道に倒れて誰かの名を

呼び続けた事がありますか?


今回の記事の写真は全て
過去のモノを古い順に載せてみました。


中島みゆきさんの

『わかれうた』の出だしの歌詞です。

実はこのドラマティックな場面、

神楽には経験があるのです。




しかも僅かに10歳にもならない時に。

初代愛犬の柴犬が生んだ4命の子犬の

最後の子犬クッキーが貰われていった時です。




車で走り去るクッキーの名前を叫びながら走って、

転んで大泣きします。

転んだ膝の痛みよりも、

クッキーと別れてしまう心の痛みの方が

何百倍も痛かった事を忘れられません。




さらに、1年も満たないうちに、

クッキーが交通事故死をしてしまった事。

両親が幼い神楽に、ショックを与えないように、

内緒にしていたのですが、

クッキー自ら、夢で神楽に会いに来て、

自分の死を教えてくれた事。。。。


全てが全部全部、ある種トラウマになってます。





チビ栗P4と暮らしていた頃、

「そんなにチワワが好きなら

ブリーダーやれば?」

と、言われた事もあります。





保護活動というものを知った頃は

一時期は預かりさんをやってみようかな?

と自ら考えたこともあります。




でも。

どちらかも神楽には出来ない事のように感じます。

愛桜ちゃんのお里のママも、

多愛喜のお里のママも、

養子に出す際には、とても淋しいけど、

そのコの幸せな姿を想像できる人としか

縁組しないし、そのコの幸せな成長を見る時は

とても幸せだと同じ事をおっしゃいます。




また、同じ様なことを

多くの預りさんが話しています。

素晴らしい事だと思っているし、

愛桜と多愛喜のお里は命に真摯で誇れるし、

預りさんの存在は、その存在自体が

どの仔かの命を救う事も分かっています。





それでも。。。。。

きっと、ブリーダーをしたとしても、

預りさんをしたとしても。。。

神楽にはきっと。。。

手放せなくなる事が目に見えております。




そして。

散々ブログで見てきて、嫌悪さえ感じている、

ブリーダー崩壊や保護犬崩壊の渦中の人。。。

となるように思うのです。




そう。神楽には『ブリーダー』とか

『預かりさん』は出来ない人なのだと。


あの幼い日の

クッキーとの暮らしや体験が無ければ

また、違う考えを持っていたのかもしれません。




預かりが出来ずとも、里親になれずとも、

自分のできる範囲の支援を

粛々としていこうとは思っています。




まぁ、それさえ。。。。

保護犬のお役に少しでも立ちますように。。。

と言う気持ちも本当なのですが、

やる事で徳を積んで、その積まれた徳が

我が仔達の一大事には力を発揮するように。。。

なんていう、セコい考えもある情けなさです。




それでも。例え偽善でも

やらないより、やった方が良いのだと信じます。





一生懸命働いたお金で何を買おうと自由です。

でも、まるで、撮影のためだけに、

我が仔に何枚ものお高い洋服や

いくつものバッグを購入している方や、

高級なお食事をしょっちゅうアップされるような

ブログを見ると、可愛いね。素敵だね。

って思うのだけど。。。。




それに使うほんの少しの金額を、

家族を待つ命に分けてくれれば、

もっと素敵な事なのに。。。。とも思っています。




多分、ブロ友さんからの贈り物を

基本的にお断りするには、

この辺の気持ちもあるのです。





お心遣いを有り難くて感謝しているのですが、

どうせなら寄付とか回してもらえると、

もっと嬉しいと思ったりします。





なぜ。

本日このような記事を書いたか。。。。

保護活動をされる方のあるブログを見たからです。


 




その中の一部を

抜粋させていただきスクショ致しました。

表紙を抜かして12ページあります。

















。。。。。いつも思います。

こんなような記事を

本当に読んで欲しい奴らには、

きっと届かないのだろうなと。




わんこ好きで、こころ優しい方だけが

多くの涙を流すのだろうと。。。。。

でも。

このようなお話を知って、人間の子ども達に

読み聞かせするような事をしてくだされば、

大いに意味のあることなのだと信じます。




未来の大人達が、今よりもずっとずっと、

優しい人間でありますように。