがある。以前は「音楽」というよりもバンド、パフォーマンスにウェイトをかけていた。
 
今回は丁寧に一つづつ、「音楽」に向き合っていきたい。
 
もう一度会う彼らに聞かせた時に、ガッカリさせないように。
 
 
 
二年間くらい放置していたブログに、音楽にもう一度立ち向かう記録をつけようと思う。

下北沢屋根裏

いい朝だ。晴れてる。

今日は下北沢屋根裏でアコースティックライブ。
屋根裏閉店の悲報で、たくさんのミュージシャンが最後にステージを踏む。
幸運な事に僕にもそのチャンスをわけていただいた。

一緒に演奏するのは、俺の実弟・TAK。
思えば高校生のころからなにかにつけて一緒に演奏している。
TAKが鍵盤を弾いて、ゆずにドラムをたたいてもらってジョンがベース、やっちんがギターのバンド「スロースターターズ」のレコーデイングも屋根裏スタジオだった。伊藤ちゃんに録音してもらったなあ。

カホンをやってくれるのはCAP。
思えば、はじめて会ったのが下北沢屋根裏だった。はじめてあったその日のことは今でもなにかにつけて思い出して話す。かれがやっていた「ドロップアウツ」のファーストジャケットは下北沢屋根裏で撮影した。予算がなかったので、終演後の屋根裏を夜中にかりて、Studio23で働いていた衛藤くんに撮影してもらったなあ。当時は内田くんが店長だった。

殿はブルースハープを吹いてくれる。マタロカというシモキタに「あった」アジアンダイニングのバーテンで、夜中中いっしょにうたってさわいだなあ。二人ともブルースブラザーズが大好きで、いつか「シー・コート・ザ・キティ」を演奏しようぜってはなしていたのが10年前。

えびのワンマンやクンタキンテでのひとしのライブもここだったし、爆走車と一緒にやったのもここだった。

思い出せばきりがないが、そんな屋根裏も三月で閉店してしまう。

今夜は、カバーを中心に、みんなで最後に屋根裏で大声で歌おう。

なにかが終わると言うことは、なにかが始まるということなんだからね。

宮城県東松島の中学生

超感動!!

東松島で嬉しいことがあったんで、みんなに読んで欲しくて、長めの文章をかくよ!

土曜日の夜に下北沢ケイブビーでアコースティックLIVEやって、東松島に移動。

宮城県東松島の小野という街のお祭りで演奏をしてほしいとのオファー。

お馴染みウブドベ岡くんから軽~い感じで誘われて軽~い感じでOK!なんて。ゲラゲラ笑いながら夜走りで東北道を北上!!整体師の下井くんがラグジュアリーカーを運転してくれたので超快適!!ありがとー!!

今回のミュージシャンは、歌の勉強をしているあおいちゃん、ギターにTVで人気のスーパーイケメン•今井ようすけ君、カホンに岡くんの四人組で「藤井華丸バンド」名義で出演してきたよ!

1000人近くがワイワイ集まっててすげーリッパなイベントで、ステージもばっちりでさ!!出演者も和太鼓やらお笑いやら若手バンド、よさこい踊り他多数!!で、物産展や屋台もたくさんで、ちびっ子やたくさんの来場者もご機嫌でたくさんの笑顔が会場にあふれてた!

日本晴れの青空!ちょっと暑いくらい!!ステージもあったまってさー!いよいよ僕らの出番!おもいっきり楽しむぞ!!

初めて見る僕らなのにお客さんがすんごいあったかくて、(よーすけ人気も手伝ってw)一曲目どあたまからコールアンドレスポンスもバッチリで!!リズムをとって楽しそう!!

復興支援イベントでは、子供も年配の人もたくさん来るので、いつもセットリストで迷うんだけど。。。みんなが知ってる曲をまぜながらオリジナルもやったよ。

でもまあみんなが知らない歌をオリジナルでござい!って歌ってもねぇ、、、なんて気持ちもなくはなかったんだけど‥

音響機材トラブルがあったけど、そこはホラなんとかつないでいい感じにもりあげたよ!

とはいえ、トラブルで押したので持ち時間が減っちゃって。。。

最後の曲は、僕が作った曲をやろうとおもって準備してたんだ。でも時間も押してるしどうしよう、、、。ここでやめちゃおうかな、、、いいや!やっちゃえ!!やっちゃえ!!

