1992年3月
1991年12月
セブ・マクタン島に土地を買うとの事になり
値段交渉もスムーズに進み
ついに”渡セブ”となってきました・・・
今回の(第一章)の【0】としたのは
本隊(ワイと娘M子ダケ)が渡セブする前に
嫁ダケが先行した為で大意は無いです・・・
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おはようございますHamreyです
この時は成田空港からセブ・マクタン空港まで
フィリピン航空(PR便)の直行便での飛行なので
成田14時半発となります・・・
いつもの様に自家用車で成田空港に到着ですが
当時は第1ターミナルだけの運用だったので
駐車場に停めてからターミナルに向かいます・・・
(駐車場所に依ってはターミナルまで遠い…)
当時のPR便はマニラへ毎日の定期運航の他に
週2便ダケ(曜日は失念)セブ直行便があり
観光に本腰を入れ出した頃であった・・・
乗客はと言うと嫁の様な里帰りをするP民も居たが
90%は日本人観光客であった・・・
(ビジネス客は服装が違った…)
服装と云えば嫁は弁護士事務所や役所関係の
オフィシャルな所への出入りが有るので
スーツが欲しいと言っていた・・・
まぁ~手続き上で仕方なかろうかと買ったら
この日にそのスーツを着て渡セブする事となった・・・
これも”凱旋帰国”の一種になるだろうが
冷ややかな目のワイを尻目に嬉しそうな嫁・・・
ネットで拾った画像
靴も買わされたダカラ~・・・
(実際は黒靴だが…)
因みにワイは何を着るの・・・!?
”ジーンズとポロシャツ”で良いそうですが
何となく”ドライバー”の様な気がする・・・!?
(実際はジャンバーを着ていたが…)
PR便カウンターでのチェックインも終わり
昼食を食べているとベビーカーを押した
二組の家族が入って来たがビサヤ弁であった・・・
騒がしくビサヤ弁で話しながら入って来るので
嫁でなくとも注視するのだが首には沢山の
キラキラした物をぶら下げていた・・・
やはり”凱旋帰国”のトレードマークなのだろうが
嫁は煩い様な事を云っていたが
視線はビサヤ女の首下に違いない・・・
(そして次回は同じ様に光物を欲しがるだろう…)
食後は少し早いが嫁には入管を通ってもらう・・・
20kgの預け荷物以外にはハンドバッグと
軽い手荷物ダケなのでセブでの迎えは頼んで居ない・・・
(タクシーで借家に向かうダケ…)
それと云うのも前年にワイが行った時の様に
秘密裡に行く事になっていた・・・
(嫁にも真実を観て欲しいダカラ~…)
と云っても嫁の腹違い姉夫婦には知らせているが
日付はワイと娘M子が行く日を伝えてあった・・・
ハンドバッグにはパスポートの他に
日本円で60万円が入っているが
前年の時の様な緊張感は無い様だった・・・
ご覧ください・・・
慣れとは恐ろしいモノで
堂々としているのは良いだろうが
注意は払ってもらいたいよネ~・・・
(免税のたばこは忘れないでネ…)
そしてこの後に嫁は機上の人となるのでした・・・
ネットで拾った画像
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マクタン島の借家に着いた嫁だが
そこには嫁がこの日に来るのを
解っていた母親が居たという・・・
何で解ったかというと
フィリピンに伝わる占いとの事だ・・・!
ネットで拾った画像
(解っても実家で待っていれば良かろう…)
いいえ、そうは出来ぬ事情があった・・・
それは借金である・・・
ジプニーのレンタル事業での収入から
実家の方にもオカニをあげる約束はしていたが
如何やら息子Dnが使い込んでいた様だった・・・
いやっ正確に云うとあげるオカニが
実家生活費の全額では無く補助でしかない・・・
漁師であるDnの収入がメインなのだが
そのDnが遊び惚けて仕事をしなかった為だ・・・
その事で母親が借金をして食い繋いだとの事だが
占いをするに為にも借金だったそうだ・・・
そして嫁の渡セブを知りこの日にやって来たと云うが
その交通費も借金との事・・・!
(付け馬の婆さんも居たとか…)
それよりも実家には子供達を残してきているが
付け馬婆さんの家に預けたという・・・
ただ金額的にペソの持ち合わせが無いので
翌日に両替をして実家に向かうという・・・
(実際はずっと居座った嫁母親…)
それにしても嫁の到着を見事に当てた
フィリピンの占いってなんだか恐ろしい
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写真のおケツを強めに押してみて下さい・・・