2011年の豪雨災害による運休から2022年に全線復旧なし、話題になった只見線。

なるべく混雑を避けるプランをねりあげ、いざ♪

 

 

まずは上越新幹線に乗って、越後湯沢で降りました。

上越線に乗り換えるのですが、まだ40分以上時間があるので、改札を出ます。

 

越後湯沢駅の駅ビル内は「CoCoLo湯沢・がんぎどおり」として、賑わっていました。

ただのお土産物屋だけじゃなくて、吊し雛の店、利き酒ができる店、酒風呂まで。

そんな中を歩き回っているうち「爆弾おにぎり」に目が留まる。

左の大きい爆弾おにぎりは、とんでもない大きさ。

右の小さいほうなら食べれるさ…と購入し、上越線ホームのベンチで広げました。
 
ところがこの小さいほう、いざ食べるとなると、大きかった…。
隣の巨大なのと比較したから、小さく見えただけでした。
(結局、半分だけ食べて、残りは次の日の朝ご飯代わりとなりました。)
 
 

越後湯沢から、上越線で北上します。

少しずつ平野が広くなり、田んぼが広がっていきます。

 

1時ごろ、小出駅に到着、降ります。

小出駅ホームに停まっている上越線列車(越後湯沢方面行き)。

 

ホームの前には、魚野川。その向こうには、魚沼の町がひろがります。

魚沼の町は、魚野川、破間川などの川が集まってできた平地に開けていました。

 

こちらが只見線ホーム。

 

2両編成。高校生が多い。

 

13:12小出駅を出発。初めての只見線。

まずはすぐ、魚野川を渡ります。

 

田んぼがひろがっています。

 

小出駅の次は、藪神駅。旧字体です。

高校生の半分くらいが降りました。(もう数駅乗っていく子も多い)

 

ホームの先で、なぜか電車型の機械が、両手をゆっくりと振っています。

なんだこれは??と思ったのですが、このあと、只見線沿線のあちこちで「只見線に手を振ろう」とか書かれた幟をたくさん見ました。

そして実際、沿線から列車に向かって手を振ってくれる地元の人がけっこう、いました!

 

越後須原駅。

 

このあたりの民家を見ていると、豪雪地帯の独特の建て方となっています。

まずは、土台が高い。

土台部分にも窓(明かり取り)がついてて、その窓にはしっかりと雪囲いがしてあります。

 

1階部分も全部、雪囲いがしてある家も。

 

1階の窓の雪囲いを、夏は外してある家もあるし、そのままの家も。

 

一応2階建てだけど、ほとんど3階建て。

雪の深さがしのばれます。

 

入広瀬駅。駅前に「手仕事手ほどき館」という建物がありました。

この入広瀬から先は、集落や田んぼがなくなり、だんだんと山へ。

 

列車は、深い渓谷の上、高い所を通っていきます

 

すっかり山の中。

 

只見線とほぼ並行して走る国道252号。

真っ赤なスノーシェッドが続いていました。

 

入広瀬駅から12分かかって、大白川駅に到着。ここが新潟県側、最後の駅。

(入広瀬~大白川間の山の中に、かつては駅が一つあったそうです)

 

そして、ここから長いトンネルを通って県境を越えます。

次の只見駅に到着するのは、なんと28分後。

(この間にも、かつては一つ駅があったそうです)

 

勾配も急になってきているようで、大白川駅を発車した列車は、エンジン音をうなるように上げて、ごくゆっくりと進みます。

 

山深い中、高い場所にある橋梁を、次から次へと渡っていきました。

 

どうやって線路を敷設したんだろう…と思うような、深い森と急斜面が続きます。

冬の除雪も、どうやってるんだろう…と思ってしまいます。

 

やがて列車は六十里越トンネルに入りました。

トンネルの中にいたのは8分くらいかな…途中で、あえぎあえぎ登っていたエンジン音が元気になったので、峠を越えたことがわかりました。

 

 

鬱蒼とした森の風景だったのが、トンネルを出ると急に広々としてきました。

分水嶺を越え、見えた川は、只見川の田子倉ダム。

新潟側では深い山で、急流が谷底を縫って流れていたのに。

福島側ではうって変わって、広々と静かな水面です。

 

案山子が並んでお出迎えをしてくれて…

 

大白川駅から30分弱、ようやく只見駅に到着。

只見駅では、行き違いのため、10分停車。

みんな外に出ます。

 

今やってきた、新潟県の方向。駅舎があります。

 

これから行く方向。すぐ山が迫っています。

 

