先日ブログで妊娠のことを書いてから、


教室内で、たくさんの「おめでとう」の声をいただくことになり、


とても嬉しく、少し気恥ずかしい気持ちです。


皆さん、ありがとうございます。




皆さんにそう言っていただいて、改めて自分が何を書いたか読み直してみたのですが、


「つわりに負けたくない、社会に負けたくない」って・・


オーバーですよね。


世の中には、何倍も大変なことがたくさんあると言うのに・・。


でも、つわりの真っ最中は、つらさ爆発で、そういう気持ちになっちゃうのですよね汗




誤解があるといけないと思い、1つだけ、補足させてください。



私は、たとえば、女性は出産後も働くのが偉いとか、当たり前とか、


そういう風にはまったく考えていません。


逆に、育児という人生最大の大仕事に、自分のすべてをささげている女性は


大変に尊敬されるべき存在だと考えています。


(実際に、ハナハウスにきているママたちは現在仕事をしていません。(休職中の方もいらっしゃいますが)


でも、皆さん、優しさ、強さ、知性にあふれた素晴らしい女性たちです。


母親になるということは、それだけで素晴らしいことなのだと痛感せざるを得ません。)




私はたまたま、「働きつづける」という選択肢以外、私の中に選ぶ道がありませんでした。


それはたとえば、家のローンだったり(笑)、


自分のコンプレックスから来ているものだったりします。


自分のエゴのために働いています。


そのこと自体、偉くも、素晴らしくもありません。




ただ、自分の妊娠、退職という小さな経験を経て、


現代社会とは今もなお、かくも女性に対して理不尽なものかと痛感しました。



この世の中に、こどもを産み育てること以上に、尊ばれるべき仕事はあるでしょうか。


(もちろん、仕事に優劣はありませんし、


こどもを産むことだけが価値あると言っているのでもなく、


産むことができない女性は価値ある仕事ができない、などという意味ではまったくありません)




その大仕事をする女性に対して、「男性と普通に働いてください」というのは


男女平等どころか、その間逆、まったくの不平等というものです。


子供を産んだり、介護があったり、身体的ハンデがあったり、


そういう人たちがともに平等に「働く機会を得られる」社会こそ、あるべき社会の姿です。



「男性も女性も、老人も若者も、健常者もそうでない人も、


同じ量を、同じだけ働きなさい」という雇用形態は、


「同じ形」という名の下、まったくの不平等と言わざるをえません。



そんな当たり前のことを身をもって痛感し、


そういう社会に負けたくない、負けてはいけない。


こどもを産む女性が、後ろめたさを感じて働くしかない社会を受け入れてはいけない、


と強く思いました。


それが「つわりに負けたくない」という意味でしたあせる




ちょっと熱くなってしまってすみません。



どのような形であろうと、皆がそれぞれに価値を見いだせる生き方が実現できる、


そんな社会になったら、どんなに素敵でしょうね。