足りなくなる、無くなるという不安 | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

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自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

こんにちは。光花です。

 

ここ数日、足りなくなる、無くなるという不安を感じることがありました。

 

実際にはまったく足りなくないし、無くなったりもしていません。

 

以前も、同じ不安を抱くことが多く、そのことについて考えた結果、無くなるのではなく、形が変わっただけだということに思い至り、一時的に落ち着きました。

 

けれど、まだこの奥に何か残ってるなーという歯にものがはさまったような感覚があり、そのうちまたその不安が浮上してきた時にでも考えようと思っていました。

 

今が、その時のようです。

 

それでまた私なりに地味に考えてみました。

 

この不安の実態はなんなのかということが、ちょこっと見えてきました。

 

足りなくなる、無くなる。

 

これはお金もそうですが、お米、ガソリン、トイレットペーパーなどの日用品についても同じように不安になるのでした。

 

前回のときは、お金はなにかと交換することによって形を変えてちゃんとある。

 

お米も食べるからなくなるけど、栄養になってエネルギー源に形を変えてちゃんと役に立つ。

 

ガソリンだって、減るけどその分移動できる。

 

トイレットぺーパーだって、ちゃんとお尻をきれいにしてくれて役に立ってる。

 

そうだ、無くなってるけど、形はかわるけど、ちゃんと役目を果たしてくれてるから、いいんだった。

 

そうなっとくしたのでした。

 

今回の場合は、なぜ足りなくなると不安になるのか。

 

そこにフォーカスするべく生じたものと思われます。

 

なぜ不安になるのか。

 

それは、私の力ではうまく、その足りない事態に対処することができないだろうという自信のなさから生じる不安だと気が付きました。

 

私にはその能力がない。うまく対処できる人間ではない。

 

そのような自分に対する自信のなさからきていました。

 

どんなことになっても、どうにでも太刀打ちできるから、ドンと来い的な実績に基づいた自信のなさ。

 

これが原因と思われます。

 

実際に困った事態に遭遇し、冷や汗をかきながらも、なんとか対処し、どうにかこうにかおさまった。

 

このような実体験を積まないことには、決して得られない自信。

 

でも、そんな冷や汗をかくような目にはできることならあいたくない。

 

だから不安はなくならない。

 

このパラドックス。

 

さらには、思ったことが現実になりやすいので、足りなくなりそうな、なくなりそうな雰囲気を醸し出すような出来事を引き寄せ、寸でのところで回避する。

 

こんなところのような気がします。

 

なので、今後は、あまり不安をかきたてるような余計な考え事はしない。

 

もし、ヤバい事態がやってきたら、腹をくくって飛び込み最善を尽くす。

 

結局はどうにかなるんだし、このおかげで実践に基づいたゆるぎない自信もつくんだし、と開き直る。

 

こんな感じてやってみようと思います。