14:35 再び出発。

ここから先、会津川口駅までは、豪雨でいくつも橋梁が流され、最後まで運休となっていた区間です。

 

車窓には、田んぼ。

 

超とんがった山が見えてきました。蒲生岳。

一度見たら忘れられない形です。

 

会津蒲生駅には、黄色いハンカチ。

この駅から、さっき見えたとんがり山、蒲生岳に登っていけるそうです。

 

広々と静かに、只見川が続きます。

 

会津塩沢駅。

長岡藩幕末の藩士、河合継之助の終焉の地だそうです。

戊辰戦争の時に、ここまで逃れてきて亡くなったとのこと。

 

会津大塩駅。ここにも案山子。

 

かやぶき屋根を青いトタンに変えた家が目立ちます(この写真ではあんまりないけど)。

 

第七只見川橋梁。

只見川の右岸に渡ります。

 

豪雨で流されて、再建された橋梁のひとつ。

 

あちこち、立派な古民家が目を惹きます。

 

あちこちにある、材木が円錐状に立てかけてあるもの。

何だろう?と思っていましたが、庭木の雪囲いなんだそうです。

中に、木があるのね。

春になってもそのままだと、暗くないかな?

 

会津横田駅。国鉄時代からの駅名票がいい味を出してます。

 

こちらは、会津越川駅。「こすかわ」って読むのね。

 

ダムを下ると渓流になる川も多いけど、只見川では渓流をほとんど見ません。

静かな広い川面がずっと続きます。

 

第六只見川橋梁を渡ります。

 

ここは、本名ダム。

只見川にはたくさんダムがあります。こんなにダムが多いなんて知らなかった。

いずれも水力発電のダムなんだそうです。

 

本名駅。タチアオイなど、花々が咲いていました。

「奥会津へ またきらっしぇ」と。

只見線の駅は小さいけれど、地元の人が大切に手をかけている感じです。

 

第五只見川橋梁。

左岸に行ったり右岸に戻ったり、頻繁に橋がかかり川を渡ります。

 

 

15:25 会津川口駅に到着。降ります。

 

小出からは2時間強。

新潟県側で1時間+福島県側で1時間というかんじです。

 

会津川口で、列車が行き違います。

どちらの列車からも、パラパラと人が降りてきました。

若松行の列車には団体さんが乗り込んだので、満員になって発車していきました。

 

列車が去ったホームから。目の前が川。

 

会津川口は、無人駅ではありません。売店もありました。

 

会津川口駅。

只見線をずっと乗ってきて、ここはとても大きな町に感じます!

 

駅前の眺め。

 

会津川口には、金山町の役場もありますし、小学校から高校まであります。

 

この駅前から、今日の宿、玉梨温泉へ行く路線バス(会津バス)に乗りました。

一日3本だけのバスですが、只見線が上下線とも到着するこの時間に合わせてダイヤを組んであるようです。

車内も、けっこう埋まりました。

 

川口の町を見下ろしながら坂を登って

山へと入っていきます。

只見川にそそぐ、野尻川に沿って道と集落が続きます。

 

玉梨八町温泉バス停で降りました。

ここで乗客は全員降りてしまいました。

が、バスはまだまだ先まで行くようです。

降りた人は、それぞれ宿や、日帰り温泉へ。

数人乗っていた高校生も、通学ではなく、日帰り温泉へ遊びに行くようでした。

 

今夜の宿は、バス停のすぐ前でした。

玉梨温泉・恵比寿屋。

日本秘湯の会の会員です。

 

ロビーには、水木しげるが泊まった記念に描いてくれた水彩画が飾られていました。

 

4階の部屋から。すぐ下は野尻川。

 

お部屋にあった、手作りの地図を参考にしながら、集落のお散歩へと出かけました。

七福神めぐりがあるということで、恵比寿屋さんの入り口には、恵比寿様。

 

さっき窓からも見えた祠に、布袋様。

 

八町温泉共同浴場「亀の湯」。(後ろが恵比寿屋さん)

地元の人が管理する温泉です。

 

扉を開けるといきなり湯舟。昔ながらの共同浴場です。

片隅に男女別の脱衣場がありますが、混浴だしあまり意味がなさそう。

茶色っぽいお湯でした。

壁一面に貼ってある札は、共同浴場に寄付をしてくれた方の名前と内容のようです。

お金だけじゃなくて「バスマット2枚」とかも。

 

野尻川にかかる、弁天橋を渡ります。

 

橋を渡ると今度は、玉梨温泉共同浴場。こちらは男女別でした。

玉梨温泉は、炭酸泉。

炭酸泉って全国的にもかなり珍しいそうです。

 

