全てが 『Continues』

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羽生くんの五輪連覇までの

道のりを

噛締めながら

 

喜びと感謝を

 

羽生くんの言葉で聞けた

 

 

今回の

Continues〜with Wings 

 

 

すごく良かった~~~

 

怪我の回復も良好で

スケーティングも観れて

 

嬉しい限りですほしほし

 

 

 

しかし、内容が濃すぎて

何から書いていいのか??

もう~半分日記として

思った事をつらつら書き留めようと思います。

 

 

 

それぞれのCwWっという事で

 

 

 

 

この3日間は色々と思う事があるのですが

自分的に一つ取り上げるとしたら

まず、このことが印象に残りました。

 

最終日の

「ツイッターからの質問コーナー」の中にあった

 

“全く違う曲を演じ分ける時、

自分の内面と客観的な形どちらが大事?”


という質問です。

 

 

この時の羽生くんはどっちも大事と言っていましたが

その後に話した内容が

すごく興味深かったんですね。

 

なので、

その一部分だけ書き起こしてみます。

 

 

内面の いっくら何だろう...

  深~く深~く 掘り下げても伝わらないんですよね。

  難しい事に。

  僕にとって表現とか、感動するとか、

  何かを感じられる演技って

  やっぱり、

  その人 本人の背景が見えないと

  絶対に分かんないし

 

 

ここに…

フィギュアスケート競技って、深いなぁと思いました。

 

 

自分自身、受け取る側として見た時に

  受け取る側の人間もその過去だったり

  背景だったり、その人に対する思いだったり、

  というのが絶対に反映すると思うんですよ。

 

 

 

この話の内容に

すごく頷くんです。

 

スポーツって

その選手の背景が見えると

その選手への見方が変わってくると思うんですよね。

才能だけではなく

そこに選手の葛藤した模様が映し出されると

応援したい気持ちになります。

 

 

観る側にも同じように

葛藤があった時に

頑張っている選手を目にしたら

自分の心境と重ねて

何かを感じたりする時があると思います。

 

 

フィギュアスケートは特にそれが反映される

スポーツなんだなぁって....

 

 

私も平昌のSEIMEIの演技を観ると

父との事が自然と一緒に思い出されます。

 

 

皆さんの中にも

努力されている選手の演技に

 

重なる背景が

 

 

あるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

私は初日を現地で観ることができましたが

ちょっとした不思議な感覚がありました。

 

このチケットが...

驚くほど、神席だったんですね。

 

行くつもりもなく

急遽、ここに来れて

それでこの席は....あり得ないと思っていました。

 

だけど、

一緒に行ったゆづ友さん達は

私がその席であることをすごく喜んでくれるんですね。

 

他でもラインから、

またこのチケットを譲ってくれた方にも….

 

皆さん揃えて言って下さるのが

 

 

お父さんからだね、と。

 

 

 

本人はえっ?てなるんですよ。

舞い上がっているから何だかよく分からないから

でも、周りの方がそう言ってくれました。

 

 

 

確かに振り返ると

「平昌でSEIMEIを滑ってた人だ....」とか

「お父さんと最期を見届けた人が今、目の前にいる!?」

 

そんなふうに思って観ていたなぁって、

今も書きながら浮かんでくるんですね。

 

 

 

あの平昌フリーの日

......一瞬でも悲観的な気持ちが湧き上がれば、

首を横に振り、

必死に父に尽くした  あの時が....

 

まさかこのような形で

返ってくる?

 

 

なーんて、そんな事はないですね~

偶然にすぎないです。

 

 

 

 

でも、

 

もしも....そうだとしたら

 

羽生くんが感謝の公演としてかがけているこの場所は

私も同時に

色んな事に感謝する場でもあったのかもしれないのです。

 

 

 

羽のようにふわっと舞い込んできたこのチケットが

 

 

本当に

お父さんからのプレゼントなら

 

 

この初日の公演は

私にとって、また一つ

 

 

心の中に残る

 

特別な日でもあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな現実離れの話もありつつも

私の中には最終日の事が胸に引っかかっていました。

 

 

日曜日の放送ではカットされてしまいましたが

最後の挨拶での

 

中傷的な言葉や陰謀で苦しめられた事実

 

 

ここは、しっかり

受け止めなければいけない現実があります。

 

 

普段から中傷的なコメントや週刊誌などを

目にしない私にとって

知らなかった分、

このことは衝撃が大きかったです。

 

命をかけて懸命に生きる人の姿から

得られる事がどれだけあるかを思うと

 

 

そうやって人を苦しめてる側には

いったい、何が残るのか?

 

いいものは何も見えてこないと思うのです。

 

 

 

 

ここに凄い差を感じてしまいます。


 

 

 

羽生くんはこんなに辛い現実があっても

この事を乗り越えて

支えてくれた方に感謝し、

生きていて良かったと言ってくれます。

 

 

初日の最後の挨拶で羽生くんは

何一つ無駄がないと言ってました。

 

 

この辛い過去も無駄じゃないんだとしたら....

 

自分もこの事を受け止めて

羽生くんが言う言葉を

改めて聞くと

 

その言葉の意味が

より伝わってきます。

 

 

 

皆さんも感じてるように

それを実感するのが

祝賀パレードの始まりの挨拶です。

 

(最後の部分)

 

この喜びとか、今見える風景、

  こうして応援してくださる気持ちとか声とか、

  ずっと胸に刻んで、

  これからも生きていきたいと思います

 

 

それまで羽生くんが口にしていた「生きる」という

言葉がありましたが

この時の「生きていきたい....」は

同じ生きるの意味があっても

聞こえ方が全然違いました。

 

正直な思いを伝えてくれたお陰で

そこから映し出される羽生くんの背景が

より濃く映し出され、

言葉の重みとして心に響いてきたのです。

 

 

そしたら、その傷ついた現実さえ

羽生くんの今に繋がっているのなら

 

もう未来に想いを

描き始められるのです。

 

 

 

羽生くんの過去には

震災という大きな経験があって

そこから

自分の演技で何かを伝えようとしていて

 

また、

五輪連覇した次のモチベーションが

誰も跳んだことのないジャンプ

 

 

前から言っていた

アーティストとアスリートの両面

 

 

 

この先、

羽生くんの挑戦したいことが競技中に

もしも、叶ったら

羽生くんがしたい表現が

もし、魅せられたら

 

それはどんな演技になるのか…

 

 

 

そこに、観る側の背景も重ねたら

今度はどう観えるのでしょうか。

 

 

 

きっと、言葉では言い表せないものがあるような気がします。

今以上に涙しながら、

色んな背景と重ねて観ている自分が浮かんでくるのです。

 

 

 

羽生くんが抱いてる未来は

きっと、また描けると

 

そう思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

この公演で、

思い入れのある過去のプログラムを観させてもらいましたが

 

 

今度、次に目にするのは新しいプログラム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この場所から

また、一歩づつ

 

 

 

 

 

羽生くんが

受け継がれていく姿を

 

楽しみに

 

私も胸に刻んで

生きていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

素敵な公演を

ありがとう

 

 

今度は自分の為に滑るスケートを

観せて下さい。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

長々と

お付き合いいただき、ありがとうございます。
写真等有難く使わせていただきました。