今年もウオーキングが、終わりに近づきました。相模原市ウオーキング協会の例会が、近くであったので、回復してきた体力を信じて、足慣らしにショートコースに出かけました。今年はコロナという事で、SWAウオーキング・スタイルなるものを守ってくださいという事でした。マスク着用・手指の消毒・体温測定37.5度以下。参加カードの提出。。まず歩行形式は 密にならないよう2メートルの間隔をあけて、自由歩行です。受付後は各人でストレッチを行い、出発式の挨拶もないまま、コースの地図を貰いスタートです。

 

集合は、小田急線の小田急相模原駅近くの松ヶ枝公園です。相模原のなかよし小路を経て、青陵高校、勝坂信号を左折れして、ざる菊会場見学、勝坂遺蹟公園を経てJR下溝駅がゴールです。8kmを歩きました。遠回りする13kmのコースも有りましたが、今回は短い8kmコースにしました。体力が残っていたら、ちょっと寄り道して縄文土器の発見場所にも行きたいと思いました。

 

スタート後、駅を越えて、相模原なかよし小路に、ここは、戦後の住宅地化に伴い農地の灌漑用水路を埋め立てて作った小道です。

 

なかよし小路

 

座間米軍キャンプ地の北側を通り、みねん坂を下ると、勝坂信号の交差点でそこを左折れしざる菊会場へ、今は信号にのみ勝坂の地名が偲ばれます。

 

勝坂信号

 

新磯ざる菊会場

南区新磯地区の休耕地を利用して、2009年から、およそ750坪の段丘地に、毎年、紅・白・黄・ピンクなど8種類、約1300株のざる菊が植えられています。

 

 

まだ歩けそうなので、ここから、ちょっと寄り道しました。江戸時代の街道(御尊櫃街道)を直進します。

御尊櫃街道とは徳川家康の遺骸を久能山から日光東照宮に移すために整備された道です。一里塚も有ります。

 

中村家住宅と長屋門

関東大震災まで、3階建てのモダンな建物でした。大震災後、3階を無くし2階建てに改築されました。1階には式台も有ります。その中村家の裏の畑から、問題の勝坂遺蹟が始まりました。

 

 

 

勝坂式土器(縄文土器)

 

1926年(大正15)の夏、休暇で帰省していた清水さんが中村忠亮家の裏の畑で土器の破片を見つけ、考古学者の大山柏先生に所に持ち込んだことから始まりました。翌年、大山先生は勝坂の地を訪れ発掘調査を始め、昭和2年に「神奈川県新磯村字勝坂遺物包含地調査報告」して、造形的に豊かな縄文中期の勝坂式土器と認められました。1974年(昭和49)に、国指定史跡とされました。

 

土器写真発見場所

 

 

勝坂式縄文土器

 

 

 

 

 

 

 

 

ウオーキングコースに戻って

 

勝坂遺蹟公園

その後、宅地化が進み急いで、付近を調査したところ、住居跡など発見され、全国的にも珍しい竪穴式住居です、敷石住居等が遺蹟公園に復元されました。

 

縄文式土器を発見した大山柏とは

明治時代の陸軍軍人大山巌の息子で、長男が事故で無くなった後を継ぎ公爵となり、ドイツで考古学を学んだ人。