野尻川の左岸に「玉梨温泉」、右岸に「八町温泉」が湧いていて、だからバス停も「玉梨八町温泉」だったのか、と分かりました。

 

恵比寿屋さんでは、八町温泉と玉梨温泉のお湯、両方に入れます。

対岸から見る恵比寿屋。玉梨温泉の湯をもってくる、引湯パイプが見えます。

護岸には、大きな岩(梵字石)。

 

かつて、この野尻川には、巨岩がいくつもゴロゴロしていたそうです。

昔から洪水に悩まされてきたが、弘法大師が巨岩に梵字を書いたところ、洪水が収まった…という伝説も。

ところが1969年、野尻川が氾濫し、このあたり一帯にも大きな被害が出たそうです。巨岩群が川をせき止めたために、被害が拡大したということで、梵字石1個を残して、巨岩は爆破されてしまったとのこと。

 

水害前は、この河原から温泉が自噴していたそうですが、今でも、河原を掘ればお湯が出てくるらしい。

 

玉梨温泉共同浴場のすぐ横に、弁天様、寿老人、福禄寿。

(七福神の残りを、ここにまとめて置いた感)

 

その上のほうに、ご神木とお地蔵様。

 

橋の左手に行くと、日帰り入浴施設・せせらぎ荘。

ここに毘沙門天。

 

せせらぎ荘の隣には、もう一軒旅館があるのですが、改修中のようです。

工事中で雑然とした玄関で、大黒様が笑っていました。

 

集落から、少し山へと入ります。

川沿いの高台↓今は杉林となっている場所。

そこに、金山町の重要文化財「高屋敷跡」がありました。

戦国時代のころの砦・館の跡です(今は何もない)。

 

高台には、特産の赤かぼちゃ畑があるということでしたが、今は耕作放棄地となっていました。

高台から見る、野尻川。

 

高台から、川沿いの別の集落へと、降りて行きます。

 

この集落は、なんだかとっても雰囲気があります。

最近建てた家が見当らず、昔ながらの雰囲気がそのまま残っています。

茅葺き屋根はトタン屋根に替えてありますが、大切に手入れしながら、ずっと住み続けている家々。

そのまま町並み保存したいくらいだ…

 

古民家を改修した宿もありました。

どの家も、こうした「曲がり家」。

曲がり家というと東北が有名ですが、会津地方にも、多かったようです。

(調べてみると、南会津、高杖のほうに「前沢曲家集落」というのがあるということで、行ってみたいな~と思いました。)

 

屋敷の裏手には、蔵。屋根を2層にして通気を確保してあります。

 

(同じお家を裏手から見たところ)

 

旧玉梨小学校。昔ながらの木造校舎。

今は町の施設として使われています。

現在金山町には小学校は2校のみで、それも来年度には統合され、会津川口にある小学校だけになるそうです。

 

また国道へとおりてきました。

国道に架かる橋の上から見た、野尻川。

そろそろ宿に戻らないといけません。

 

橋のたもとには熊野神社。

 

橋の向こうの大屋根は、常楽寺。

神社があり、お寺があり、旧小学校があり、このあたりが玉梨の集落の中心部のようです。

 

帰りは、国道沿いを。湯殿山という碑がある。

 

このお家も、曲がり家と蔵。

 

豪雪地帯ゆえ、消火栓は高い台座の上。

消火栓やポストに、手作りのかわいらしい雪除けの屋根が架けてあるのも見ました。

 

玉梨温泉に戻ってきました。

川沿いから目をあげると、山の中腹にも集落。

その名も「湯ノ上」という集落だそうです。

 

こんな機会でもないと巡り合うことのない、山の中の小さな集落のお散歩でした。

それぞれに歴史あり、人の営みあり。

自分がここに生まれていたら、どんな子供時代を過ごしたのかなあ…なんて考えてみたりします。

 

 

6時から夕ご飯。

おちょこの中身は、地元のお酒「飛露喜」。

これ以外にもいろいろ、篠竹の汁、赤かぼちゃの若葉の天ぷらとか。

派手さはなくとも、地元のもの中心の美味しい御膳でした。

 

お風呂(貸切)。奥が八町温泉、手前が玉梨温泉。

玉梨温泉のほうは、炭酸が逃げないよう、小さな湯舟となっています。

湯舟に浸かってじっとしてると、泡でいっぱいになりました。

 

夜は、川の音を聞きながら眠ります。

夜中ふと起きて窓を見ると、満天の星でした。