葛藤 | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

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自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

こんにちは。光花です。


先日、出先から家に帰ってきた時に、玄関のドアノブに袋が掛けられていました。


中を見ると、お土産のお菓子と、野菜が入っていて、小さな紙に実家からのものだと分かるメモが入っていました。


私は、ここしばらく、全然実家と連絡を取っていないので、戸惑いつつ、家の中に持ち運びました。


いつもなら、すぐ実家に電話を入れるのですが、私は諸事情により、電話をしたくありませんでした。


そこで、私の心のなかで、葛藤がはじまりました。


いろんな考えが、一気に頭の中をかけめぐりました。


持ってきたのはいったい誰なのか。父なのか、母なのか、それともほかの誰かが、何かのついでに届けてくれたのか。


私から連絡が来るのを期待しているのか。


それとも何も考えていないのか。



私はどうしても電話をかけてくなかったので、電話をかけないことに決めました。



けれど、どうしてか、もやもやした気持ちになるのです。


昔、実家にいたときに、誰かになにかをあげたのに、お礼の一言もなかったと言って家族が機嫌を悪くしていたことが何度かありました。


実は、直接自分に言われたことよりも、知らず知らずに耳に入ってくることの方が、影響力が強かったりします。


たとえば、いつも怒られている子どもより、その状況をそばで見ている子のほうが、怒られることをより恐れていたりします。


私が子供の時もそうで、知らず知らずに大人の話を聞いて、こういう風にしたらきらわれるんだ、とか、ちゃんとしなくちゃとか、気をつけないといけないというふうに思い込んでいったのでしょう。


なにせ、心の奥底で、自分はいらない子かもしれないと思っていたわけですのでね。



そんなこともあり、この件で、私の中には、「~しなければいけない」という見えない鎖をまた発見したのでした。


何かをもらったら、お礼をしなければならない。


そうしないと、嫌われる。捨てられてしまうかもしれない。


だから、必ず実家に電話をしていた。面倒くさくても。



でも、よくよく考えたら、嫌われないようにするためにお礼を言うっていうことが、おかしいですよね。


うれしかったからとか、助かったからとか、喜んでいることを伝えるために、お礼を言うわけですよね。


私の実家では、よく「嫌われる」という言葉が使われていました。


嫌われないように、気を付けなければいけない。


これが基本スタイルでした。



よそ様からもらったら、もちろん私もお礼を言います。



血のつながった家族なのに、よそ様と同じくらい私は気を遣っていたということになるのかな。



季節の行事ごとに実家に行くのも、本当は嫌だった。


でも行かないと嫌われて、仲間外れにされて、捨てられてしまうかもしれないから、行きたくないけど行っていた。



でも、もう、本当に行きたくないと思ったら行くのをやめようと思う。



たとえ捨てられたとしても、困る事なんて、ひとつもない。


怖がる必要なんて、もう、ない。


分かり合えないのなら、わざわざ無理していっしょにいる必要なんかないと思うから。


私は、私の好きな人と、私を好きと思ってくれる人と一緒にいたい。