最後の曲は、二年前に支援活動をしてる時に作った歌で、歌詞の内容は、できることは限られてるけど、すこしづつならなにかできるんじゃないか?と思って作った歌で「すこしづつ」という歌。

曲がはじまったら、手拍子や、サビを一緒に歌ってくれる年配の人のあたたかい眼差しに支えられながらいい演奏ができたと思う。

司会の方が今一度大きな拍手を!なんて声を背にステージをおりた後、メンバーやスタッフたちとはなしてたら。。。


2人組の中学生がもじもじしながら近づいてきて、僕にこう言ったんだ。

「自分たちは地元の中学三年生で、二年前に津波で校舎がなくなった。やっと今年新しい校舎が完成して自分たちが初の卒業生になる。

今日はじめて聴いた「すこしづつ」が自分たちの気持ちにリンクしてとても感動した。そこでお願いなのだが、僕達の卒業式にこの歌を歌いに来てもらえないか?」

最初はわが耳を疑ったよ。こんな申し出を受けたのは初めてだったからね。でもこんな素敵な、ましてや中学生が演奏後のバンドマンに直接交渉するなんてとても勇気がいったんだと思うし、「学校の先生とよく相談して、了承をもらったら喜んで出演します。」と伝えたよ。


岡君が、「今日こうやって新しいつながりができたことを嬉しく思う。演奏して終わり!ではなくて、僕らの活動がこうやって新しい出会いを産み出していくのは本当にやっていてよかったと思う」と言っていたよ。

僕も本当にそう思うよ。

曲を作るのも歌詞を書くのも歌を歌うのもギターを弾くのも、ゼンゼンままならないイマイチな僕ですが、自分の作品がこうやって誰かの心に届いた事を感じれた瞬間、本当に感動します。

ミュージシャンのともだち!スタッフのみんな!いつも応援してくれるみんな!そして新しくであってくれた君!!本当にいくら感謝してもしたりない!!

こんなつたない僕だけど今後ともよろしく頼むぜ!!

心からあいしてます!!本当にありがとう!

※よかったら音源のリンクを貼っておくので、もしよかったら聞いてやってください。

「すこしづつ」
作詞作曲 藤井華丸
https://m.soundcloud.com/hanamaru-fujii/nay6ylf8ub63

アコースティックでハートフルな夜

昨日の夜は弾き語りアコースティックライブだった。

ライブレポっぽくどんな夜だったかを書こうと思うんだけど、ハートフルな場面があったので、長めに書こうと思うよ。たいてい、ミュージシャン自身がかくライブレポって最高だった~ってことが多いけど、この文章はきっと読んでくれる君にもなにかかんじてもらえると思うよ。もし今、時間があったら読んでやってください。




渋谷ルビールームという小さなライブバーでアコースティックの企画をやるので出演してくださいと誘ってくれたのはゴーズマンというバンドを率いる千葉リョウ。千葉にすんでる俵良二なので、千葉リョウと呼んでいる。

僕がまだえびをやっているころだからかれこれウン十年前。彼がまだ高校生で16歳の頃に出会ってからだから相当長いつきあいになるな。当時俺らのまわりにはたくさんバンドマンがいて、周りのセンパイの影響でバンドマンの道を進んだリョウジ。ハイパービームというバンドでソニーからデビューして代表曲「愛する人へ」でタイアップ曲にもなってたから、曲を聴いたら知ってる人も多いんじゃないかな。今年の二月にやったオジヤンカフェでの僕の誕生日ライブでも熱唱してくれた。

数年前に咽喉ガンになったリョウジ。ボーカリストが咽喉ガンになるって、、、どんな心中だったんだろうな。幸いなことにサバイブした彼。声帯を三分の二とっちゃったらしいけど、ぜんぜんカッコよく歌っている。リョウジのすごいところはそういう悲壮感を全く見せずにいつもテンション高く笑ってるところ。いろいろ心中にあるんだろうけど、ネガティブなオーラはみじんもみせない。そんなタフな生き方が歌にもあらわれているんだろうな。

普段バンドでベースをひいている僕はアコースティックの弾き語り…あまり得意じゃない。けど誘われたからには期待に応えたいし、その夜を必然性のあるものにしたいと思ってた。

