復職後、知らず知らずのうちに、社内外において周囲の自分を見る目が変わってきていることを察知しました。腫れ物に触るような感じとでもいうのでしょうか。

もちろん、面と向かってそのようなことを言われるわけではありませんが、以前ならこちらからだけでなく、周囲からも話しかけられたり、連絡があったりしたのが、治療後は、そのような働きかけが極端に減ったように思います。

あとから聞けば、「心配だったけど、どのように声をかければ分からなかった」であったり、「連絡をくれれば、いつでも相談に乗ったのに」であったりと、こちらを避けているわけではないことは分かりましたが、少なくとも、がん罹患経験者というのは、どう対応してよいか分かりづらい、ともすれば「扱いづらい存在」なのだということが分かってきました。
 
もちろん、自分としても、社外では、「経過観察はしているけど、日常生活は問題ないから、飲み会とか声かけてよ」と伝え、社内では、「職場にいる以上、健常者と同じ業務をさせてください」と伝えてはきましたが、やはりどうしても安全運転というか無難なほうに話はいきやすいですよね。

口では大丈夫と言っても、実際本当に大丈夫なのかは自分でもやってみなければ分からないですし、何かあったら周囲も困るでしょうから、セーフティーにならざるを得ない気持ちも理解できます。

もちろん、体を過度に酷使させられることに比べれば、恵まれた環境なのは分かっていますし、心から心配してくれる方の存在自体は有り難い。しかし、私たちがん罹患経験者は、体を維持するためだけに生きているのではなく、社会に戻って誰かのために貢献したり、自分なりに楽しく過ごしたりしたいという希望を持って苦しい治療を乗り越えてきています。

なので、「がん罹患経験者である●●さん」という、がん罹患をベースにした見られ方だと、正直苦しいですよね。できれば●●さんという存在がベースにあり、その上でがんという個性を加えてもらえて見てもらえると有り難いものの、なかなかそれを他者に期待するのは難しいのも理解できます。

人は社会的な生き物である以上、自分の意思や努力だけでは、円滑な生活は望めません。そういう意味では、今の日本では、残念ながら、「がん罹患経験」というのは圧倒的にハンデになりやすいのではないかと思っています。

(続く)