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人間の理想的な一生(2)

前記事の文法学者の言葉を繰り返してみる。


〝たとえ、すべての欲望の泉を確保し、あるいは、仇敵の首根っこを取り押さえ、

またはたまたま運が良くて、取り巻きの友人を持てたとしても、

さらには、滅ぶべき肉体の延命に成功したとしても、

それがいったい何になろうか〟




ヒンドゥー教においては、

物質的な世界での成功は立派であるがそれだけでは十分であるとはみなされない理由として、

解脱(モークシャ)〟という思想が登場する。


解く?解毒?解かる?

脱ぐ?脱出?



解脱の説明として、

それは単なる否定の状態ではなく、行為(業、カルマ)の絆<=再生>から解放されて自由となり

存在に満ち溢れた完成の境地である。



仏教の〝涅槃(ねはん<サンスクリットでニルヴァーナ>)〟の観念と同じという。

涅槃について調べたい。


〝再生の輪からの脱出・・・〟とは・・・?







<Wikipedia参照>

涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味であるとされる。しかし、ニルヴァーナは「吹き消すこと」「吹き消した状態」という意味だから、煩悩(心身を悩まし苦しめ、煩わせけがす精神作用)の火を吹き消した状態をいう。




さとりを開く、ということか。

業、いわゆる日々の行為に意味合いをつけるとも言えるのか。

思うのは、、、

物理学に対するわけ

前に書き留めたことのある、物事が起こること(その理由)のように見える。

形而上学が〝ナゼ〟で、形而下学が〝事実〟。 (過去記事




なぜそう言うのかとか、なぜそういう行動になるのかとか、

人間の心理というのはいつだって言動(業、カルマ)に如実に現れる。

そこの心理こそ人として知って、学んでいくべきところであり、

非常に勘違いを起こしやすく見落としがちな点だろうと思う。



自分は大丈夫だ、と思うポジティブさは時にとてつもない誤解や

浅はかな考えによって生じる驕りとも言えることだったりと日々反省をすることも多いのも事実だ。




では、四住期の第三の〝林住期〟は、また次回の記事で。




人間の理想的な一生(2)


前記事では、四住期の第二の家住期について書いた。

そしてそれは、結婚して懸命に労働すること、と挙げた。



ただ、その俗世的な家住期での成功だけでは十分ではないとみなされていること。

人間の理想的な一生の最も大事とされる時期での成功だけでは不十分とは一体どういうことだ?



とある文法学者がこのように語っている。

とても興味深い一言だ。


〝たとえ、すべての欲望の泉を確保し、あるいは、仇敵の首根っこを取り押さえ、

またはたまたま運が良くて、取り巻きの友人を持てたとしても、

さらには、滅ぶべき肉体の延命に成功したとしても、それがいったい何になろうか〟




この先が気になるところだ。






Have a great weekend!! Take a rest and just chill out.

The king comes back on Sunday.





人間の理想的な一生(2)


前回、人間の理想的な一生〝四住期〟の第一段階『学生期』について書いた。

人間の理想的な一生(1)



他の本でのまた別の情報として、

四住期のことを〝アーシュラマ〟とヒンディーでは呼ぶようだ。


そして学生期は8~12歳の間に師の下についてひたすらに清貧と従順の生活を送るのだとか。




それってすごい・・・。

イメージ的に言うと、お寺の小坊主さんのような。。。

一休さんを思い出す。




それくらい小さい頃から

私欲のない質素で素直で、師を尊敬して身の回りのお世話をする生活、、、

素晴らしいと思った。

〝三つ子の魂百まで〟って、、、まさにそうだと思う。




ある程度大人になって鍛えるのはすごく余計なものに邪魔をされて、本当に魔が差すことが多い。

大事なものは知らないまま、ただ年をとっただけとも言えるかもしれない。

取り繕ってキレイに見せている武器はとても壊れやすい。

でもいや、

気づけば遅くない。

いつだって遅くないはずだ。

気持ちさえあればいくらだって良くなるはずだ、

そう信じるだけだ。







そして続いて第二の〝家住期(かじゅうき)〟〝家長期(かちょうき)〟と書かれている本もある。

所謂、家庭に入ること。

結婚だ。



男性なら自ら生計を立てられるような職に就いて子供の持ち家族の面倒をみる。

女性ならばもちろんのこと家庭に入り、

子育てに家事をしてまた男性とは違った部分で家庭を支えるということだろう。



ヒンドゥー教では〝出家〟というのが重要視されているんではないか?

という疑問に対しては実はそれだけが大事なことではなく、

この家庭を守る時期というのは四住期の中で最も重要な期間であると言われている。

社会構造の全体に統一と結束をもたらすのだ、と。




納得のいく言葉だ。

確かにそれぞれの家庭の中に主がいて、それを支える妻がいて、

そして二人で大事に育てていく国の未来であり宝である子供たちがいて。

子供たちを育てることでまた二人は人間としてもさらに成長していく。

社会全体がJPG画像としたら、その家庭1つは〝1ピクセル〟のような点だろう。

その点がしっかりあることで成り立つのが社会。

しっかり子を育て上げることも社会に対しての大事な責任だと言える。






そしてまたヒンドゥー教の理想として〝活動しないこと〟とも言われているが、

逆に〝活動すること〟と称されているのを示すのに、


先日オーダーした本、『バガヴァッド・ギーター』の中に出てくる言葉だ。


〝定められた行為をおこなえ。行為は無為にまさり、あなたの身体は無為によって維持することはできない。〟



なんて胸を打つ言葉。

とてもタイムリーに私の心をグッと刺してくれるではないか。



私にはただ、〝怠けるな!日々精進せよ!〟と聞こえてくる。






また同書の中で主人公のクリシュナが王子のアルジュナに対してこう言った。


〝人間は活動し、その義務を果たさなければならない。しかもそれは無私のものでなければならず、

ましてや報酬のためや天国へ入るためであってはならない〟





ただ!

またそれだけでもないらしのだ!!

家住期における成功だけでは十分ではないとのこと。



それってどういうことだ?


と、気になるところで今回の時期は一旦終わります。



また次回に。