今年の春くらいから実の弟が原因不明の難病にかかってしまい大変な思いをしている。定期的に会いにいってるんだけど、様々な治療を試みている。二人のこどもも小さいし、まだまだ現場でバリバリはたらかなきゃいけないのに。僕は医者じゃないので彼を治療することはできない。でも、クヨクヨかんがえるより楽しくいい時間をもつことで気持ちが前に向けばと思って「今度ライブやるから一緒にやんない?」と誘った。弟はゲーム会社で働いていてコンピューターミュージックをつくっている。ちなみにみんなが大好きなウィニングイレブンという作品も彼の手によるところが大きいんだぜ!自慢の弟。

ガキのころからピアノが上手くて、海外駐在先だったシカゴではブルース三昧だった弟。じゃあいっちょ、ブルージーな選曲にしてやっちゃうか!でも、闘病中なので一度もリハーサルができず、メールのやりとりでディスカッション。ボデイドリーだろ、いやいやエルモアジェイムスでしょ!なんて。たった30分のライブだったんだけど、たくさんやりとりして楽しかった。何時も思うんだけどライブって一瞬で終わるよね。でもその前には膨大な時間が費やされてる。その長さと深さを感じるのが楽しいし大切な時間なんだろうね。

ところで僕には四人の子供がいる。2番目が15歳の高校一年生。ちょっと内向的なところがあって自分からなにかを探して行動する、って事がほとんどない。カミさんもなにか夢中になれるものがみつかるといいんだけど心配してて。じっくり俺と息子で話したんだけど、なんだかしょんぼりしちゃって。

で、ライブに誘ったの。こんど俺のライブあるから見に来いよって。そしたら「行く」と。別にミュージシャンになってほしいとかおもってないんだけど、いろんな場所があっていろんな人がいることを伝えたくてさ。友達も連れて行ってイイ?って、モチロン!!

選曲には息子に向けたメッセージも伝えられるような曲をいれよう。

ところで、20年前に僕がかいた「君がいれば」という曲。としろうくんらショートメッセージが来て「ライジングサンでアコーステッィクバンドで歌ったらお客さんが泣いてたよ」ってかいてあった。こないだフェースブックにもかいたんだけどねこのハナシ。ほんとかよ~でもホントだったらうれしいな。で、返信したの、ショートメッセージで。8/22に弾き語りで「君がいれば」やるから歌いに来て!って。2行くらいの短いSMS。

いざ当日、リハーサル。応援にきてくれるという友達の顔を思い浮かべながら無理しないでカッコつけないで演ろうとおもって挑んだのね。弟はリハにこれなくて。体調わるいから重いキーボードはこべないからブルースハープもってくわって。

いつも考えすぎて良くない状態になる俺なので、気楽にいこうとおもい、最初のアーティストが演奏をはじめるタイミングで最初のビールをのみはじめたら。としろう君がアコ-スティックギターをもってあらわれてさ。!!!あれ!?東京にいたの?

フジロックだRIJだライジングサンだのライブを終え、明日から山形富山名古屋と続くハードスケジュール。曲くらいゆっくりすればいいのに~!!俺に歩み寄るに開口一番「あのさあ、誘い方が雑!」ははは確かにそうだ。3~4行くらいのSMSだったもんな。

弟もかけつけたので、客席で紹介して「きみがいれば」の構成を確認。そしたらとしろうくんが「実はキーや構成を自分なりにかなりかえている」との事。じゃあとしろうがリードしておれらはバックにまわるよ!と五分で打ち合わせ終了。さすが大物!

いよいよ自分の番になり、ステージでセッティング。ビールを片手に楽しそうにしているいつもの友達、俺のヨコには弟がキーボードをセッティングしてて最前列には弟、後ろの方に対バンの仲間。。。リラックスしてやるつもりだったけど、みんなの顔をみてたら、あれ!!?一曲目、ぜんぜんユビがうごかない!!!???おれ相当緊張してる!!!

頭ではわかってるつもりなのにカラダがカタクなってる。。。。ははは情けないね。

それでも弟のフォローもあり、曲がすすんでいくにつれ次第にほぐれてきた。一曲目が終わりMCで弟を紹介し、ぼくらの出身である福岡という事をしゃべり二曲目には博多弁の曲「お空ばよーとみとくとよ」。遠くの空の下にいるひとを想ってつくった大事な曲。

曲が終わってMCで息子を紹介。「なんか喋って」と客イジリならぬ息子イジリ。たちあがった息子は「いつもヘンなお父さんだなあとおもってるんですけど、今ライブ見てたらカッコいいとおもいました」だって。フロアにいたお客さんからおおおおお~~!!!と大きな拍手をもらっていたよ。場を読んでの発言だとはおもうけど、ここはあえて言葉通りにうけとめておくことにしよう!こういうところは俺の得な性格だ。

