1991年3月に娘の春休みに乗じて
嫁と娘のフィリピン帰省という名目の
”凱旋帰国”を果たします・・・
嫁実家に行った翌日には
皆でビーチに行く事になりました・・・
下記のいずれかのクリックにて
応援のほどを宜しくお願い致します・・・
こんばんはHamreyです
我々が行くビーチは毎度お馴染みの
マクタン島マリゴンドン地区のローカルビーチです・・・
だがしかし
ネットで拾ったイラスト
ビーチに行く前にはルーティインの
買い物からになる・・・
(あの3Kマーケットに行かねばならない…)
ここはオカニを渡して嫁と嫁妹Uに任せ
ワイはこの借家で待つ事にする・・・
という事で朝食後に嫁とUが出掛けるが
荷物持ちとして嫁妹Amの婿が一緒に行くが
その弟Vtも”ボケ役”として付いて行く・・・
その時に義姪Hが自転車の練習をしたいと云うが
サドルを下げる為の工具が無かったので
ペンチで挟んで無理やり回した・・・
何とかサドルは下がったが今度は固定する為に
ペンチがもう一つ必要だが無いのでそのままにした・・・
この辺りの店に有効な工具が有るかは判らないが
9時になったら散歩がてら探してみよう・・・
(嫁達の戻りは早くとも10時になるだろう…)
Hだが13歳で140cmは小さい方なので
シティーサイクルのサドルを下げても
両足がべったりとは地面に着かなかった・・・
因みにHの小学校入学は1年遅れたので
卒業も1年遅れて13歳となっていたが
フィリピンではよくある事なので誰も気にしない・・・
最初はワイが自転車を押さえていたが
Hがペダルを扱ぎ出したら離す様にしていたが
徐々に走行距離が延びて来たので放置した・・・
すると調子に乗ったHは自分一人で出来ると
啖呵を切ったのでビデオカメラでこっそりと撮影する・・・
(生憎ビデオはVHS-Cなので再生も出来ない・・・)
すると何度かコケるが
ネットで拾ったイラスト
頑張っていた様です・・・
(現在は”乗れる”とHは云っていたが観た事は無い…)
9時過ぎに散歩がてら近くの店を観て回ったら
それらしい工具とボルト・ナットもあったので買うが
日本人価格で云われた気がしたので少し粘る・・・
金額にしたら僅か数百円の事だが
今後の事を考えると粘る価値はあると思った・・・
Hの自転車練習の補助役をM子が引き継いでいたが
30分も続けると疲れる様なのと
10m以上距離が延びない事で諦めムードもあった・・・
工具が揃った事でサドルを固定したら
真っ先にM子が見本を示してHにアドバイスをするが
生憎Hは日本語を理解出来ない・・・
それでもM子が簡単に乗れるのを観たら
ネットで拾ったイラスト
Hの”負けじ魂”が燃え盛った・・・
再びHが自転車に跨った時に
嫁達の乗ったジプニーが借家に横付けされたが
時間は10時前だったので想定外の早さだった
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It will be erect encouragement. ⤴
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しばらくは皆で自転車練習の順番待ちとなるが
HとM子で食材を借家に運ぶ事になった・・・