1991年3月に娘の春休みに乗じて
嫁と娘のフィリピン帰省という名目の
”凱旋帰国”を果たします・・・
日本帰国前に”お土産”を買いに行ったが
同行したいと云ってついてきた嫁親族は
何の役にも立たなかった様に思えた・・・
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おはようございますHamreyです
この様に無用な者がくっ付いて来るのは
一緒に行けば何か良い事でも有るのかとの
”子供的な考え”と思えば納得は往く・・・
モトボサツさん理論では多くのフィリピン人は
10歳くらいの精神年齢で留まっているとの事だ・・・
しかしフィリピンでは出掛ける者に対しての
何らかの役目を担っているとも云われるが
ワイに対しては何も感じられなかった・・・
(嫁や娘M子には話し相手や精神的支え…らしい)
プンタエンガニョで土産物を買ったら
トライシクルに乗って借家へ帰るのだが
何か食べて行こうと嫁は云う・・・
(その前に嫁姉が嫁に何かを云っていた…)
一応セブ・マクタン島の観光地である
ラプラプモニュメント周辺には
レストラン的な店もあるが割高は間違いない・・・
勿論P民向けのお安い店もあれば
ローカル御用達のトロトロや屋台もある・・・
どの店に行くかは”貴方次第”(It's up to you)と
フィリピン的な表現で云われるが
総勢8人分となれば屋台となってしまった・・・
勿論食べれる事で皆は無口でむしゃぶりつくが
何も食べなかったらブツブツ云っていただろう・・・
(もしレストランだったら歓喜の声は有っただろうか…)
更に借家で待つ他の親族にも何か買っていこうと云うが
時間は既に11時過ぎで帰ったら昼食となるのに・・・
ネットで拾った画像
カモテキューを適当に買ってしまった・・・
先程のお土産屋でも”食べ物系”を勧めていたが
フィリピン人にとっての”お土産感”は
日本人とはかけ離れたモノがある・・・
(日本人的には”置物系”の見て楽しむモノ…)
P民的には”置物系”だと壊れたらお終い!
との考えらしいが”食べ物系”は食べたら終わる・・・
だがしかし
ネットで拾ったイラスト
その時の”味”は脳裏に焼き付いていて
いつでも思い出せる云うが
それは要求の為と思われる・・・
その事に付いては (他にも沢山あるが)
こちらをご覧ください・・・
また”味”に付いては (他にも沢山あるが)
こちらをご覧ください・・・
基となるのは『自炊開始』こちらでしょうか・・・
トライシクルで借家に戻って来たが
料金は行きとは違って高かった・・・
値段交渉に失敗した為だったが
その事を笑う親族だが誰も加勢しなかったのに
損な資格は有るのだろうか!?
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昼食に付いてはカモテキューを食べてからと云うが
目の前のモノが優先となる様だ・・・