三曲目はドロップDにチューニングしてスライドギターの3コードブルース!俺と弟はブルースが大好きなんだ!!上へ行ったり下へ行ったりしながらアドリブでテケトーにお互いリードをとりながらジャンジャン!めっちゃいいカンジ!!四曲目はゆるめのブルース「テイク・イット・イージー」。おれが「Take it easyって英語で言ったらどういう意味?」「日本語で言ったらどういう意味?のまちがいだろ!アニキ、ボケが進んでる!!」MCでの弟のツッコミにお客さんも笑ってくれてた。こなれてきていいカンジ。

ここでとしろうくんを呼び込み。それまで座ってやってたんだけど、ステージ狭いし立ち上がって。

としろうくんがMCをはじめる。はじめてのお客さんに自分のプロフィールを紹介しつつ「雑にさそわれたなんだかよくわかってないんだけど(笑)」と笑いをとり。彼が中学生くらいのころえびというバンドにふれたこと、そのあとハードコアにうつっていったこと。

そして震災がおこり、いろんな事を考える中、こういうときは自分のルーツミュージックだと思い立って「君がいれば」を聞いたんだって。

おれが最初としろうくんから「”君がいれば”やったよ」と聞いたときは、サラっとやったんだろうな、って程度にしかおもっていなかったんだけど、実は三番の歌詞・四番の歌詞もつくっていて、構成もより感動的なバージョンにつくりかえてあって。ぜんぜんサラっとじゃかったんだ!!!自分の歌として自分の心がのるように丁寧につくりこんであってさ。20年前に書いた社会問題と今の社会問題がひとつの曲の中に封じ込められてて。

実はこのエピドーソ、俺もはじめて聞くハナシ。お客さんにむかって丁寧に話すとしろうくんの姿をみながら実はかなりウルっときてたんだ。

そして曲がはじまったら、、、なんと!チューニングがあってないぞ!?むおっ!?チューナーつかってあわせたのにな。。。。弟が鍵盤でつなぎつつ、なんとかチューニングしてオブリっぽいことができた。

ライブ終わって、としろうチューニングあってた?って聞いたら緊張してよくわかんなかっただって。ゴツくてふてぶてしいのが魅力のとしろうなのに緊張とかすんの?ますますもってカワイいとしろうなのでした。

ライブ終了後もずっとのこっててくれて写真を求める人にもヤな顔せずに丁寧に答えていたよ。出番が終わったらササっといなくなっちゃう人、いっぱいしってるけど全然真逆。息子とその友達にも声をかえてくれてさ。俺もいろんな友達いるけど、ほんとかなり心からリスペクトできる数少ないキャラクターだ。

ハードスケジュールたいへんだと思うけどカラダや事故に気を付けて!今度またじっくり飲もうぜ!!!

ほんで最後の曲は「少しづつ」。震災後につくったんだけど、日々の問題を解決するには少しづつでいいからはじめようという内容で、その気持ちは毎日もっていたい。お客さんも手拍子と声で応援してくれて、ハートフルなワンシーンだったよ。弟や息子に届いたかな?いつもの友達は何か感じてくれたかな?はじめてのお客さんに何か残せたかな?

初めてであった友達、ここ三年来の友達、10年の友達、20年の友達、そして43年来の友達。いろんな人の思いが複雑にからみあって今ココにいるんだなあ。

4番目の出演は俵良二ひきいるゴーズマン。ノドについた咽喉ガンの手術跡がいたいたしい。声をからして、それでも歌ってる。MCでは、弟にむけて「ぼくも大変でしたけど、がんばってください」とか「息子!バンドやんなよ!」と声をかけてくれた。ホントに性根のやさしいヤツだ。リョウジ、愛してるぜ!!いつだったか泥酔してお前と交わしたディープキスが忘れられないおれなのさ。

そんなこんなでズイブンハートフルな夜だったな。またこういう夜がもてるなら、俺またがんばっちゃおうかな。うん、絵を描いて曲を書こう。おれにはすばらしいファミリーと友達がたくさんいる!!!次回はもうすこしキンチョウしないように心をつくってきます。ほんで、ギターと歌をもって練習してきます!!どうかみすてないでね。9月と10月にもアコースティックイベントきまってるのでまた案内させてもらうぜ!

