2015.12

 

東京9:40分発の新幹線で京都へ。

京都11:58分発の近鉄特急で橿原神宮前へ。

 

橿原神宮前の駅は、二つの路線が合流していて、ひろい構内でした。

駅を降りて、駅前のレンタサイクルのお店で自転車を2日間、借りました。

 

お天気もおだやか。冬としては暖かい日です。

さあ、飛鳥めぐりへ!

 

まずは、剣池(石川池)を通ります。

向こうに見えるのは、孝元天皇陵とのこと。

 

坂を登って、降りて…

 

向原寺。今は、浄土真宗のお寺。

ここは、日本最初の寺院(豊浦寺)があったといわれている場所。(538年?)

発掘された遺構の一部が保存されているとのことでしたが、案内をお願いいしないといけないため、今回はパス。

 

境内にある難波池。物部氏など排仏派が、この池に、仏像を投げ捨てたと言われている。

今はとってもちっちゃな池で、仏像が投げ込まれても、すぐに拾い上げられそうです(笑)。

 

そのお隣にある、甘樫坐(あまかしにいます)神社。

古代の飛鳥にあった寺は、今は跡地となっているだけのものがほとんどですが、神社については、飛鳥時代から同じ場所にあり続けているものが多いそうです。

この、甘樫坐神社もそう。

 

境内にある「立石」。飛鳥時代から、ここにあると言われています。

盟神深湯(くかたち)という神事に使われたとのこと。

この神事とは、裁判の一種で、沸騰した湯に手をいれて、やけどをしたら「有罪」、やけどをしなかったら、「無罪」……

どうやって無実の罪を証明できたのか、わかりませんあせる

 

ここから、飛鳥川のほとりを走り…

甘樫の丘へ。

 

国営飛鳥歴史公園の駐車場に自転車をとめて、歩いて丘に登ります。

一応観光地ではあるはずなんだけど、ほとんど誰にも会いません。

 

 

甘樫の丘の上から見る、大和三山。

畝傍山

耳成山、天香久山。

 

 

倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるわし

 

と、ヤマトタケルが詠んだ(景行天皇とも)、大和の地がここ。そう思うと、感慨深いものがあります。

 

丘の上からは、これから行こうとしている飛鳥寺も、よく見えました。

 

はるか遠くに見える岡寺の三重塔。(次の日に行きました)

 

甘樫の丘を降りて、飛鳥川をはさんで反対側にある、飛鳥水落遺跡へ。天智天皇の時代、日本で初めての漏刻が作られたと言われている遺跡です。

この時から、日本でも人が時間で管理されるように…

 

田んぼの中を歩いて、そばの石神遺跡にも行ってみました。今は何もないけど、飛鳥の時代には、迎賓館があったと言われている場所です。水落遺跡とも木樋でつながっていたそうです。

 

すぐお隣に、飛鳥村埋蔵文化財展示室。

たぶん飛鳥大仏(このあと行きます)。

乙巳の変だー

 

キトラ古墳や高松塚古墳のレプリカも展示されています。

実物を見るわけにはいきませんので、ここでじっくりと眺めます。

国立の立派な博物館とは違い、無料の小さな資料館でしたが、中身は充実していました。

 

そういえば、以前、キトラ古墳の壁画(本物!!)が東京へやってきた時に、大混雑の中、見に行ったんでした。あの時、飛鳥に行きたいけれど、遠いし、時間もないなあ…あこがれだなあ…と思ったのですが、今回実現できて、本当にうれしいです。

 

ちょっとだけ自転車で走ると、飛鳥寺。

ここは、団体のバスが停まっていたりして、ちょっとだけ、観光地の雰囲気。

 

 

 

なんといってもここは、飛鳥大仏さまです。

ビックリしたことに、撮影自由。

ほとんどが、後世の後補ということですが、その顔だちは、まさに飛鳥時代のもの。

おおらかな、いいお顔です。

 

当時も、境内から見えるのは、こんな風景だったのかもしれません。

 

上は有頂天から下は奈落の底まで響けよかしと念じて静かに一度」と書いてありました。

 

すぐそばには、蘇我入鹿の首塚。

塔身は、上下逆になっているとのことですが…そうか、これが逆なのか?

 

細い道を通り、少し山のほうへと向かいます。

 

小高い丘のふもとにある、「亀型石造物」。

もっと親しみやすい名前ないかしら。もっとも、最近(2000年)になって発掘されたものなので、名前はこれからついていくのかもしれません。

なんというか…なんだか、これだけ見ると、トイレみたいなんですけど。

この石造物を取り囲む石組み一帯、やたら広い。トイレのワケがありません。

不思議な場所です。水をつかった祭祀の場ではないかと推測されています。

 

自転車はこの、亀型石造物の脇に置いて、丘をのぼっていきます。

丘の上にある、酒船石。でっかい石で、直線と丸で構成された模様がくっきりと彫られています。不思議なものがたくさんあります。

 

この丘じたい、木工事が大好きだったと言われる斉明天皇の作ったものではないかと言われています。

 

この丘の近くに、飛鳥板蓋宮跡があります。実際には飛鳥板蓋宮だけではなく、複数の宮の遺跡が重なっているそうですが。

だいぶ日も傾いてきました。向こうに見えるのは甘樫丘。

 

甘樫丘のふもとには、蘇我氏の屋敷跡ではないかという遺跡が発掘されています(甘樫丘東麓遺跡)。

乙巳の変の時、中大兄皇子や中臣鎌足がここから、甘樫丘の蘇我入鹿と対峙していたであろう、まさにその風景。

 

ここからは、しばらく山すそを走ります。

向かうは、石舞台古墳。

有名な場所ですから、ある程度写真で見慣れていたのですが。

思っていたより、ずっとスケールが大きかった。

石造物って、存在感があります。

 

石舞台は、古墳の盛り土がはぎとられ、石室がむき出しになった状態とのこと。

被埋葬者は、蘇我馬子ではないかとも。

 

古墳の中に降りていくこともでき

 

埋葬された気分にも…

ちょっとコワかった。

 

 

さらにもう少し、飛鳥川を遡っていきます。

飛鳥川もここまでくると、かなり上流に近づいてきた雰囲気。 

 

都塚古墳。

蘇我稲目の墓ではないかと言われています。

石組みがピラミッド状になっているのが特徴的、と言われていますが、土が積みあがった状態ですので、外からはピラミッドかどうかは、わかりません。一応、上まで登ってはみた。

 

このそばに、マラ石という棒状の石もありました。男根石とみられています。確かにそんな石でした。

 

夕暮れ迫る飛鳥の地。

 

今日走ってきたいろんな場所を確かめつつ

橿原神宮駅まで戻ります。

 

駅前の橿原ロイヤルホテル泊。6階の部屋からは、目の前に畝傍山。

 

窓のすぐ下には、橿原神宮駅を近鉄電車が行き交う様子がよく見下ろせました。

 

行き交う…といっても、夜になると本数も少なくなり、静かな町です。

 

 

 


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