寛文年間(1661~1672)に現在の相模原市矢部に、甲州出身の江戸の商人相模屋助右衛門が幕府の許可を得て、油屋・鍛冶屋・雑貨屋・木賃宿などを設けて新田を開発しました。

新田の鎮守として稲荷社も創建しました。当時の矢部も秣場で、「見透しの松」と言われる、遠くから良く見える、目印の松の木が有りました。そこに、稲荷社の村富神社が有りました。

 

村富神社

祭神は、

宇迦之御魂命   ( うかのみたまのみこと )

大己貴命   ( おおなむちのみこと )

大宮姫命   ( おおみやひめのみこと )

 

境内の一角に「獅子堂」という小さな堂があり、その中には文化3年(1806)の墨書がある古い獅子頭3体が保存されています。

 

鎌倉街道、見透の松の碑。鎌倉街道と江戸道の交わっているところです。

そこに、相模屋助衛門は神社を建て、村人が京都の伏見稲荷より神託を受け、村富稲荷神社と名称になりました。

 

村富稲荷神社の角にある、八王子道の碑

 

 

村富稲荷神社の一の鳥居

 

手水舎

 

狐の並ぶ、二の鳥居

 

本殿右から回って、参集殿

 

神楽殿

 

八坂社

 

本殿

 

鎌倉街道大松の碑と白蛇伝説の碑(相模原の童話にあり)

 

相模屋助衛門を祀る祖神堂

 

獅子頭 右側2面

 

獅子頭 左側1面 合計3面

 

正面にもでって、工事中(青いシート)の拝殿  7月中には工事が終わるという。

 

村富神社説明板