いつも俺の駄文につきあってくれるみんなにも感謝!!

また会えるのを楽しみにしてるぜ!!


写真:山本英

華丸ワークショップ〜こどもの一生懸命について感じたこと。

ワークショップ終了!

毎年夏休みに三日間、近所の4~50人のこども達とワークショップをやってます。

チームに分かれて大きな板に協力して絵を描くよ。




いろんな子がいていろんなアイデアがでて、とってもおもしろい。今年は、小学校が創立140周年なので、それをテーマに、って事だったんだけど、みんなケーキとかプレゼントとか。男子達はポケモンとかサッカーとか描いてたけど。

みんな一生懸命描いてくれたよ。

アートを通じてこどもたちの一生懸命にふれる事が多い僕は幸せ者です。

「こどもの一生懸命」で思い出したハナシがあるので、ちょっと長い文章かいてみようかな。こどもと絵を描く機会がある人には聞いて欲しいハナシかも。

これは、教育学をやっている人から聞いたある実験のはなし。

100人づつの児童をAとBにわけて、テストをやったんだって。そのテストは、とってもカンタンなテストで、まあほぼ100点をとれる内容のテスト。採点したらAチームもBチームも全員100点だったんだって。

で、先生がほめるわけなんだけど、Aチームには「100点をとってすごい!偉い!」とほめまくったんだって。でもBチームには「最後までがんばった!えらい!」といってほめまくったんだって。

それから一ヶ月して、また同じ児童が同じAとBのチームに分かれてテストを行いました。その時に先生がこう声をかけました。

「ここに2種類の問題があります。ひとつめは前回と同じくらいカンタンな問題なのです。そしてもうひとつは結構むずかしい問題なんです。どちらを選んでもいいですよ。」

するとAチームはほとんどの児童が「100点をとれるカンタンな問題」を選び、Bチームの児童のほとんどは「むずかしい問題」を選んだそうです。

100点をとった事をほめられたこどもは、100点をとることがほめられるんだと思い、点数ではなく最後までがんばったらそれを評価してもらえると思った子は難しい問題を選んだそうです。

とても興味深い示唆にとんだエピソードだと思います。

僕自身、学校教育を受けている時代に、いい点数をとることが評価の対象でした。むしろ「がんばってもいい点数がとれなければ意味がない。いい点をとるために、むしろ要領よくやるべきだ」という空気の中で育ったのではないかと思います。そしてその空気は今でも続いてて、大人になった今、「点数」は「お金」になっているような気がします。

でも果たしてそれでいいのか?要領よくいい点数をとることよりも、なにかに挑戦しようと思う心をもっていることのほうが大事なのではないか?と思っています。

このエピソードを聞いてから、ぼくは自分のワークショップで、目に見えることをほめないようにしています。

たとえば「綺麗な色に塗ったね」とほめると、その子は「綺麗な色を塗るとほめられるんだ」となるし「ちゃんと◎◎に見えるね」とほめると「◎◎にみえないとほめられないんだ」と思ってしまうのではないでしょうか。

キレイな色かどうかは、描いた本人が決めればいいことだし、世の中に無いものでも、描きたい人に見えたのであればそれを描いていいとおもう。早く描き上げたから偉いわけではないし、写真のように描くことが偉いわけでもない。

では、どこをほめるかというと実はカンタンで。こどもが「できた!」と言ってきたとき、ぱっと見の部分的なものをほめるより、「どこをがんばったのか」を探してみてください。一生懸命塗りつぶしたところや、髪の毛を一本一本一生懸命かいていたり。それをみつけて「おお!すごくがんばったね!がんばって描いたんだ!というのが伝わってくるよ」と言います。こどもの絵はスゴいからね。ゼッタイがんばってる部分があります。そして「もっとがんばれるところ、あるかな?」と聞いてみます。すると「・・・ここを、もうちょっとこうやってみようかな」と言います。

こうやって、「がんばったら、ちゃんとそこを評価してもらえるんだ!」という経験を重ねていくと、がんばることが楽しくなってきます。

中には、そうやってできたグシャグシャの絵を見て不安になる親もいるかもしれません。ありもしない”同世代のこどもがもつ平均的な絵画力より劣っているのでは?”と感じる親がいるかもしれません。

