モラハラ夫と離婚について直接話し合ったのは、別居を実行した当日だけだ。


これについてモラハラ夫はあとあとまで

「直接話したい」

「話せば理解し合える」

「なぜ会って話さないのか」と言い続けた。


最終的にはそれが

「話し合いもせず一方的に家を出て行った」

「会って話したかったのに勝手に調停の申し立てをした」と怒りに変わった。


モラハラ夫と家族の関係を知らない人や調停員からも母からも

「話し合いも必要」

「向こうにも聞いて欲しいことがあるだろう」

「別れるにせよ、相手も直接聞きたいことがあるだろう」と言われた。


モラハラ夫には話し合いも出来なければ、相手の話を聞くということも出来ないということは、やられたことがある人にしかわからないのかも知れない。



モラハラ夫は一見丁寧に「傾聴」しているように見える。

実際には相手の言葉は聞かない。

穏やかな優しい顔をしていながら、常にいかに自分の考えを示すかしか考えていない。



「あなたはそうおっしゃいますが、これはこうしないとダメですよね?」

「こうなると価値がありませんよね?」

「ですから私が言うようにこうしなければダメですよね?」


どんな理屈でも理論付けでもうまく繋げて、自分の意見を押し通す。



その論法は徹底的に相手を無力感と絶望感で押さえつける。


これを20年経験したあとだったから、手段として私はそれ以上モラハラ夫と対面して話しをすることを拒否し続け、離婚という結果を手にすることが出来た。



私は幼い頃から、四面楚歌でもどうしたら希望を持って楽しいことだけ考えて今を切り抜けられるかを考える性質があった。

それだからこそ今がある。

どこからその気持ちが出てきていたかは謎だが、おかげで子どもたちにもずっと
「お父さんはこう言うから、その中でどうしたら少しでも良くなるか考えよう」と、ものごとをマイナスのまま放って置かず、なんとかプラスに転ずることを教えることができたと思う。


そうで無ければ子どもたちは今ごろ、たとえモラハラ夫と離れても、絶望から這い上がれず身も心も立ち直れていないだろう。



モラハラは離れて見ると容易に回避できそうな滑稽でバカバカしい行動に見えるが、実際には身近な人の心を縛り付け徹底的に打ちのめす物凄いマイナスの力を持っている。