熊野の深い山の中から、海まで降りてきました。

熊野市、鬼が城に到着。

たいへんに分かりやすいオブジェがお出迎え。

 

鬼が城という恐ろしい名前がついてはいますが、見たところ静かな海の風景です。

沖合に小さな島(魔見ヶ島)。

坂上田村麻呂が来たとき、この島に童子が現れて舞い歌い、鬼が油断した一瞬のスキをついて鬼退治をしたという伝説があるそうです。

 

海沿いの道を歩いていくと、大きな岩が現れてきました。

岩をくりぬいて開けられたトンネルをくぐり、海側へ。

 

巨大な岩が。

 

頭の上に落ちてきそうです。

 

岩肌は、何とも不思議な感じで…おどろおどろしい。

 

鬼の棲みかはこんなかもしれない。

もろい岩肌です。

凝灰岩が、浸食と隆起を繰り返してこうなったらしいです(←よくわかってない)。

 

この巨岩の絶壁に沿って、遊歩道がついています。

 

でも、一部崩落しており、この先は通行止め。

絶壁と波に洗われる、スリルがあって面白そうな道ですが…残念です。

崩落していなくても、波が強い日はすぐに通行止めになりそうです。

 

 

この鬼が城の上にある山に登ってみました。

上まで行くと、熊野古道・伊勢路の「松本峠」へつながる道があるそうです。

 

この山は、桜がいっぱい植えてありました。四季咲きの桜が咲いてた。

 

かなり登ってきたのに、カニに遭遇したり。

…と、最初のうちは余裕で登っていたのですが。

 

途中から、台風被害か、道がかなり荒れてきました。

倒木多数。くぐったり乗り越えたり、その上、勾配はきついし、暑いし…しんどい。

 

やっとのことで、頂上「鬼の見晴台」に到着。

上から見えた、七里御浜。

熊野古道・伊勢路は、伊勢からここまではずっと、内陸の山越えの道。

リアス海岸なので、どうしても内陸の道になります。

でもここからは、静かで平坦な七里御浜を、海を見ながら歩けます。

 

松本峠からこの七里御浜を見た旅人は、きっとホッとして「もうすぐ新宮!本宮大社も近い!」と、喜んだことでしょう。

 

 

で、ここからその松本峠まで行くつもりだったのですが、道が余りにも荒れてたので、断念。

再び荒れた山道を下って鬼が城の車に戻りました。

結局、熊野古道伊勢路は歩けずじまい。

 

七里御浜ぞいを通って、新宮まで帰ります。

獅子岩。

獅子の横顔に似た、巨岩。

同じ巨岩でも、鬼が城の岩とは、種類が違うかんじ。

 

静かな七里御浜に、とつぜん巨岩がそびえているのが不思議な光景です…。

 

獅子岩からもう少し西へ行くと、花の窟(いわや)神社。

 

花の窟って変わった名前の神社だなあ…と思いつつ、参道を奥へ。

伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んで亡くなった後に葬られた場所と言われ、花を供えた岩屋⇒「花の窟」。

 

いちばん奥へ行くと、ここにも、見上げる巨岩が!

高さ約45mのこの巨岩が、ご神体。


例大祭の時には、ご神体の巨岩の上の樹から、約170メートルの大綱を渡すそうです。

いったん、大綱を七里御浜の海岸まで伸ばしてから、境内の松の木に掛けるそうです。

それにしても、このあたり、変わった雰囲気の巨岩だらけだ…

 

☆☆☆

新宮に戻って、車を返して、ホテルに着いたらもう暗くなっていました。

地元の「オークワ」というスーパーの、夕方のセールでお惣菜を買って、部屋で食べるという安上がりでのんびりした夕食。

地元のスーパーも、よく見ると珍しいものがあったりして面白いです。

 

次の朝。

部屋からは、熊野灘から登る朝日が見えました。

 

ホテル(ニューパレス)は、新宮駅から伸びる、昔ながらの商店街沿い。

八百屋さん、お肉屋さん…と並んでいました。

 

朝飯前に、ホテルからほど近い、熊野速玉大社へ。

一日目那智大社、二日目本宮大社ときて、三日目速玉大社。

熊野三山コンプリート(って言わないのか)。

 

森の緑と青い空、朱塗りの鳥居がまぶしい。「熊野権現」の扁額。

 

門。

 

「全国熊野神社 総本宮」とあります。

しめ縄も立派。

 

中はSNSアップ禁止ということで載せませんが、この門と同じように、朱塗りの社殿に大きなしめ縄がかかっていました。

 

御神木という、大きな梛(なぎ)の樹。

速玉大社は、本宮大社や那智大社と較べると、境内はこじんまりした印象でした(少なくとも今見えるだけの境内地は)。

 