でも「誰かにいわれたとうり100点を目指して描いた絵」と「評価を気にせず思いっきりがんばって描いた絵」。ぼくは後者のほうが好きなんです。

ワークショップが終わった後、こども達が「はなまるせんせ~」とまとわりついてきて「ぼく、あのあと◎◎をがんばったんだよ」とか「あたし、ちゃんと最後まで塗りつぶしたの」とうれしそうに報告してくれます。毎朝、お父さんとジョギングをがんばっている事をおしえてくれるこどももいます。

こんだけ先の全く見えない世界で夢を忘れてしまったオトナが「100点をとれ」という資格があるのでしょうか?いまのこの世の中を創っているのが、要領よく100点をとってきたAチームだとしたら、評価などおそれずひたむきにがんばるBチームに、僕は希望を感じます。

だからね、もしあなたがこどもと絵を描く機会があったら、試しにじっくり絵をみてみてください。ちゃんとその子ががんばって描いたその子のこころが描かれているはず。そしてそれをみのがさずに、がんばった事をきちんと評価してあげてください。

そしたらもしかしたら、なにも恐れず自分の信念にしたがってがんばり続ける人に、なってくれるかもしれません。

いつも長文につきあってもらってすみません。ありがとうね!



ベースのはなし

ここ最近、ベースギターについてけんきゅう中。

ビンテージ系の楽器をつかっているので、楽器本来の芯のある音を!と考えて試行錯誤。

ウマいベーシストにあう度にどうやってんのかな?と聞いてみた結果。

表現力が豊かな人ほど、エフェクター類とつかわずにアンプ直接につないでいる事が多い。ピッキングの位置やわずかなミュートの具合で色彩豊かにひきわけているカンジ。

最近、40の手習いで、ベースの個人レッスンを若いプロベーシストさんから受けてて。

授業のたんびにタッチやアタックなど、ユビの中でできることが驚くほどたくさんあるんだなあと実感。

奥が深いわ!ベースって。

そんなワケで、最近ぼくのベースストラップがどんどん短くなっていくワケで。

ロック大好きなあたくしですが、実はエレクトロも大好きでして。

とりわけ最近のダブステップは聞いてるだけでテンション上がりまくる!!パンクロックより、よっぽど音が暴力的でズ太い。

ここ数年で一番進化したのはベースだと思う。

特にダブステップにおけるワブルベースは楽曲のイメージをコントロールしてて、グロウル(=ほえた)ところが曲の中で一番テンションふりきれますよね。

スクリレックスなんかはもちろんステップライティングでオールDAWでやっつけてると思うんですが、人力でやる方法はないかな、と。

「ギャブブブ!ブンブンブン!!ブブブブブブ~ンブ~ンブ~ン!」の音をアンプでデカい音でやったら、たのしかろうな~!!!と思うわけです。

Youtubeでさがしたらいました。

人力ワブルベーシストが。もはや、ピックもユビもつかってない!!

0'55~58あたりで確認できますが、ワイアレスのトリガーでモジュレーション操作しています。

コレコレ!!

これがやりたかってん!!

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=ZuunY8BTqNs#at=160  ・・・

この文章の冒頭に書いた「アンプ直結で楽器の生音を・・・」のくだりはどこいっちゃたんでしょうね?

はたしてこのトリガーを華丸ちゃんは買ってしまうんでしょうかね?

いったいどうなってしまうんでしょうね~!?





今度の日曜日は、ジャーアンドジャーのライブだぜ!

新宿レッドクロスにみんな集まれ!!  エフェクターやホットハンド ワイヤレス・モーションコントローラーについてのくわしい説明はコチラ。

 http://blog.livedoor.jp/timemachineblo/archives/25698930.html

【図工の先生と話して思った事】

毎年近所の小学校で大きなアートをつくっています。最近小学校ではやりの地域連動の体験教室の先生として、三日間かけて参加者のキッズ達と大きなパネルに絵をかくのね。できあがった作品は学校の周りのフェンスに掲示するので、毎年どんどん絵が増えて、のびていくのがたのしい!大きな小学校なのでむこう10年かけてアートで学校をぐるっと一周させちゃおうというのが僕のひそかな夢。