速玉大社の背後には、熊野川沿いに小高い丘(権現山)がず~っと続いています。

丘の麓に沿って町の中を歩いていって…

 

丘の端にあるのが、神倉神社。

速玉大社にここの案内が出ていたので、来てみました。

ここから登って、権現山の上に、「ゴトビキ岩」というご神体があるそうです。

 

「自然石を積み重ねた五百段余りの急勾配が続きたいへん危険」と書いてあります…

ちょっとドキドキ。置いてあった杖を借りて、登っていきます。

 

傾斜が急だし、石段は狭くて、石の大きさもランダム、とっても登りにくい。

 

朝飯前だというのに大汗をかいて、ようやく山頂の鳥居。

鳥居をくぐります。

 

ゴトビキ岩、巨岩です!!

せり出して、こっちへ向かって落ちてきそう。

 

ゴトビキ岩の前からの眺望。

熊野川が海に注ぐ、新宮の町が一望に。

きつかったけど、登って来てよかった~

 

下から見たゴトビキ岩と拝殿。

この岩なら、新宮の町、どこからでもよく見えるでしょう。

 

もともと、山の上に鎮座するこの巨岩に神様をみたのが、速玉大社の始まりじゃないかな?

…と思ったら、その通り。

 

今でこそは神倉神社は、速玉大社の摂社となっていますが、元々はゴトビキ岩を崇拝してきた歴史があり、のちに麓に新しい社殿を建てたのが「新宮」=速玉大社。

それはとっても了解できます。

 

下って、新宮の町を歩いてホテルに戻ります。

町の中から見る、ゴトビキ岩。

 

これは、「浮島の森」という所。外から見てると、水辺に木が茂っているだけの場所。

泥炭層が島となって、沼の中に浮かんでいるそうです。本当の浮島なんですね。

時間が早かったので、中には入れず。

 

掘割の中を走る紀勢本線の上を通って、ホテルに帰ります。

 

こちらは、新宮城址。

寄るつもりだったのが、時間切れ。ホテルの窓から見ただけになりました。

 

ホテルからは、熊野川と橋も、見えていました。

向こうは三重県。

 

お部屋で朝ごはんを食べて、2泊滞在したホテルをチェックアウトしました。

 

新宮駅。ここから、紀勢本線で名古屋に出ます。

 

駅前に、神倉神社のお祭りの姿を銅像にしたのがありました。

「2月6日の夜、荒縄に身を包んだ2千人の男たちが松明を手に、538段の急な石段を駆け降りる勇壮な祭り」。

夜、あの石段を?駆け降りる?松明持って?……うわ~、すごい。

私はゆっくりゆっくり、おそるおそる降りてきたのに。

 

2両編成のディーゼル特急「南紀」。

 

名古屋まで3時間半の道のりです。

 

ハイブリッド車両ということで、まだ新しいかんじ。

 

発車するとすぐ、熊野川を渡り、三重県に入ります。

 

昨日通った、七里御浜のあたり。

線路は、海からは少し距離があり、七里御浜は見えませんでした。

 

七里御浜や鬼が城の最寄り駅「熊野市駅」を過ぎると、リアス海岸になります。

山とトンネル/切れ込んだ湾で海岸に出る/また山とトンネル…

という風景の繰り返し。

 

波田須という駅のそば。 リアス海岸の中の砂浜がきれいです。

 

賀田駅そば、ここも切れ込んだ湾の奥深くの町。

 

尾鷲近く。

尾鷲は湾が大きく、平地もあって、このあたりの中心の町らしい姿でした。

列車のお客さんは、新宮から少しずつ乗って来て、尾鷲あたりがいちばん多かった感じです。

 

尾鷲~紀伊長島までは、比較的長く海が見えて、いい眺めでした。

このあたりって、名古屋からも大阪からも遠い。有名な観光地があるわけじゃない。

だから、静かですごくいい所じゃないだろうか。魅力的です♪

 

紀伊長島駅。

 

紀伊長島を出ると、線路は海から離れ、志摩半島のつけ根部分を走ることになります。

 

三瀬谷という、山の中の駅に停まりました。初めて名前を聞く駅。

所在地は大台町。大台ケ原は、この駅からはちょっと遠いみたい。

 

山を抜けて、多気駅あたり。すっかり平地になりました。

この多気駅で、参宮線と分岐します。

参宮線っていうのも、乗ったことがないなあ…名古屋から鳥羽に行くには近鉄ですから。

 

ほとんど乗ったことがなかった紀勢本線。

あっち見てこっち見てキョロキョロしてたら、3時間半はすぐに過ぎました。

12:41名古屋に到着。

 

熊野三山と古道歩きがメインでしたが、あっちこっちで思いがけず巨岩に遭遇しビックリした、面白い旅となりました。