その打ち合わせで小学校に行ってきました。もう二週間くらいだ。

お話をした図工のW先生はお絵描き大好き、こども大好きなステキな女性。毎年の僕のワークショップを楽しみにしてくれてます。

打ち合わせ終了後、図工室にかざられたキッズ達の作品を鑑賞、ゲラゲラわらいながらすごいな~かっこいいな~かわいいな~~~と話していて。

未完成?っぽい作品があったのですが、なんだかとっても素敵な作品があって。

「この子はすごく考え考え制作するのでいつも時間がなくなっちゃうんですよ。」「ほんとは時間なんか気にせず思いっきり創らせてあげたいんですけどね~」

W先生は学校の立場があるので多くをかたりませんが子供達にアートにふれる時間を多く持ってほしいなとおもっているのだなあと思いました。ハートのあるいい先生がいてよかったな~。

で、ふと思った事。

「ゴールを設定して」「決められた材料を使って」「時間内に仕上げる事」

これって、美術なの?数学みたい。

(W先生にものもうしてるワケじゃないよ。“学校”という名の文科省プログラムの実践システムについての提言ね)

何を描こうかな?どんな風にしようかな?誰にみせようかな?・・・・。こうやって子供達がウンウンと考え続けてるのがとても大事な時間だと思ってます。考えてるうちに記憶がよみがえったり、やってみたいことを思い出したり、絵を見てくれる人の顔を思い浮かべたり、その人に伝えたいメッセージがまとまったり。実際に作品をつくるよりも、「自分はどういうことを思っていて、誰に何を伝えたいのか?」を一生懸命考える時間がアートそのものなのじゃないかな?と。

だけど、決められた時間の中で完成するように時間計算する能力や、課題を読み解いて求められているものを製作する能力で評価が決まってしまう。

これって、美術なの?数学みたい。

課題にあわせてチャチャっと仕上げて「もうできたよ~すごいでしょ」という児童と、考え抜いてタイムオーバーしてしまう児童。時間内にタスクができたかどうかで「よくできました」「がんばりましょう」と評価をされなくてはいけない子供達。

せっかく考え抜いて素敵な作品をつくろうと思ったのに時間内にしあげられなかった子供は「私は絵をかくのは好きなのだが、時間内にできなかったので評価が低かった。私は絵が苦手なのだ」とならないかな?

低学年の子供は絵をかくのが大好き。完成した絵を「見てみて~~☆」と笑顔で見せに持ってきてくれる。でも高学年になり中学生くらいになると「人に見せるのは恥ずかしい」という気持ちが芽生えてくる。きっとそれはアートにふれる時間の中で、人より劣っていると感じた小さな心の傷が「私は絵が下手な人間だ」「私には絵が描けないんだ」と思ってしまうからだと思う。

同じ理由で「人前で歌うのは恥ずかしい事だ」とか「私は英語が話せない人間なのだ」と思って(思わされて)いる人がおおい。そしてそのまま大人になってしまう。

例えが的確かどうかわからないけど、子供を10人同じスタートラインに並ばせてヨーイドン!ってしたら誰かが1位で誰かが10位だよね。

そして10位になった子供はこういわれる。「お前はビリだ。それはお前の努力がたりないからだ。努力をして一位を目指せ。そして結果をだすのだ」と。

そしてまた新たな10位が生まれる。かくして彼らは「走る事が嫌いな人」にさせられてしまう。

評価をされ、自分のランクをしらされ、努力を強制され、競争に参加させられる。評価を得るには競争の中で努力を続けるしかないと信じ込まされる。

でもそれってほんとかな?

僕は最近、それって全然的外れだと思う。

子供でも大人でもみんな、いつだって、生まれて初めて絵を描くような気持ちで書いていいし、歌いたいと思ったら評価なんて気にせず歌っていいんだ。走りたいときに走ればいいし、英語を使いたかったら語学力が低くても外国人にはなしかけていいんだ。

かくゆう僕も、評価を求められる競争の世界に生きている。これを読んでくれているあなたが、日々感じる苦しさは、競争社会で評価を求められている事が少なからず関係しているのではないだろうか

争いのない、みんながそれぞれにみんなに役に立つ事をしたい!と思い、隣人同士が尊敬し合えるような世の中になればいいと思う。競争に勝ってお金をたくさん持っている人が偉い人で、お金をもっていない人は落伍者だなんて世の中にはファックオフと言ってやりたい。

こんどの三日間行われるワークショップでは、評価の無い/競争の無い、楽しい空間が自由な空気で満たされるように、参加者全員が胸をはってかえれるようにしたいな。

どんなアートにあえるかどうか、W先生も華丸くんも楽しみにしてるよ~~!!!

いえい!ロックンロール!!
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